<追悼・坂本龍一>映画音楽史に刻まれた世界の“サカモトサウンド”を振り返る
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足元の地面が一気に崩れ落ちるような衝撃だった。
2023年4月2日。坂本龍一氏死去の報せが日本を、そして世界を駆け巡った。
長い闘病生活を送る中で(セーブしながらも)精力的に音楽活動を続けられていたので「きっと大丈夫」「まだまだこの先も“世界のサカモト”の音楽を聴けるはず」と無意識に考えていたのかもしれない。
映画『ラストエンペラー』で日本人初となる米アカデミー賞作曲賞を受賞した坂本氏。“映画音楽の遺作”は、是枝裕和監督とタッグを組んだ6月2日(金)公開の『怪物』ということになる。
今回は、追悼の意味も込めて坂本氏が手掛けた作品から、代表作と呼べる映画音楽をご紹介したい。
衝撃の果ての、「救い」の音楽
©2023「怪物」製作委員会映画ファンや映画音楽ファンにとって、是枝監督と坂本氏のコラボレーションはちょっとしたニュースだったのではないだろうか。坂本氏と同じく海外での評価も高い是枝監督は、新作を製作すること自体が話題として取り上げられる。さらに『花束みたいな恋をした』のヒットが記憶に新しい坂元裕二脚本とあって、作品に対する興味と実力派チームによる化学反応に期待は膨らむばかりだった。
本作は我が子が担任教師から体罰を受けているのではないかと訴えるシングルマザー・麦野早織(安藤サクラ)の視点から始まり、物語が進行する中でそれぞれの証言が食い違うことによって、観る者を先の見えない「怪物探し」の渦へと巻き込んでいく。
©2023「怪物」製作委員会
前半の鍵となる学校側の対応は担任教師・保利道敏(永山瑛太)や校長・伏見真木子(田中裕子)の薄ら寒い存在もあって崩壊した日本社会の縮図のように思えるが、それでは終わらず観客を手のひらで転がすのが坂元脚本の妙といえるだろう。
そして何より、物語の中心に位置するふたりの少年・麦野湊と星川依里を演じた黒川想矢と柊木陽太の存在があまりにも大きい。物語の本質を背負わせるにはまだ幼いのでは?という疑問を吹き飛ばす、その堂々とした立ち居振る舞いや繊細な感情の機微に思わず唸らされてしまう。
©2023「怪物」製作委員会
観る者を惹き込むふたりの演技は、『誰も知らない』の柳楽優弥のようにこの先も語り継がれていくはずだ。
そんな作品の音楽を担当した坂本氏は、体調の影響もあり本作のために書き下ろされた楽曲は2曲のみとなっている。とはいえ全編に散りばめられた音楽は紛れもなく坂本氏によるものであり、過去にリリースされたアルバムの「BTTB」から「aqua」、「out of noise」から「hwit」と「hibari」、「12」から「20220207」と「20220302」が使用された。
予告編でも異彩を放ったピアノの旋律が印象的な書き下ろし曲「Monster 1」は、本編を観ればわかるとおり劇中でもたびたび聞こえてくる。予告編を目にしていればしているほど必然的に耳が聞き留めるため、その相乗効果を狙った采配ならなんとも心憎い。
さらに興味深いのが「どんな場面で」「誰のために流れているのか」、同じ曲なのにシーンによってそれぞれ表情が異なって聞こえてくる点だ。そのように耳に届く映画音楽というものは、記憶をたどっても類似例がすぐに思い出せない。
サウンドトラックに収録された「Monster 1」と同じく書き下ろしの「Monster 2」を除いた5曲は既存曲ながら、作品を観ていて映像・物語からずれているとは一切感じさせないのだから驚かされる。たとえば「20220207」は内面の不安定さや唐突に生まれて広がる波紋を、「hwit」は細く繊細な糸がいつぷつりと切れてしまうとも知れない焦燥感を内包しているように思える。
そして美しい旋律とピアノの音色に心を奪われる「aqua」は、『怪物』のために作曲されたような俯瞰性の強い楽曲。同時に真水のように清らかで優しく、護られなかった者たちに対する「救い」に涙が止まらなくなる。
誰もが知る“戦メリ”のテーマ
坂本氏のディスコグラフィにおいて、映画音楽の歩みは1983年から『怪物』の2023年に至るまで40年にわたった。そんな坂本氏の功績を振り返る時、世代や親しんだジャンルによって坂本氏の見せる表情がそれぞれ異なっているのではないか。
先鋭的なサウンドを生み出したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)メンバーとしての顔。「ウラBTTB」をヒットさせたピアニストとしての顔。時にはバラエティ番組にも出演するお茶目な顔。そして映画音楽作曲家としての顔……。
