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映画コラム

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2022年03月28日

『私ときどきレッサーパンダ』オタクのオタクによるオタクのための大傑作になった「5つ」の理由

『私ときどきレッサーパンダ』オタクのオタクによるオタクのための大傑作になった「5つ」の理由


『私ときどきレッサーパンダ』が2022年3月11日よりディズニープラスで配信中だ。結論から申し上げれば、本作はピクサーアニメ映画の転換点と言える、新たなる大傑作だった。常に研鑽を続けるピクサーが、またしても「ここまで来たか…!」と、改めて末恐ろしくなるほどに。

本作は、子どもから大人までエンターテインメントとして楽しめる。特に10代前半の若者と、その年代の子どもを持つ親御さんにこそ観てほしい。きっと親子関係が良い方向に変わるのではないかと心から思わせてくれる、しかも説教くさくもなっていない、尊いメッセージがそこにはあったのだから。



これから観る方は、同じくディズニープラスで配信中のドキュメンタリー『レッサーパンダを抱きしめて』もぜひ合わせて観ていただきたい。スタッフのトップが全員女性であり、同性のパートナーと結婚していて、さらに出産や育児について語る様などが感慨深く、何より彼女たち自身が「かつてオタクだったこと」が作品に強く反映されていることもよくわかるだろうから(『美少女戦士セーラームーン』などの日本のアニメ作品もはっきり映る)!

以下からは、『私ときどきレッサーパンダ』の魅力を掘り下げていこう。核心的なネタバレは避けたつもりではあるが、予備知識なく観たい方は先に本編をご覧になってほしい。

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1:切なくも爆笑できる限界オタクのコメディ

本作は、まず「切なくも爆笑できるコメディ」としてものすごく面白い。その切ない笑いは、主人公の13歳の女の子・メイメイが表向きは「母親の期待に応えようと奮闘する頑張り屋さん」であるものの、実際は「親友たちの前ではボーイズバンドに夢中で男の子にも興味津々」であることから生まれている。



メイメイは親友たちの前で、ドラッグストアで働く男の子には興味のないそぶりをしていたものの……夜な夜な彼の「妄想イラスト」をこっそりと描き始め、ベッドの下に隠れてさらに妄想を膨らませて筆を走らせ、絶対にお外では見せてはいけないヤバい笑顔も浮かべるのである。

その後にメイメイが遭遇する「悲劇」は、ぜひ本編を確認していただきたい。なんとか平静を保とうと自問自答するものの、その直後に人生に絶望したりもする、情緒不安定ぶりをハイスピードな編集で描く様は、胸を締め付けられると同時に、良い意味で極端なのでどうしても笑ってしまう。その他にも、完全に日本のアニメから影響を受けた「目をキラキラと輝かせて訴える」演出や、ボーイズバンドに盲目になりすぎる「限界オタク」ぶりを見ていると、自分にも「あるある」であることに気付いて笑ってしまうのだ。

その限界オタクな描写は短絡的なギャグに止まらず、物語そのものでもとても重要になっていく。何しろ、メイメイと親友たちの最終目的は、世界を救うためでも、愛する人を助けるためでもなく、「親友と共に推しのライブに行く」こと! オタクの行動原理はほぼそれが全て、というのはある意味でとてもリアルだ。そのことに心から共感できるからこそ、後述する母親(後述するようにほぼ毒親)とのバトルの数々も熱心に応援できるようになっていた。

加えて素晴らしいのは、その限界オタクギャグの数々が、細かいディテールがこだわっているからこそのあるある」に笑えて、オタクそのものへの愛情がたっぷりと伝わることだ。タイトルは作品の名誉のために書かないでおくが、作り手がオタクへの理解も愛もないことがありありとわかる、ほぼ全てのギャグが不愉快極まりない邦画も過去にはあった。だが、『私ときどきレッサーパンダ』は全く違う。作り手がかつてのオタクであり、オタクな「自分自身」を愛していたからこそ、気兼ねなく笑えると同時に全てのオタクな少女(少年も)を鼓舞する内容に仕上がったのだろう。

さらに、終盤にはネタバレ厳禁のサプライズも仕込まれていおり、そこで筆者は「オタクへの愛情を、最高の形で、真正面から描いてくれてありがとう……!」と号泣しながら爆笑し、しかも作り手を拝みながら感謝するというかつてない体験をすることができた。『私ときどきレッサーパンダ』は、オタクのオタクによるオタクのための映画である

2:思春期のメタファーとしてのレッサーパンダ

前述したように母に隠れてオタクとなっているメイメイは、ある朝目覚めると、なぜか毛むくじゃらで、ずんぐりむっくりと大きく、しかも匂いもキョーレツなレッサーパンダへと変身してしまう。彼女はその原因と根本的な解決方法を探るとともに、なんとか感情を抑えて変身しないように奮闘することになる。



ドキュメンタリー『レッサーパンダを抱きしめて』でも語られているように、レッサーパンダは思春期のメタファーだ。現実の思春期の少年少女も、体の様子がガラリと変わってしまい、その変化と共に両親と対立する反抗期にも突入する。加えて(レッサーパンダにならないよう)「ムシャクシャした気持ち」をコントロールしようと奮闘する様が、現実の思春期の少年少女の複雑な心情そのものになっているというわけだ。

画期的と言えるのが、はっきりと「生理(初潮)」にまつわる事柄も描かれていること。それもまた、思春期の少女に訪れるどうにもコントロールできない変化なのだから。スタジオジブリ作品『おもひでぽろぽろ』(91)でも生理への言及はあったが、それを物語の発端で、真正面から描くということにも、ピクサーの新たな挑戦があった。何より、思春期に誠実に向き合う姿勢そのものを賞賛したくなるのだ。

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