映画コラム
＜考察＞『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』から考えるマルチバース論
＜考察＞『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』から考えるマルチバース論
3月3日（金）から公開されている『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。この映画は、破産寸前のコインランドリーを経営する中国系アメリカ人移民のエヴリンが、国税庁に行くと異界の扉が開かれ、全宇宙の命運をかけた戦いに巻き込まれてしまう物語。奇想天外な物語にもかかわらず、第95回アカデミー賞最多10部門11ノミネートを果たした。
実際に鑑賞すると、さまざまな観点から深掘りできる映画だと分かる。
そこで、今回はネタバレありで『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』から考えるマルチバース論を展開していく。
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『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の物語構造
■『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のあらすじ
舞台は、破産寸前のコインランドリーである。監査に向けて領収書を集める作業に忙しいエヴリン（ミシェル・ヨー）は家族の話を片手間に聞いている。そのため、夫ウェイモンド（キー・ホイ・クァン）が離婚を切り出そうとしていることに気づかない。
いざ家族総出で国税庁に行くと、突然ウェイモンドが豹変し「メモの通り行動してくれ！」と命令する。指示に従い、職員と話している最中に靴の左右を入れ替えて履き直し、意識を集中すると、なぜか用務室にワープする。
そこで別次元のウェイモンドから宇宙の危機を告げられ、異なる可能性の自分にアクセスすることで襲来してくる敵と戦うこととなる。映画は壮大な冒険を描く一方、実際にはほとんど国税庁から出ないユニークな物語となっている。
■『ダロウェイ夫人』との関係性
本作を読み解く上で重要となってくるのは、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』と『オーランドー』であろう。『ダロウェイ夫人』は、自分の人生の選択が正しかったのか悩むクラリッサ・ダロウェイが、PTSDで戦死した友人の記憶に悩まされるセプティムスの自殺をきっかけに、彼の死があって自分の今の生活があることに気付かされていく話である。
本作のエヴリンは、ウェイモンドと駆け落ちして渡米。コインランドリー屋を開くも、経営が火の車となってしまい、夢を叶えられているのかと悩んでいる。「何もできていない」と感じている彼女が、他の次元の彼女を存在させられていることに気づかされていく。
彼女の心理を変化させる舞台装置として、マルチバースが使われる。彼女のあり得た過去に触れることで、心理的変化をもたらす。つまり、エヴリンはダロウェイ夫人でありセプティムスでもあるのだ。
そして『ダロウェイ夫人』では他者の記憶を心理変化の舞台装置として起用していたところを、マルチバースに置き換えて演出した作品といえる。
■『オーランドー』との関係性
また本作では手がソーセージとなった世界線で、エヴリンが同性の女性と関係を育む場面がある。この描写はヴァージニア・ウルフ『オーランドー』と重ね合わせると腑に落ちるものがある。『オーランドー』は貴族の青年オーランドーが詩人になろうとするが挫折する中で、昏睡状態に陥り女性として転生する話である。女性の身体となり、数世紀をまたがる冒険を経た社交界に戻ってきた彼女は詩集を完成させる。
エヴリンは、娘のジョイがレズビアンでベッキー（タリー・メデル）が恋人であることが理解できないでいる。しかし、手がソーセージとなった世界の中でとある女性と親密な関係になることで同性愛を理解し、ジョイに歩み寄る。
オーランドーは皇女サーシャとの失恋がきっかけで詩集を作ろうとするが挫折する。性別が入れ替わり、女性としての感覚を得ることで詩集を完成させることができる。エヴリンも同様に異なる次元にアクセスし、異なる感覚に触れることでジョイに対する理解を深めて関係を修復させようとするのだ。
つまり『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はヴァージニア・ウルフの小説のアップデート版として観ると、複雑混沌とした話の整理ができるといえよう。
