映画コラム
【全力考察】『THE FIRST SLAM DUNK』が描きたかったこととは?
【全力考察】『THE FIRST SLAM DUNK』が描きたかったこととは?
まぎれもない「SLAM DUNK」の“まさか”
※以降、『THE FIRST SLAM DUNK』および「SLAM DUNK」の内容に深く触れています。未鑑賞の方はご注意ください。“はじめての感動”を覚えた『THE FIRST SLAM DUNK』。しかしこの映画は、もう本がボロボロになるまで読み返した原作「SLAM DUNK」そのものだった。それでも新しい「SLAM DUNK」と筆者が感じた大きな理由に、主人公の変更があげられる。
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原作漫画の主人公は、湘北高校バスケットボール部背番号10番の赤髪坊主、リバウンド王こと桜木花道だ。元不良で競技素人の桜木花道がバスケに熱中していく過程が読む者の心を熱くし、背中を押した。まさに、少年漫画の絶対的主人公だといえよう。しかし『THE FIRST SLAM DUNK』で彼は、いちチームメンバーだった。
主人公は背番号7番のポイントガード“リョーちん”こと宮城リョータ。神奈川でトップクラスの実力を誇りながらも、特段目立つ形で描かれてこなかった名脇役的なキャラクターだ。映画では漫画で読めなかった彼の過去と王者・山王戦での成長、そして彼がアメリカでプレーする未来までもが描かれた。
なぜ、アメリカ?その入口は湘北高校バスケ部にあり
宮城リョータがアメリカでプレーしている——。この未来の描き方に、衝撃を受けたファンもいるのではないだろうか。筆者もその1人だ。しかし繰り返し観る中で『THE FIRST SLAM DUNK』は“自分のバスケ”を手に入れた宮城リョータを描きたかったのだと感じている。
映画の主人公・宮城リョータは、飄々とした印象だった漫画からは想像できないくらいの重い過去を抱えていた。父の死、そして家族を支えていこうと約束を交わした兄のソータをも海難事故で失う。大きな喪失とともに生きざるをえなくなった彼が、のちに「生きる支えだった」というのが、大好きな兄も没頭していたバスケットボール。彼は兄とのつながりでもあったバスケをずっと続け、最終的にはアメリカの地でプレーするにまで至っている。しかしその続けてきた描写は、ただ「熱中している」という描き方ではなかった。
『THE FIRST SLAM DUNK』で描かれた、リョータのバスケへの向き合い方・取り組み方には、3段階の変化があると思う。
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1段階目は「兄への憧れ」と「競技への純粋な興味」だ。リョータにとって地元・沖縄でミニバスチームのキャプテン兼名選手として名をとどろかせていたソータは、理想だった。「たくさん練習すれば、お兄ちゃんみたいになれる」という母・カオルの言葉に目を輝かせていた描写が、その証ともいえよう。加えてソータは父の墓前で「この家のキャプテンになる」と家族の前で宣言する。そんなカッコいい兄に「お前が副キャプテンだ」と、家族を支える相棒のようなポジションを託されたリョータは、ますますソータのようなカッコいい人間になりたいと、バスケットボールにのめり込んでいったのではないかと考えられる。
憧れの色が変わったのが、兄の死後だ。ソータを失った喪失感から、なかなか試合を観に来てくれない母。ライバルチームやミニバス関係者の口から出る、兄の圧倒的強さ。そしてなにより1on1の約束を反故にして友達と海釣りに出かけたソータに対してリョータが放った「もう帰ってくるな」の一言……。リョータにとってバスケットボールを含む生きることが、“兄の代わり”という呪縛・贖罪となっていったのではないかと思うのだ。
とはいえ最初は、リョータは兄の代わりとして見られることに抵抗しているように見えた。試合に負けた悔しさや心細さを吐き出すために入ったソータの部屋でリョータは「兄弟だからといって同じ背番号のユニフォームにしなくても」と、バスケに打ち込んだ兄の軌跡に封をしようとした母と取っ組み合いの喧嘩をしている。この時リョータは「7番がいい」とこぼしていた。憧れる兄と同じ番号をつけることは彼にとって誇りであったのだが、母からすれば“代わり”に見えている。
リョータにとって自分のことを兄の代替品と思うようになるのも無理はない環境が整いすぎていた。実際に彼は全国の地に足を踏み入れる際「バスケだけが生きる支えだった」「ソータが立つはずだった舞台に自分が立つことになった」と母にあてた手紙に綴っている。
リョータの心の奥深くに染みついていた、“兄の代わり”という感覚。この感覚が少しずつ和らいでいくきっかけとなったのが、湘北高校バスケットボール部だ。彼は入部当初、全国での優勝を目指すがゆえに口うるさい先輩の赤木剛憲と、水と油の関係にあった。また周囲と迎合せず目つきも悪いことから、当時の3年生に問題児扱いされ「夏までには辞める」とまで言われている。そんな3年生に対し「宮城はパスができる」と、彼自身のプレーを信頼する言葉を発したのが赤木だ。
兄の代わりではなく自分のプレーを見てくれる人がいるという事実に、リョータは背中を押されたのではないだろうか。選手交代でベンチから戻ってきた花道に「待ってたぜ、問題児」と声をかけたリョータの姿こそが、その証拠だと思う。また山王のゾーンプレスに手も足も出ずにいたリョータが、安西先生の「ここは、君の舞台ですよ」という言葉を受けて窮地を乗り越えたシーンにも、“自分を見て、信じてくれる人々”の存在に背中を押されていることが見て取れる。
「ここは大切な場所なんだ」
これは映画では描かれなかったリョータのセリフだ。映画ではバシバシスリーポイントシュートを決めるシューティングガードとして描かれる三井寿が、かつてグレてバスケ部を襲撃した際に、リョータはこう言って喧嘩を未然に防ごうとした。
リョータにとって湘北高校バスケットボール部が大切な場所であることは、原作だけでも伝わってくる。しかしその理由は、どこかぼんやりもしていた。映画で描かれたリョータのバックグラウンドや入部後の心情の変化は、彼が「ここは大切な場所なんだ」と思う理由を深掘りしたともいえるだろう。
さらに映画では、湘北高校バスケ部を大切に思う気持ちが彼のプレーに出たシーンも描かれている。山王戦の終盤、1秒でも貴重な戦況の中、リョータはボールを止めクールダウンを促した。この背景に、映画では描かれなかった湘南のインターハイ初戦・豊玉戦で見た、彼の同級生・ヤスのプレーがあると感じている。ラフプレー続出の速い試合展開に飲み込まれていくリョータを含む湘北スターティングメンバーにヤスは、じっくりと1本取ろうと声をかけ、試合のペースを取り戻させている。リョータが「気持ちを落ち着かせる」という選択を取れたところにも、チームメイトへの尊敬の意思が感じられるのだ。
自分を見てくれる人たちがいる——。
この事実はきっと、兄の代わりとして生きてきた彼にとって大きな安心感となったに違いない。いわば湘北高校バスケットボール部は、リョータにとって“自分のバスケ”を手に入れる入口だったのではないだろうか。どんなプレーをしたいのか、どんな選手になりたいのかと“自分”に問い続けられる環境を手に入れたリョータが、新しい挑戦の場所としてアメリカを選んだことに筆者は強く深く納得している。
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