筆者にとって坂本氏の存在は、極々自然に自分の中にあったと思う。YMO世代ではないにせよ、子供の頃から「すごく有名なミュージシャン」という知識は(いつの間にか)当然のようにあったのだ。その後映画音楽に目覚めた影響もあり、テレビから流れてきた大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』の音楽に感動した覚えがある。必然的に、初めて購入した坂本氏のサウンドトラックが『戦メリ』となったことは言うまでもない。
そもそも『戦メリ』という作品自体とても衝撃的だった。捕虜収容所を舞台に描かれる不条理な世界を男性俳優のみで描き、東・西洋文化の対立と迎合の象徴的存在ともいえるセリアズ役のデヴィッド・ボウイのあまりの美しさに目を奪われた。同時に、セリアズに惹かれていくヨノイ大尉を演じた坂本氏の演技と音楽にはいまも胸を揺さぶられてしまう。
坂本氏はオファーを受けた際、映画に出演するなら音楽も担当させてほしいと交渉したという。結果的に『戦メリ』のテーマ曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」が後世に残る名曲となったことはご存知のとおり。とはいえこの曲、実はシンプルなメロディラインでたとえばピアノの教養がなくても人差し指演奏なら楽譜なしでもなんとかたどることができる。ソースは筆者だ。
逆にシンプルだからこそ映像から浮き立ち、音楽だけが独り歩きするおそれがある。それでも大島監督は映画音楽初挑戦の坂本氏が提示した楽曲を拒まず、音楽が物語を引き立て、物語もまた音楽を引き立てる役目を果たした。
日本人初となるアカデミー賞作曲賞を獲得
(C)Recorded Picture Company坂本氏のディスコグラフィを語る上で、オスカーを獲得した『ラストエンペラー』を外すことはできない。清朝最後の皇帝・溥儀がたどった激動の人生を情感豊かに描いた本作の監督は、イタリアの名匠ベルナルド・ベルトルッチ。坂本氏は陸軍軍人・甘粕正彦役で出演も兼ねており、音楽はデヴィッド・バーン、スー・ソンとの共作となった。
幼少期に即位した溥儀の人生を描く作品だけに、3人体制で制作した楽曲はいずれもドラマチックなものばかり。とりわけ坂本氏作曲の「First Coronation」はオーケストラに中国の古典楽器を取り入れ、スクリーンに刻まれた映像に一層オリエンタルな雰囲気を醸成することに成功している。威光を感じさせるメロディから、そのまま溥儀の波乱づくめの人生を想起させる壮大なサビへと雪崩れ込む構成は見事という他ない。
なお本作のアカデミー賞作曲賞の獲得は、2作品同時ノミネートを果たしたジョン・ウィリアムズ(『太陽の帝国』と『イーストウィックの魔女たち』)やエンニオ・モリコーネ(『アンタッチャブル』)らを押さえての快挙。ベルトルッチ監督と坂本氏は、その後も『シェルタリング・スカイ』や『リトル・ブッダ』でもタッグを組んだ。
これも余談だが、本作の音楽にはロンドンでのミュージック・プロデューサーとしてハンス・ジマーが、東京ではのちに『ヘルタースケルター』『のぼうの城』などを手がける作曲家・上野耕路が編曲で参加している。
その後坂本氏とジマーが再びコラボする機会はなかったものの、ジマーが音楽を担当した『ブラック・レイン』の一場面(クラブでのシーン)で坂本氏の楽曲「Laserman」を使用。本曲は「和の音楽」というより世界から見た「ザ・ジャパン」というようなシンセサウンドに仕上がっており、同作サウンドトラックにも収録されている。
地を這い匂い立つようなサカモトサウンド
オスカーを獲得した坂本氏は「世界のサカモト」と称され、その後も『スネーク・アイズ』『ファム・ファタール』(いずれもブライアン・デ・パルマ監督)などの音楽を担当したほか、『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)、『アフター・ヤン』(コゴナダ監督)といった海外作品に楽曲を提供。
中でもイニャリトゥ監督から指名を受け、アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)と共作した『レヴェナント:蘇えりし者』における音楽の存在感は飛び抜けて大きい。本作は西部開拓時代のアメリカを舞台に、実在した探検家ヒュー・グラスの過酷なサバイバルを描いた作品。自然光のみで撮影された映像美や、主人公グラスを演じたレオナルド・ディカプリオに悲願のオスカー像をもたらしたことでも知られている。
本作における音楽は、たとえば『戦メリ』や『ラストエンペラー』のような明瞭なメロディを徹底的に排除しているのが特徴。そのため感情にダイレクトに飛び込んでくるのではなく、あくまで効果音的に映像を補完し、そして寄り添い続ける。
