©2024「先生の白い嘘」製作委員会 ©鳥飼茜/講談社

『先生の白い嘘』知ってほしい、4人の俳優の“覚悟”

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同名漫画を原作とする映画『先生の白い嘘』が2024年7月5日(金)より公開中だ。

公式の触れ込みである「その感情は、あなたの中にもきっとある。男女の性の不条理に切り込む衝撃作」にはまったく嘘がなく、鑑賞後は周りを取り巻く世界や自分自身の認識が変わってしまうほどのインパクトがあった。

インティマシー・コーディネーターを入れなかった問題の大きさ

まず、筆者個人は本作をとても応援したかったのだが、どうしても看過し難い、残念だという言葉でも足りないことを記しておきたい。7月4日にENCOUNTで掲載されたインタビュー記事にて、主演の奈緒からの「インティマシー・コーディネーターを入れて欲しい」という要望に対し、三木康一郎監督が「すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです」と答えていたことだ。

インティマシー・コーディネーターは、身体的接触のある性描写やヌードのシーンで、監督と俳優の仲介、精神のケアを行う職業。世界的に映画業界での性被害の問題が明らかになった今、性被害のために苦しむ女性の気持ちを描いた題材かつ、性暴力のシーンなどで俳優に大きな負担をかけることは明白な作品で、しかも主演俳優からの要望があったにもかかわらず、そのような判断がされたことに、大いに失望した。

三木監督は「女性として傷つく部分があったら、すぐに言って欲しいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました」と答えているが、それでいいという問題ではない。その「言える」環境のためにこそインティマシー・コーディネーターが必要であるのだから。

そもそも、インティマシー・コーディネーターは決して監督の邪魔をするような存在ではなく、円滑なコミュニケーションにもつながるはずなのだ。筆者自身も、本作のクレジットにインティマシー・コーディネーターがいないことに対して、疑問を持ち、考えなかったことを反省した。

主演の奈緒はもちろん、性暴力の加害者側を演じた風間俊介のためにも、インティマシー・コーディネーターは必要だっただろう。三木監督および、この判断に関わった方たちに、猛省していただきたい。

※7月5日に、公式サイトの「『先生の白い噓』撮影時におけるインティマシー・コーディネーターについて」と題したページにて、謝罪文が掲載された

以下からは、報道の前に書いた本作を称賛した記事となっている。後述する通り、俳優陣は覚悟を持って真摯に映画に挑んでいることがわかるので、だからこそインティマシー・コーディネーターが不在だった問題の大きさをより感じさせる。それも留意の上で、お読みになってほしい。

前置き:R15+指定納得の「痛み」を感じさせる内容に

本作は「刺激の強い性愛及び性暴力描写がみられる」という理由でR15+指定がされており、精神的かつ物理的な「痛み」を強く感じさせる内容でもあるため、あらかじめ予告編を観ておくなどして、ある程度の覚悟をもったうえで挑んだほうがいいだろう。



三木康一郎監督は、長い監督人生のなかで初めて自ら映像化を熱望するほど原作に惚れ込んでいたそうだ。原作の衝撃的な性描写から実写化は難しいといわれながらも、三木監督は粘り続けて、7年の月日を経て完成させたと言う。

NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」などの安達奈緒子の脚本の力も、とても大きかったことだろう。コトリンゴの音楽と、yamaの主題歌も、辛く、苦しく、苛烈な物語を「包む」ような優しさを感じさせた。



さらなる映画の特徴と魅力を、主演の奈緒を筆頭とする、俳優それぞれのコメントと共に紹介しよう。「俳優陣の覚悟があってこそ」の作品でもあることもわかるはずだ。

1:作品と共に苦しみ抜いた奈緒の闘い


主人公は「女であることの不平等さ」を感じつつも、そのことから目を背けて生きてきた高校教師。彼女は親友の婚約者との肉体関係を続けつつも、性の悩みを打ち明けてきた男子生徒と「性の不条理」について話し合うことになる。

その本音での会話劇は、たとえるなら「言葉での殴り合い」といえるほどのもの。お互いにトラウマを抱えた2人が口にする主義主張と、そこに「ズレ」がある様は苦しくもあるが、哲学的な問いかけは極端であると同時に、本質もついていて納得できるところもあるだろう。


原作漫画での主人公はもう少し毅然とした印象があったのだが、映画での彼女は初めから心に病を抱えている、いや精神が崩壊する一歩手前にすら思えて、演じている奈緒というその人のメンタルを心配してしまうほどだった。

その奈緒は、原作漫画と出会った時の衝撃を「埋もれてしまっていた誰かの叫びが自分の耳を突き抜けていくような感覚だった」と言い、「その誰かの一人である"美鈴"として、この作品と共に苦しみ、この作品と共に闘うことを心に誓い出演をお受けいたしました」と覚悟を語っている。

俳優として、作品と共に苦しみ抜いた奈緒の闘いがあったことは、本編からも間違いなく感じられるはずだ。

2:自身が愛せないかもしれない役を演じた風間俊介


主人公へ女であることの不平等さの意識を植え付けた張本人である、最低最悪という言葉でも足りない男を演じた風間俊介が、また凄まじかった。

この映画を観た後は、風間俊介というその人を今までと同じように観ることができなくなってしまうかもしれない。その言葉も、表情も、嫌悪感でいっぱいになる役柄だったのだ。

