『私ときどきレッサーパンダ』オタクのオタクによるオタクのための大傑作になった「5つ」の理由
3:かけがえのない親友たちとのシスターフッド
本作は「シスターフッドもの」でもある。女性たちのかけがえのない絆や関係性を描くこのジャンルは一種のトレンドで、2020年に日本公開された映画だけでも『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』『燃ゆる女の肖像』『ウルフウォーカー』などがあったのだから。ディズニーアニメ映画では『ラーヤと龍の王国』もシスターフッドものだった。そして、今回のピクサーによる『私ときどきレッサーパンダ』は「子どもも観るアニメ映画で」「オタクで」「13歳の思春期の少女たちの」「親の束縛からの解放」を通じてシスターフッドを描いていることが素晴らしい。
何しろ、メイメイの母親は、過保護という範疇を超えて、ほぼほぼ毒親と化している。娘の本当を全くおもんばかろうとはしない上に、余計なことばかりをして、娘を公の場で辱める言動までしてしまう。だが、メイメイは母親のためにも「良い子」であろうとするので、真正面から感情をぶつけることも、ケンカもすることもなかなかできないでいるのだ。
そんなメイメイにとっての救いとなるのは、個性的な親友たち。彼女たちは同じボーイズバンドを推しているからこその強固な絆があるし、何だって気兼ねなく話し合うことができる。現実の思春期の少年少女もそうだろう。親からの一方的な価値観の押し付けから逃れ、親友たちと話し合ったり、秘密を共有することで救われることはあるだろうから。
加えて、この親友それぞれのキャラクターデザインと特徴が素晴らしい。ミリアムは歯を矯正している優しいリーダー格、プリヤは冷静沈着で思慮深い、アビーは猪突猛進だけど感情を表に出してくるのでスガスガしい。「こういう女の子いるいる」という普遍性があると共に、短絡的なステレオタイプなオタク像にもなってないし、何より愛らしくて仕方がない。彼女たちのことを誰もが好きになれるだろうし、大人は子どもの頃の親友を思い出し感慨深くなるだろう。
4:悪しき伝統と、親のエゴの問題も描く
さらに素晴らしいのは、ほぼほぼ毒親になってしまっている母親が「なぜそうなってしまったのか」にも誠実に向き合っていること。そこには、世代を超えて受け継がれてしまっていた「悪しき伝統」の問題もあったのだ。親が子どもを心配する気持ちは、もちろん愛情によるものだろう。だが、母親がそれまで享受してきた価値観は間違ってはいないだろうか、それをまた子どもに押し付けるエゴになってはいないだろうか、本当に子どもの幸せの望むのであればどうすればいいのだろうか、という普遍的な親子関係についての問いかけが、この『私ときどきレッサーパンダ』にはある。しかも、決して画一的にならない、その誠実な答えを打ち出すことにも成功していたのだ。
これは、前述したかけがえのない親友同士のシスターフッドの「裏返し」でもある。同性同士の関係で芽生えた価値観は、その人たちが相乗的に得られる幸せだけでなく、互いに押し付け合う「呪い」のようなものに転換してしまいかねないと、訴えられているかのようだったのだから。
また、この物語は女性だけでなく、間違いなく男性にも向けられている。終盤の意地悪なクラスメイトの男の子の言動や、メイメイの父親が母親と結婚した理由などを鑑みれば、それは明白だろう。身近な女性のために、男性ができることも、きっとある。
5:まとめ〜要素が密接に絡み合っているからこその大傑作〜
これまで語ってきたように、『私ときどきレッサーパンダ』は切なくも爆笑できるコメディであり、思春期の少年少女の心情を鋭く描いた、友情や親子のドラマでもある。それぞれの要素が密接に絡み合っているからこその大傑作になったのだと、改めて実感できた。また、ドミー・シー監督は「13歳だった自分のために映画を作ろう」というアイデアから本作が生まれたと語っている(そのためか劇中の時代設定も今から20年前の2002年になっている)。
ピクサー作品は『インサイド・ヘッド』や『ソウルフル・ワールド』を初め、作り手の極めてパーソナルな経験が元になっていながらも(だからこそ)、多くの人に届く内容になっていることがよくある。そのピクサーならではの、今回は「かつてのオタクの女の子」にストレートに届く内容になっていることが素晴らしいのだ。
本作のたった1つの欠点は、『ソウルフル・ワールド』と『あの夏のルカ』に続き、「映画館で観られなかったピクサー映画になってしまった」ことだろう。配信でも家族と共に観られるし、すぐにドキュメンタリー『レッサーパンダを抱きしめて』で作り手の姿勢を知ることができるのは良いのだが、やはり映画館でみんなで一緒に笑いながら感動する機会が失われたのは、残念極まりない。
さらに、ディズニー本社がピクサー作品における、同性愛の描写をカットするように検閲し、ピクサー側の抗議も通らなかったという内部告発がニュースになっており、それもまたモヤモヤした気持ちにさせられてしまう。
In a statement attributed to “the LGBTQIA+ employees of Pixar, and their allies," employees of the animation studio allege that Disney corporate executives have demanded cuts from “nearly every moment of overtly gay affection" https://t.co/8YjL7l3hhA
— Variety (@Variety) March 11, 2022
だが、それでもなお『私ときどきレッサーパンダ』が、素晴らしい作品であるこということに疑いの余地はない。ピクサーの作り手たちが、オタクたちのための映画を作り上げてくれたことも、素直に喜びたい。しかも今回は(も)、劇中にヒジャブを被っていたり、糖尿病のパッチを付けたクラスメイトもいるなど、オタクだけに限らない多様性もさりげなく示されていたりもするのだ。
我こそはオタクという方はもちろんのこと、親子関係に悩む全ての人に、観てほしいと心から願う。
(文:ヒナタカ)
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