『碁盤斬り』草彅剛という稀有な俳優
草彅剛という稀有な俳優を、どう言い表せばいいのか。
彼の演じる役柄を見ていると、「この人は本来こういう人ではなく、これは演技である」ということを忘れてしまう。
トーク番組やバラエティ番組で見る彼は、明るく無邪気で時折「酔っぱらってる?」と勘ぐってしまうようなテンションだ。だがひとたび役柄に入ると、その明るく無邪気な「つよぽん」臭は、微塵も残らない。
『任侠ヘルパー』(2012)では、生まれや育ちのせいでヤクザになるべくしてなったヤクザに、『ミッドナイトスワン』(2020)では、生まれついての性的マイノリティに、大河ドラマ「青天を衝け」(2021)では、徳川御三家の御曹司として生まれ、最初から将軍となることを運命づけられていた男に、それぞれ見えてしまうのだ。
“カメレオン俳優”とか、“憑依系”とか、どんな言葉を当てはめても陳腐に感じてしまう。“演技者”というカテゴリーにすら、当てはめてはいけない気がする。
草彅剛は、その役柄を演じているわけではなく、一時的に“憑依”させているわけでもない。生まれた時から、その役柄の人物として生きてきたとしか思えないのだ。
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草彅剛とサムライ
そして、5月17日(金)より公開中の『碁盤斬り』において、草彅剛は、囲碁が得意で清廉潔白な浪人侍を演じている。いや、浪人侍として“生きている”。
そもそも、草彅剛と堅物で真面目な侍は相性がいい。『BALLAD 名もなき恋の歌』(2009)や、先述の「青天を衝け」における侍は、もう涙が出るぐらいにサムライだった。
同じくサムライが似合う俳優に、岡田准一がいる。彼の場合、素の岡田准一の時からサムライ然としている。一方で素の草彅剛からは、一切サムライの匂いはしない。どちらかと言うと、真逆のパーソナリティだ。でありながら、サムライ役の時は、武士の家で生まれ育った男にしか見えない。
夜の井戸端でもろ肌脱ぎになり、体を拭き清めるシーンがある。その際に見える月明かりに照らされた上半身は、美しく引き締まっている。少年時代から何年も愚直に毎日欠かさず木刀の素振りを繰り返せば、こんな体になるのではないか。そんな想像をしてしまう体だ。日本刀を擬人化したような、下手に触ると斬れるような、美しさの中に怖さを孕んだ体だ。
不逞の輩に日本刀を突き付けられるシーンがある。もちろん動じない。それどころかその切っ先に向かってずんずん前進するものだから、相手は慌てて刀を引っ込める。「この輩には実際に斬る度胸はない」ことを見越しての行動だろうが、恐ろしいまでの胆力だ。
「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みゆけばあとは極楽」という教えを地で行く行動だ。そもそもこちらは刀を抜いていないので、切り結んでさえいない。
『碁盤斬り』
今作は、『凶悪』(2013)や『孤狼の血』(2018)の白石和彌監督初の時代劇である。古典落語『柳田格之進』に復讐譚をミックスした、リベンジ・エンタテイメントだ。
“浪人・柳田格之進(草彅剛)は、妻を喪い、ある事情により旧藩を追われ、娘・お絹(清原果耶)と貧乏長屋で暮らしている。ある日、かつての同僚藩士から妻の死の真相を聞かされた格之進は、復讐の旅に出る……”
“リベンジ・エンタテイメント”と銘打ってはいるが、この物語の前半部分はとにかく美しい。
貧乏浪人・格之進と質屋の大旦那・萬屋源兵衛(國村準)の囲碁を通じた友情。あこぎな商売により”鬼のけち兵衛”と呼ばれていた源兵衛だが、格之進と触れ合ううちに”仏の源兵衛”へと変わっていく。
萬屋の手代・弥吉(中川大志)とお絹の淡い恋や、なにかとお絹を気にかけてくれる吉原の大女将・お庚(小泉今日子)とのふれあい。
草彅剛が、清原果耶が、中川大志が、國村準が、小泉今日子が、それぞれ醸し出す古き良き日本の“和の世界”が、あまりにも美しすぎた。大げさではなく、自然と涙が出た。「日本に生まれて良かった」と思った。
だが白石和彌が、ただの美しい人情譚で話を終わらせるわけがなかった。
リベンジ・エンタテイメント
格之進のかつての同僚・梶木左門(奥野瑛太)が現れてから、物語の雲行きは一気に怪しくなる。左門から妻の死の真相を聞かされた格之進は、左門とともに仇討ちの旅に出る。
仇の名は柴田兵庫。演じるのは斎藤工である。彼もまた格之進の同僚藩士だったが、今は藩を出奔し、浪々の身だ。月代は伸びて総髪となり、無精ひげも伸びている。
元来、斎藤工とは“色気の化身”であり、色気で飯を喰っているような俳優である。落ちぶれてこ汚くなったはずなのに、その姿からは尋常でない色気が漏れ出している。
一方で格之進も、長旅ゆえに月代もひげも伸び放題であり、頬もやつれ、こちらは鬼のような“凄み”を携えている。
色気VS凄み。『椿三十郎』のような決闘になるかと思ったら、勝負はお互いに得意な囲碁でつけることとなる。賭けるのは、お互いの首だ。
古来、賭け将棋や賭け麻雀を描いた映像作品、小説、漫画には名作が多い。余談だが、白石監督自身、賭け麻雀映画の傑作『麻雀放浪記』(1984)のリメイク版『麻雀放浪記2020』(2019)を撮っている。この作品で主人公・坊や哲を演じているのが斎藤工である。相変わらず色気が漏れ出していた。手づかみで目玉焼きを食べるシーンもセクシーだ。
賭け将棋や賭け麻雀に比べて、“賭け碁”というものは馴染みが薄い。だが、負けず劣らずヒリヒリした緊張感に押しつぶされそうになる。
この勝負の顛末は、実際に劇場で確認してほしい。
本当のエンディング
詳細は書かないが、この作品、エンディングの草彅剛が大変かっこいい。もちろんそれで満足なのだが、特に今作が気に入った方は、脚本・加藤正人による原作小説「碁盤斬り 柳田格之進異聞」を読んでほしい。エピローグとして、映画のラストの10年後が描かれている。そのエピローグがあまりに素晴らしいので、ぜひ読んでほしい。
やっぱり、「日本に生まれて良かった」と思うはずだ。
(文:ハシマトシヒロ)
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