映画コラム

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2023年03月13日

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』変な作品だって?こんなに誠実な映画ないだろ

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』変な作品だって?こんなに誠実な映画ないだろ

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いきなりの私事で恐縮だが、本原稿は締切をとっくに過ぎている。だが「締切を飛ばした宇宙」があるのならば「締切を守って提出した宇宙」もある筈だ。マルチバース上に存在する筆者は原稿を滞りなく提出しているので、「もう出した」とも言える。

だとすれば、この宇宙で原稿を出してしまうと、マルチバース上には2本の原稿(あるいは、それ以上)が存在することになり、何かの勢いで複数の宇宙が融合した場合、原稿同士が衝突して対消滅を起こし、その際のエネルギーで全宇宙が消滅するかもしれないと考えると、宇宙的な観点からは原稿を提出しない方が良いと思われる。

しかし入稿しないと現宇宙にいる筆者が社会的に消されるかもしれず、社会的に抹殺されると宇宙の危機以前に生活費に困るので、全宇宙を道連れにする覚悟でタイプしている。



本作はマルチバースものだからして、MCUは勿論、ジャッキー・チェンやスタンリー・キューブリックにウォン・カーウァイ、果ては湯浅政明に今敏、庵野秀明まで楽々想起させ、エレクトラコンプレックスも母殺しも軽々と飛び越えて、あっさりと「今、ここ、私」の禅の境地に着地する。

この、明るくて、バカで、ちょっぴり哀しく、底抜けに優しい快作のタイトルは『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』である。

<考察>『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』から考えるマルチバース論

確定申告の時期に税金の話をブチ込んでくるA24

本作の主人公であるエヴリン(ミシェル・ヨー)は、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)と、クリーニング店を営んでいる。彼女らは、IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)からお尋ねが入ったので、税務調査に応じるために国税庁を訪れる。

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山のような領収書を持ったエヴリン一行と対峙するのは、税務監査官のディアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)だ。ディアドラは目ざとくカラオケセットの領収書を発見し「これ、事業と関係ないですよね」と詰め寄る。誰しも経験があるだろう「これ、ワンチャン経費でいけるんじゃ?」と税理士に提出したら「無理ですね」と冷たく言い放たれたことが。

2023年の確定申告は3月15日(水)が締切なので、本作が公開されるのは、全国の個人事業主・企業・ふるさと納税をした給与所得者・住宅ローン減税が初年度の人などが、確定申告でヒィヒィ言ってる時期だ。確定申告に身も心も疲れ果て、息抜きに向かった映画館で観た作品で、経費計上を税務監査官に突っ込まれているシーンを見せられた人の心象はいかほどか。さすが安定のA24である。

しかし憔悴していた確定申告者たちは、すぐに拳を握りしめるだろう。経理の不備を指摘された弱小個人事業主VS不正を取り締まらんとする税吏のカンフーバトルが始まるのだから。

スクリーン上でのマルチバースとカンフーの偶発的な出会い

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本作で最も目立つのは、カンフー×マルチバースの使い方だろう。カンフーは往年の香港アクション映画を現代版にアップデートしたような趣で、懐かしさから「ああ、こういうのでいいんです。こういうので」と郷愁すら感じてしまうのと同時に、「逆に新しいのでは?」と仕事のできない広告代理店員のような感想が出てくるほど。

カンフーの技術を別宇宙からダウンロードするという設定は、マルチバース感としても新鮮だし、実に現代的で好感が持てる。功夫(カンフー)は中国武術の名称だが、鍛錬や訓練の蓄積や、それらにかけた時間や努力、労力の意味でも使われている。

本作は突拍子もない行動をとることで、別の宇宙の自分の能力をダウンロードして、戦闘力を向上させる。長期間に渡る修練を、一瞬で努力もせずにダウンロードできるのは、まさしく現代的(インターネット的)であろう。