MCUフェーズ4以降の「マルチバース」の問題点について
■MCUではどのように「マルチバース」が描かれてきたか
(c)Marvel Studios 2023
MCUは『アベンジャーズ／エンドゲーム』以降、マルチバースを主軸にした物語を構築していった。MCUにおけるマルチバースとは、登場人物があるきっかけで時空間を超えた場所と繋がってしまう状況を示す。
『スパイダーマン：ノー・ウェイ・ホーム』では、スパイダーマンの正体が発覚したことで私生活に支障をきたしたピーター・パーカーが、スティーヴン・ストレンジに人々の記憶から都合の悪い情報を削除してもらう依頼をしたことがトリガーとなり、異なる世界線からヴィランが集まってきてしまう内容となっている。
『アントマン&ワスプ：クアントマニア』では、実験中の事故によって量子世界に放り込まれてしまったスコット・ラング率いる家族が、様々な世界線や時間軸の存在に翻弄されながらも強敵カーンと対峙する内容となっている。
■MCUのマルチバース描写に対する問題点
いずれもテーマの中心には「マルチバース」が存在しつつも、都合の良い「どこでもドア」としての機能しか果たしていない問題があった。この問題が発生する大きな要因として、世界と世界の関係性が十分に描けていないものがある。『スパイダーマン：ノー・ウェイ・ホーム』の場合、トム・ホランド演じるピーター・パーカーのいる世界でのみ物語が語られている。そのため、グリーン・ゴブリンやエレクトロ側の世界がどのように凄惨か、ピーター・パーカーのアクションがどのように彼らの世界線に影響を与えるのかについては分かりにくい内容となっていた。
確かに、この作品では世界と世界の関係を描こうとはしている。なぜなら、現実の移民問題のメタファーとしてマルチバースの概念が活用された例として観ることができるからだ。
ピーター・パーカーは流れ着いたヴィランを治癒し受け入れることで世界平和を目指そうとする。一方でスティーヴン・ストレンジは、ヴィランを元の世界へと送り返そうとし自分たちの世界を守ろうとする。これは各国が移民を受け入れるか否かで議論する状況に近い。
この葛藤をマルチバースを通じて描いていた一方で、ヴィランを元の世界に送り返すことで彼らはどのように困るのか？彼らの世界にどのように影響を与えるのかについては検討されていないように見えた。
『アントマン&ワスプ：クアントマニア』の場合も、量子世界でカーンと対峙することが元のサイズの世界や他の宇宙に直接どのような影響がもたらされるのかといった描写はなかった。
もちろん『ドクター・ストレンジ／マルチバース・オブ・マッドネス』のように異なる世界線を横断していく作品もある。しかしこの場合も、単に空間から空間を移動するだけのものとなってしまっている。そのため、MCUにおけるマルチバースの概念が都合の良い「どこでもドア」に見えてしまうのである。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、マルチバースの活用方法の見本を提示した。重要なのは現実にある「マルチバース」と接続することである。
現実におけるマルチバースとは
■現実のマルチバース例1：SNS
我々にとってマルチバースはフィクショナルなものなのだろうか？探してみると、現実にもマルチバースは存在する。
友人とカフェで過ごしている時を想像してみてほしい。友人と話しながらも、片手ではTwitterのタイムラインをめくっているようなことはないだろうか。家族や会社の人となると、対面で話す時の名前と、SNSで名乗る時の名前が異なる場合がある。この時、物理的な世界での自己とインターネット上の自己が同時共存するのである。
まさしく『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で国税庁の職員と対話しながら格闘するような状況がここで発生しているのだ。
■現実のマルチバース例2：ゲーム
また、我々がゲームをする時を想像する。コントローラを操作することで擬似的にディスプレイ上にいるキャラクターを物理的世界同様に動かす。松永伸司「ビデオゲームの美学」では「大乱闘スマッシュブラザーズDX」を例に、立体的な空間を舞台にしながらも2D格闘ゲームのような動きをする状態をプレイヤーは理解し、プレイしていることから虚構空間とゲーム空間は独立して考えることができると論じている。実態としての運動が、ゲームの世界に影響を与える。その世界はヴィジュアルとしての虚構空間とシステムとしてのゲーム空間に分かれており、実態の運動がそれらを統合していくのである。
