© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

<考察>『オオカミの家』アリ・アスターが惚れ込んだ闇のアニメ

▶︎『オオカミの家』画像を全て見る

8月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開となった『オオカミの家』。本作は、シンガーソングライターの星野源や『ミッドサマー』を手がけたアリ・アスターを虜にしたチリのストップモーションアニメである。

星野源は昨年、YouTubeチャンネル「わしゃがなTV」に出演した際に本作を紹介。

「何も言わずに観ましょうって感じです」とマフィア梶田、中村悠一と共に鑑賞。衝撃的な世界観を共有していた。

アリ・アスターは本作に惚れ込み、クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャの次作『骨』の製作総指揮に名乗りを上げた。さらにはアリ・アスターの新作『Beau is Afraid』において、アニメパートをこの二人に依頼したのだ。実際に『Beau is Afraid』を観ると随所に『オオカミの家』や『骨』の要素が散りばめられている。

今回はそんな『オオカミの家』を掘り下げていく。

[※本記事は広告リンクを含みます。]

▶︎『オオカミの家』Blu-ray初回生産限定豪華版 予約受付中!<4月12日発売>

【関連記事】「死ぬまでに観たい映画1001本」全作品鑑賞者による注目作品“7選”

ワンシーン・ワンカットの異様さ



なんといっても驚かされるのは、ストップモーションアニメにもかかわらず長回しに見えることだろう。

家の中が次々と変容してくる。壁に描かれた豚が、ボールを飛ばしてくる。二次元と三次元の垣根を越えながら、得体の知れない悲しみや怖さを表現していく。

ストップモーションアニメが一般的なアニメと異なるのは、実在するものを使用しながら非現実的な運動を実現するところにあるが、『オオカミの家』では終始「どのように撮ったのだろう」といった好奇心が刺激される。

家具が色を変えながら移動していく様、便器が変形していく様、白と黒の絵の具を使い分けることによってスポットライトの質感を表現するなど次から次へと予測不能な動きをしていく。

チェコアニメの哲学を引き継いだ演出

■チェコのストップモーションアニメに隠されているもの

(C)CONDOR FEATURES. Zurich/Switzerland. 1988

ストップモーションアニメが好きな人なら、ヤン・シュヴァンクマイエルの作風を思い浮かべることだろう。星野源もYouTube動画の中で彼の作風とリンクさせていた。

ヤン・シュヴァンクマイエルは『アリス』『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』など実写とアニメを組み合わせたストップモーションアニメを作る監督だ。チェコのストップモーションアニメはイジー・バルタやカレル・ゼマンなど実在するものを使って非日常を描くのに長けている。

チェコがこの手の芸術に強いのは、17世紀以降、オーストリア=ハンガリー帝国、ナチス、ソ連軍と支配の歴史が続いており、ダークユーモアを用いて閉塞感を中和させていたことにある。18世紀~19世紀には人形遣いマチェイ・コペツキーによる風刺劇が人気を博した。これは人形劇が持つ操る/操られるの関係を使って政治批判をコメディに落とし込んでいる。

またカレル・チャペックは「R.U.R.」でロボットに労働を任せた結果、子どもが生まれない社会が到来し、ロボットの反乱によって人類が支配されてしまう作品を放った。本作では生産性を追い求める社会を風刺している。

ヤン・シュヴァンクマイエルはインタビューで次のように語っている。

チェコ人は正に、ヨーロッパの中心部に位置する小さな民族です。古くから大きな民族の権力的な関心が交錯してきた場所です。チェコ人は自らの存在の大部分が他の民族の支配下にありました。こうした場合において、国民は宗教的な気遣いになるか、ブラックユーモアに陥るしかないのです。チェコ人の場合は、幸いにその二つ目でした。チェコ人にとって、これは防塞、そしてアイデンティティを保つ為とも言える手段です。

(「悦楽!触覚のアニメーション シュヴァンクマイエル」より引用)

チェコの芸術はこのように、支配の歴史の中で人形劇や文学、映画などを使ってブラックユーモアに包んできた歴史がある。

ストップモーションアニメの場合、チェコの伝統的人形劇が持つ操る/操られるの関係性から閉塞感を抱える社会を捉えていく様を継承。滑稽な不気味さの中にチェコ人が感じている閉塞感が隠されているといえる。

■チリの凄惨な歴史をどのように表現しているのか?


