アニメ

REGULAR

2022年03月23日

アニメ「平家物語」と『この世界の片隅に』で紐解く“祈り”の継承

アニメ「平家物語」と『この世界の片隅に』で紐解く“祈り”の継承


(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

>>>「平家物語」『この世界の片隅に』画像を全て見る(19点)

古川日出男氏が現代語訳した同名大作軍記物語をもとに、栄華を極めた平家一門が滅びていくまでの十数年を「びわ」という語り部の視点で描いたTVアニメ「平家物語」

そして太平洋戦争中の広島・呉を舞台に、北條家に嫁いだ主人公・すずの戦時下の暮らしを描いた『この世界の片隅に』。この2作に筆者は、現代にも通ずる共通点を感じている。

※本記事は、TVアニメ「平家物語」や『この世界の片隅に』の話の内容に深く触れています。鑑賞後の閲覧をおすすめします。

>>>【関連記事】アニメ「平家物語」歴史に詳しくなくても楽しめる「3つ」のポイント

>>>【関連記事】『この世界の片隅に』が好きな人に観てほしい5つのアニメ映画

>>>【関連記事】<解説>「宇宙よりも遠い場所」何度も観たくなる「3つ」の魅力

誰にでも平等な時間軸「四季」


(C)「平家物語」製作委員会

筆者がこの2作に感じる共通点は、歴史の転換点の背景、裏側にあったかもしれない「なんてことない日常を愛おしむ人々」を描いているところだ。

そしてそれぞれの時代を生きた人々を描く上でこの2作は、淡く柔らかな作風とは裏腹に、「淡々と過ぎていく日常」のスピード感を効果的に使っている。その象徴として、四季が挙げられるだろう。


(C)「平家物語」製作委員会

TVアニメ「平家物語」の第一話では、語り部兼主人公のびわが平家の屋敷で暮らすようになった経緯が描かれている。平家の行く末を見届けていく役割のびわだ。しかもびわは、平家の武士に父親を殺されている。一門を憎んでいた人物が、その本拠地で暮らすのだ。

さぞやゆっくりと、平家の面々との交流が描かれるのだろうと思ったら、出会いからの1年はあっという間だった。雪と椿のコントラストが印象的な庭が、桜舞う景色へ。さらに蛍の光りが際立つ風景から、紅葉が落ちる季節へと変わる。約4分間の移ろう四季の中に、びわと平重盛をはじめとする平家の面々との暮らしが織り交ぜられていた。


(C)「平家物語」製作委員会

全体からすると一瞬にも思える時間だ。しかし誰にでも平等に流れる四季を用いたからこそこのシーンには、年表には載らない人々の息づかいがしっかりと乗っていた。

『この世界の片隅で』もまた、淡々と過ぎていく四季を通して「なんてことない日常」を大切にしていた人々の姿を描いている。


(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

厳しくなる一方の配給、憲兵の監視。戦争の色が漆黒目前になりつつあったこの時代を生きるすずさんの背景にも、見覚えのある四季の風景があった。戦争の影響をうけながらも、当たり前に流れていく4つの季節を家族とともに過ごすすずさんの姿からは、「なんてことない日常も特別」であることを改めて感じさせられた。

経験したことのない想い、であるはずなのに


(C)「平家物語」製作委員会

改めて感じさせられたとは言ったものの筆者は、「なんてことない日常が特別だ」という言葉を、凡庸で変化のない暮らしをしている自分を納得させるための免罪符だと思うこともあった。

しかし「平家物語」や『この世界の片隅に』を観て思うのは、変化のない暮らしを続けることがどれほど難しいか、だからこそ特別になりえるのだということだ。そしてこの2つの作品は、権力によってもたらされた望まない変化によって自分たちの大切なものが侵害されたときに、人々が何を思っていたのかも描いている。


(C)「平家物語」製作委員会

「刀を振るうより舞を舞うほうが兄上には似合っている」
TVアニメ「平家物語」で、重盛の次男・資盛が初の戦に向かった兄・維盛を案じ、こぼしたこのセリフ。維盛を「いつものように逃げ腰では敵は倒せない」と軽口を叩いて送り出した資盛だったが、本人のいない場所では神妙な面持ちでこう口にしている。


(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

また『この世界の片隅に』ですずの義母・サンが言った、「大ごとじゃ思うとったあの頃は、大ごとじゃ思えたころが懐かしいわ」というセリフも印象的だ。彼女は、平和のための軍縮(ロンドン軍縮会議)で軍艦がつくれなくなったせいで北條家をはじめ呉で暮らす人々の多くが失業したことと、戦争によって悪化の一途をたどる暮らしぶりを比較し、嘆いている。

もちろん例として挙げた2人のキャラクターの言葉は、フィクションである。しかし今を生きる人々は、歴史の教科書や年表には載らないこれらの感情を想像する力を持っている。


(C)「平家物語」製作委員会

それはきっと当時を生きた人々の想いが、この2作品のように物語で、また当事者への取材をまとめたドキュメンタリーで、他にもいろんな手段で今の世に伝えられてきたからではないだろうか。

悪化し続ける状況に疑問を抱きながらも、権力に抗うこともできない。そんなジレンマを嘆いた人々の想いは今、祈りとなって現代を生きる人に継承されていると思うのだ。

びわや平家、すずさんの祈りは、現代、そして未来へ


(C)「平家物語」製作委員会

「どうか安らかに
どうか静かに
何もできなくとも…祈る」

びわが第九話「平家流るる」で言ったこのセリフを耳にした時、今まさにニュースで見ない日はない、ロシアによるウクライナ侵攻のことが頭をよぎった。ウクライナでは市街地が攻撃を受け、一般人にも犠牲者が出ている。遠く離れた日本にいる筆者は、現地の状況をニュースで見るたび心を痛め、一刻も早い平和の復帰を祈っている。


(C)「平家物語」製作委員会

ただこの祈るという行為は、戦争の解決や抑止にはならない。現地で救援に精を尽くす人、制裁を恐れずに戦争をやめろと声をあげる人を見るたびに、自分の無力さを痛感する。

それでも筆者は、祈ることが無意味だとは思わない。その理由が、2作品のような物語が紡いできた「祈りの継承」にある。

自分たちの力ではどうしようもできない権力者たちによる争いに対して「祈ることしかできなかった」人々の想いは、今を生きる人々に教訓や警鐘という財産として残り、「同じ過ちを繰り返してはならない」「おかしいことだ」と声をあげる力となっている。


(C)「平家物語」製作委員会

人々の祈りは、年表には載らない。しかし祈りは、その時を確かに生きた人々が刻んだ、今を生きる私たちが学ぶべき立派な歴史だ。

平家の行く末を見届けたびわや、戦時下を生きたすずさんたちの祈りは、今と未来へと続いていくだろう。

(文:クリス菜緒)

>>>【関連記事】アニメ「平家物語」歴史に詳しくなくても楽しめる「3つ」のポイント

>>>【関連記事】『この世界の片隅に』が好きな人に観てほしい5つのアニメ映画

>>>【関連記事】<解説>「宇宙よりも遠い場所」何度も観たくなる「3つ」の魅力

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!