メロディを排したとはいえ各楽曲は地を這うように重々しく、さらながらスクリーンからグラスが苦汁を飲み続けた泥臭さが漂ってくるような印象が強い。そういった意味では、たとえ映像を見ていなくても音楽を聴くだけでその情景が「見えてくる」のだ。
ちなみに本作の音楽には、のちに『ジョーカー』でアカデミー賞作曲賞を獲得したヒドゥル・グドナドッティルがチェロ奏者としてクレジットされている。早逝した作曲家ヨハン・ヨハンソンの愛弟子である彼女は、坂本氏の音楽からも影響を受けていることを公言。
2022年11月にリリースされたアルバム「A TRIBUTE TO Ryuichi Sakamoto - To the Moon and Back」に参加していることからも、坂本氏に対するリスペクトがうかがえる。
実現した『戦メリ』大島渚監督との再タッグ
坂本氏が担当した邦画作品も多く、大島渚監督作の『御法度』や三池崇史監督の『一命』などが有名なところ。また村上春樹の短編小説を映画化した『トニー滝谷』(市川準監督)やアニメ映画『さよなら、ティラノ』(静野孔文監督)を担当するなど、作品の大小に関わらずジャンルは多岐にわたった。
特に『御法度』は『戦メリ』以来となる大島監督×坂本氏のタッグ作品。出演はせず音楽のみに専念しているとはいえ、映画史に残る作品を生み出したコンビの新作とあれば否が応でも期待は膨らむもの。加えて歴史作品の中でも人気の高い新選組を題材にしており、松田優作の息子で本作がデビュー作となる松田龍平をいきなりメインどころに抜擢したことでも注目を集めた。
さらに新選組を描くにあたって土方歳三役の主演・ビートたけしを筆頭に、浅野忠信、武田真治、映画監督として知られる崔洋一氏、田口トモロヲら豪華キャストが実現。つまり『戦メリ』の大島渚監督×音楽・坂本龍一氏×ビートたけしの3人が集まった作品ということになる。
本作は新選組内での淫靡な関係性が赤裸々に語られ、松田演じる美貌の新人隊士・加納惣三郎を物語の渦中に据えた。そういった意味では、言葉で表現することが難しい神秘性を備えた松田の起用は見事というほかない。
そんな作品に坂本氏が用意した音楽は『戦メリ』とは明らかに方向性が違い、曲単体で聴くと難解に感じる部分も多い。とはいえテーマフレーズを含んだ7分弱の「Supper」に現れているとおり、端々に「坂本龍一らしさ」が散りばめられていることがわかる。
『戦メリ』を映画音楽として敢えて「荒削り」と表現するなら、『御法度』は長い年月を経て熟成した坂本氏がたどり着いたひとつの到達点。時代劇という尺度に囚われない作曲スタイルと多彩な楽器が物語、ひいては惣三郎という不可解にして魔性の人間を際立たせることになった。
耳に残る『星になった少年』の音楽
坂本氏が携わった作品でとりわけ筆者の耳に馴染んで離れないのが、柳楽優弥主演『星になった少年 Shining Boy and Little Randy』(河毛俊作監督)の音楽だ。本作は「ちび象ランディと星になった少年」を原作とした実話ベースの物語で、ゾウ使いになるべくタイへと渡った坂本哲夢氏を主人公に周囲の人物や動物たちとの交流を描いた。作中に登場する動物プロダクションは現在「市原ぞうの国」として千葉県市原市に位置しており、知らず知らず同園を訪れたという動物好きの映画ファンもいるかもしれない。
柳楽が演じた哲夢氏は作中にもあるとおり、タイから帰国した日本で20歳の時に事故で亡くなっている。その事実を踏まえてタイトルを見ると胸に迫るものを感じるが、物語と同様本作のために作り上げられた楽曲も心にすっと染み入るほど美しい。坂本氏のディスコグラフィにおいてはメロディをはっきり押し出した作品であり、夭逝した哲夢氏のもとに吹く風のような居心地の良さや無垢な人柄を感じさせてくれる。
例えるなら『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽が地の底を覗き見るような音楽だとすれば、『星になった少年』は見上げた宙の深遠から降り注ぐような音楽というイメージ。本作ではテーマ曲のフレーズが要所要所で顔を覗かせており、夜空やタイの原風景、そして意思を通わせる哲夢とゾウといったカットに重なる。まさに森羅万象に通じる音楽というべきか。
ふと横を見れば坂本氏は同じ地平で音を奏でているのに、手の届かない遥か遠くから音楽が耳元に届くような奥深さがある。
まとめ
映画音楽に限らず、数々の名曲を生み出してきた坂本龍一氏。月並みな表現であるとわかっていても、その音楽と功績はいつまでも残り続けると断言できる。「坂本龍一の新曲」を今後聴くことができない寂しさは計り知れないほど大きいが、坂本氏の遺した音楽に触れることで見えてくる特別な景色があるのではないだろうか。
(文:葦見川和哉)
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