『オオカミの家』では、ピノチェト軍事政権時代に西ドイツを追われたパウル・シェーファーが設立したコミューン「コロニア・ディグダ」で発生した惨劇を映画化している。だが映画の中では抽象化されており、コロニア・ディグダの物語として観ると難解である。

監督は本作を「チリという国の、服従、信念、人種、そして外界との関係といったあらゆる強迫観念を投影するもの」と捉えている。映画全体に立ち込める悪夢のような空間が得体の知れない不安を引き出す。恐らく、初めてこの作品を観た人であれば、子どもたちが悲しそうな顔をしているのだが、その原因がどこにあるのかが掴めず、宙吊りにされたような不安を抱くことだろう。


このように抽象化した表現で不安を描くことにより、コロニア・ディグダの問題だけではなくチリ社会が感じる閉塞感として捉え直しているといえる。

まさしくチェコの芸術が、ダークユーモアを用いて社会を捉えようとしたことと類似しており、ヤン・シュヴァンクマイエルの作風を無意識に思い浮かべる要因となっているのだ。

アリ・アスターが惚れ込んだ理由とは?


ところで、アリ・アスター監督はなぜクリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャに惚れ込んだのだろうか。

もちろん、『オオカミの家』が凄まじい映像表現の洪水になっていることもある。だが、他にも理由はあるように思える。

鍵となるのはカナダの実験映画監督、ガイ・マディンである。アリ・アスターは映画学校に通っていた頃にガイ・マディンの作品と出会い、彼の作品を真似した短編を2本制作した。その後、リンカーン・フィルム・センターでガイ・マディン作品の企画上映を行うぐらい惚れ込んだ。

『Beau Is Afraid』でも『臆病者はひざまずく』『Stump the Guesser』を引用したと発表している。



ガイ・マディンの作風は独特だ。ショッキングなサイレント映画のフッテージを発掘したような質感にこだわった作品が多い。

『臆病者はひざまずく』では、本能を制御できない男が女の乳房や尻を鷲掴みにしようとする様子が描かれている。映画史から忘れ去られたショッキングな映像を目撃してしまったかの様な作品に仕上がっている。

『Stump the Guesser』では、読心術が使えなくなりライセンスを剥奪された男を描いたサイレント映画。随所にサイレント映画時代ではあり得ない様なサイケデリックな画が散りばめられている。

『The Forbidden Room』では、朽ち果てた様な粗い画の中で潜水艦と繋がる様々な地獄が展開されていく。本作はトーキー映画ではあるが、サイレント映画時代の装飾付き字幕を散りばめている。

このようにガイ・マディンはまるで別次元から掘り起こしてきたようなサイレント映画を作る監督なのだ。

『オオカミの家』も彼に似たような演出がある。それは冒頭だ。コロニア・ディグダでこのアニメーションが発掘される。コロニアのことを発信したいシェーファーの手によって公開された設定が語られるのである。フッテージを発掘した設定の中で物語を繋いでいくアプローチはガイ・マディンと類似している。

『骨』© Pista B & Diluvio, 2023

そしてアリ・アスターが製作総指揮に入った『骨』でも踏襲されている。2023年に世界初のストップモーションアニメがチリで発見されたという設定で死者が復活していく過程を描いていくのだ。サイレント映画として描かれているため、レオン&コシーニャがアリ・アスターを通じてガイ・マディンと出会った作品と捉えることができる。



『Beau Is Afraid』では実写とアニメが交わるようにして、ホアキン・フェニックス演じる悪夢によって虚実が曖昧となっている世界を演出していた。アリ・アスター自身も部屋の中が不自然に軋み、にじり寄るように浸水し、別次元と繋がる演出など『オオカミの家』のような演出を試みようとしている場面がいくつか存在した。

レオン&コシーニャの次作は実写とアニメを組み合わせた『Los Hiperbóreos』とのこと。アリ・アスターのもとでパワーアップしたふたりはどのような世界を魅せてくれるのか楽しみである。

(文:CHE BUNBUN)

【関連記事】「死ぬまでに観たい映画1001本」全作品鑑賞者による注目作品“7選”

参考資料



U-NEXT

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

RANKING

SPONSORD

PICK UP!