その風間俊介自身、自身の役についてこう語っている。

「今まで演じさせて頂いた役柄、全てに愛を持ってきましたが、今回『先生の白い嘘』のお話を頂いた時、初めて早藤という役を愛せないかもしれないと思いました。それと同時に、僕自身が愛せないかもしれない役を演じた時に、自分自身がどうなるかを知りたいという気持ちにもなりました。魂を擦り減らし、己と反発する感情と共に向き合った作品です。この作品が、誰かを鼓舞し、誰かを救う事を願っています」


劇中の役は極悪非道そのものだが、本人は「魂を擦り減らす」ほどに「己と反発する感情と共に向き合った」という風間俊介。

これ以上なく「大嫌いにさせる(だからこそ風間俊介というその人を好きになれるかもしれない)」ほどの役を演じるには、その言葉以上の覚悟と苦悩があったのだろう。

3:圧し潰されそうになったが真摯に向き合った猪狩蒼弥


奈緒と激しく話し合う男子生徒を演じた猪狩蒼弥も、幼さが垣間見える一方で、真摯に自身の葛藤や矛盾と向き合う様を見事に体現している。その覚悟は、以下の言葉からも見てとれるだろう。

「原作を拝読したとき、なんと心苦しく叙情的な話なのだろうと感じ、作品の中で生きる人物達の叫びに圧し潰されそうになったのを憶えています。そして同時に、本作のキーマンである新妻役を自分が務める事の重大さを再認識し、この難しくも絶対に目を逸らしてはいけないテーマに対して、真摯に向き合いたいと思いました」


猪狩蒼弥が演じるのは、まだ大人でもない、でも子どもでもない、これからの長い人生で「性」と付き合い続けることも悟っていく立場の少年だ。

劇中の彼が主人公との対話や、傷つきつつも学び成長していく姿は、俳優としての猪狩蒼弥の挑戦とも、部分的に一致しているだろう。

4:強い意志を持って自分自身を証明していく三吉彩花


さらに、主人公の親友を演じた三吉彩花も、原作および、映画の脚本(物語)への思い入れについてこう語っている。

「この作品で喜びや楽しさを見出すのは難しいのではと率直に思いましたが、だからこそ脚本を隅から隅まで読み、美奈子や登場人物たちの小さな喜びやその人の幸せ、そして叫びや意志を汲み取り自分自身に宿らせることが楽しくなるだろうと感じた脚本でした」

三吉彩花が演じるのは、おおむね明るく振る舞っているキャラクターで、苛烈な出来事や問答が多い劇中では一種の清涼剤的な役割ともいえる。ただし、彼女が「それだけではない」ことも、以下のコメントからもわかるだろう。


「彼女のような価値観や感覚がとても共感できる部分でもありながら、それと同時に寂しさや現実的な部分を美奈子によって見せられているような感覚でした。一見明るくポジティブに見える面も、奥には殻の中に閉じこもって迷っている美奈子がいるということ、そしてそれでも強い意志を持って自分自身を証明していく彼女の強さを是非感じていただけたら嬉しいです」

この言葉通り、彼女にも暗い側面があることは劇中のいくつかのシーンで匂わせている。そして終盤の「強い意志を持って自分自身を証明していく彼女の強さ」が表れた終盤のシーンは、人によっては共感ができないかもしれない。

しかし筆者個人としては、それほどまでに彼女の覚悟は強く、それを無下には否定もできないと、三吉彩花の熱演からも思わせたのだ。

奈緒の願いとは


主演の奈緒は、以下のような「願い」も語っている。

社会の中で弱者と強者という構図は、今もなおなかなか無くなりません。いつかそんな言葉さえなくなり一人一人が"自分"を受け入れられる世界を切に願っております

主人公は物語の冒頭から「私はいつも少し取り分が少ない方にいる」などとモノローグで語っており、もっといえば「負け続ける」自分を享受し、諦めてしまっている人物だといえる。それは、この社会で男性には(自分以外の女性にも)「勝てない」のだと、多くの女性が持ちうる感情なのかもしれないとも、想像することができた。

だからこそ、本作は男性にこそ観てほしいと思う。女性であることの辛さと苦しみがどれほどのものなのか。苛烈な性描写と問答があってこそ、文字通りに痛感できるからだ。それでいて「暴力的になり得る男性の性」の不条理さと、その問題にも向き合う姿勢も確かにあった。

さらに原作者の鳥飼茜からの、このテーマを描いたきっかけ、そして映画化への想いを綴ったメッセージも、とても誠実で切実なものとなっているので、ぜひ全文を読んでほしい。


重ねて言うが、R15+指定の性描写がある以上に、周りを取り巻く世界や自分自身の認識が変わってしまうほどの、衝撃作であり問題作だ。おそらく(特に終盤の展開は)賛否両論も呼ぶだろうが、それでいい。観るだけでなく、その後に考えたり、自分なりに答えを見つけたりすることで、真に完成する映画と言ってもいいだろう。

そうした確かな意義がある映画『先生の白い嘘』ではあるが、俳優それぞれが苦しみつつも役へと向き合った、これほどの痛みを感じさせる性暴力を映した作品で、主演俳優が希望するインティマシー・コーディネーターを採用しなかったことが、改めて大きな問題だと思える。

それもまた認識した上で、本作をご覧になるか否かの判断をしてほしい。

(文:ヒナタカ)

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