最近ではRTA in Japanのように、ゲーム内でのプレイによって国境なき医師団への寄付が集まり、物理的世界の人々を救う状況が生まれている。これはマルチバースと呼べるのではないだろうか。
■現実のマルチバース例3：VTuber
複数の世界が重なりあって1つの現象を作り出す例もある。昨年、にじさんじ所属の人気VTuber・周央サンゴによる志摩スペイン村に対する情熱を語った配信動画がTwitterでバズった。その結果、空いていることで知られていた志摩スペイン村に大勢の客が来場する社会現象が巻き起こるに至った。
VTuberは、一般的にアニメーションキャラクターのような「アバター」を介して配信する者を示す。VTuberを哲学の方面から研究している山野弘樹の論考「『バーチャルYouTuber』とは誰を指し示すのか？」によれば、アバターと配信者が重なりあった存在がVTuberであり、双方を切り離すことはできないと論じている。
周央サンゴの場合、アバターだけでは志摩スペイン村に大勢の客が来る状態は生まれなかったであろう。あくまで、配信者の志摩スペイン村に対する情熱がアバターと重なりあった結果による社会現象である。そして、インターネットで拡散されたことで物理的世界に同時に影響を及ぼしていく様は、現実のマルチバースと言っても過言ではないだろう。
■『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』におけるマルチバース観
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、マルチバースはどのように描かれているのだろうか？
冒頭、エヴリンは多忙で家族の話を聞いているようで全く聞いていない。ウェイモンドの離婚の話やジョイのガールフレンドの話が無視されていく。しかしマルチバースの扉が開かれ、別次元のウェイモンドから捲し立てられるように説明を受けると、エヴリンの立場は逆転する。
次々と脳内に広がる異なる次元の記憶や説明が流れていくが、それに対する説明を求めても流されてしまうのだ。その逆転を通じて、彼女は仕事に忙殺される中で家族の話を聞いていなかったことに気づかされていくのである。
本作では、あくまで今いる世界を中心に考えている。現実が嫌だからと異世界転生的に、他の世界に身を置き平和を目指すのではなく、あくまで異なる次元の要素を借用しつつ今いる世界を救うことで宇宙を平和へと導くのである。これを他の次元の生活や崩壊をじっくり魅せながら描く。MCUで実現できなかったことであろう。
常時オンラインと繋がっており、移動中や家族や友人と話している時など、スマホ片手に精神の半分は異なる次元にいることが多い。そんな状況下で、親密に他者と対話ができるのか？一方で、情報過多な時代に争うことができない状況で何ができるのか？
映画では、エヴリンが異なる次元の自分や家族と対峙することで、自分自身を変えていく。つまり情報過多な時代であることを受容しつつ、その中で自分の見方を変えていくことが他者との良好な関係を築く方法だと物語っているのである。
スマホやSNSなどといった情報過多の象徴を用いず、「マルチバース」の概念を中心にこの内容を描いたことは画期的だと言える。
『スパイダーマン：ノー・ウェイ・ホーム』やマルチバース映画の走りとなった『スパイダーマン：スパイダーバース』では、他の次元の様子がほとんど描かれなかった。『ドクター・ストレンジ／マルチバース・オブ・マッドネス』や『アントマン&ワスプ：クアントマニア』は異なる次元を救う描写に収束してしまった。
このような問題に解決策を提示した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。今後、どのようなマルチバースの魅せ方が生まれてくるのか楽しみである。
（文：CHE BUNBUN ）
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参考資料
- ビデオゲームの美学（松永伸司/慶應義塾大学出版会/2018年10月30日発行）
- もう「すいている」とは言えない! 志摩スペイン村が全国から注目を集める理由とは？（YAHOO!ニュース/2023年2月22日投稿）
- フィルカル Vol. 7 No. 2「『バーチャルYouTuber』とは誰を指し示すのか？（山野弘樹）」（株式会社ミュー/2022年8月31日発行）
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