例えば、別の宇宙で鉄板焼屋をやっている自分を引き寄せたミシェル・ヨーが、カンフーと融合した見事な鉄板焼拳を見せる。以前、何かのテレビ番組で中国武術が特集されており、コウモリ傘を使って戦う「傘拳」や、自転車を振り回して攻撃する「自転車拳」などの達人が、自慢の功夫を披露していた。現実世界ならヤラセだが、映画でやらせるなら問題ない。

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別宇宙から能力をダウンロードするには、突拍子もない「変なこと」をする必要があるのもいい。戦いの最中にも関わらず、指の間を紙で「シュッ」としたり、リップクリームを食ったりすることで、能力を得られる。この「変なこと」は、ラストシーンで鮮やかな転換を見せる。

「配慮してたら面白い映画作れないでしょ」へのカウンター

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アクションシーンも見どころだが、一件無茶苦茶に見えるが筋の通った脚本や、盛り込まれたテーマも、本作を単なるバカ映画として終わらせない重要な要素だ。

人種やジェンダー配慮、女性に対してのエンパワメント、家父長制の打倒など、昨今話題に挙がるものが、堆積した洗濯物のように重なっている。上記の要素はよく「そんなもんに配慮してたら面白い映画は作れなくなる」と言われがちだが、本作は全部入れても面白く、見事にカウンターを入れている。

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日本に居ると「別にアジア人の役を白人がやってもいいじゃん」とか「映画が面白ければ、多少の茶化しは仕方ないでしょ」と思うかもしれないし、正直な話、行き過ぎたケースもあると感じる。しかし、あらゆる理由で肩身の狭い思いをしている人や、そこで戦っている人にとっては、現実だけでなく映画だとしても切実な問題だ。

だからこそ本作を観た移民やLGBTQの人たちや、マッチョではない男たちは、本作を観てきっと勇気や希望をもらった筈だ。バカ映画だと思って笑って観ていたら、ジョイ(ステファニー・スー)を追い続けるエヴリンのように、観客に優しく寄り添ってくるのだから油断ならない。

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本作は、誰であろうが、どこに住んでいようが、日々の生活が上手くいっていない人や、肩身の狭い思いをしている人、失敗ばかりで人生が嫌になっている人などを、いっぺんに救済してみせる。

『エブリシング(なんでも)・エブリウェア(どこでも)・オール・アット・ワンス(いっぺんに)』のタイトルは、映画館の暗闇で、椅子に沈み込み、2時間と少しだけ現実から離れて目の前の宇宙を楽しむ観客へも向けられている。

「今、ここ、私」への華麗なる着地

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本作は、今の宇宙、つまり自分の人生もそんなに悪くないと肯定してくれる。もちろん「失敗しなかった未来」も魅力的だ。

筆者だって2008年のジャパンカップの3連単でスクリーンヒーローを外したが、あれを当てていたら人生が変わっていた筈だ。我ながらあまりにもショボいマルチバースの登場に涙してしまい画面が見えないが、大学に進学した宇宙もあるし、結婚している宇宙もあるだろう。2010年にフラれたあの子と付き合った宇宙もあるかもしれない。ちょっとそのバース寄越せ。

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エヴリンは「今、ここ、私」を選択する。「今」を問うことは、その宇宙(ここ)に存在する私しかできない。彼女は今を問い、視座を変える。視点を変えれば世界の捉え方が変化するのは当たり前の話だが、当たり前だけに強度がある。バカでカオスな本作だが、普遍的な教訓に着地し、禅の境地までたどり着く。

劇中では乾燥機やベーグル、ギョロ目など、数々の「円」が登場する。禅では、円は悟りや真理の象徴であり、見たものの心を映し出す。円は決して欠けることはなく、始まりでもあり終わりでもあり、そして、宇宙全体でもある。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、大笑いのカンフーシーンから禅の境地まで達してみせる。

底抜けに面白くて優しい傑作だが、唯一苦言を呈すならば、エンドロールにNGシーンがないのが残念だった。あれこそが映画における、最も正しいマルチバースであろう。

(文:加藤広大)

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