夏をエモーショナルに染める国産JK映画3本と海外少女映画2本

昔も今も少女をモチーフにした映画は後を絶ちませんが、「少女と自転車とキャメラがあれば、誰でも映画を撮れる」なんて言葉があるように、そもそも映画と少女は相性がいいのかもしれません。

さて、2019年=令和元年の夏も立て続けに少女を主人公に据えた国内外の映画が多数、日本でも公開されますが……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街401》

日本ではJKとも呼ばれるようになって久しい女子高校生たちの〝今”を真摯に捉えようと腐心したものが、海外作品はアーティスティックな象徴として少女を捉えたものが、どちらもエモーショナルに映えたものばかりなのです。

普通に生きたい少女の
破壊衝動『JKエレジー』

(C)2018 16bit.Inc 

まずは8月9日に公開されたばかりの『JKエレジー』(テアトル新宿他全国順次公開)から。

主人公は群馬県桐生市に住む高校3年生の梅田ココア(希代彩)。推薦で大学入学も大いに可能なほど成績は優秀なのですが、父親(川瀬陽太)はギャンブル狂で元漫才師の兄(前原滉)は現在ニートと、家にはお金が全くありません。

そんな彼女がみんなに内緒でやっているバイトが、形あるものを女性の足で次々と踏みつぶしていくさまだけを延々と撮影していく“クラッシュビデオ”への出演。

決してAVではありませんが、一部愛好家の性的嗜好欲求を満たす目的であることには変わりなく、また日頃ストレスまみれなこともあってか、ココアも撮影を通してモノを踏みつぶしていく行動には、どこかしら快感を覚えているようでもあります。

しかし、あるときバイトが学校にばれてしまい、それまで何とかバランスを保っていたココアの人生は一気に狂わされてしまうのですが……。

あまりにもクズな肉親たち(もう笑うしかないほどのひどさです)のせいでイライラは募り、また友人らの前では普通の高校生を装っていたい願望とそれゆえのストレスなどを、クラッシュビデオの撮影で晴らし続けていたココアの青春。

その破壊衝動の矛先は、やがて理不尽なものたちに向けられていきます。

ココアを演じる希代彩はこれが演技初体験とのことですが、普通の女の子でいたいという健気な願望が、やがて絶望と怒りを経て、クライマックスではある種のカタルシスを見る側にもたらしてくれるあたり、力強くも頼もしい新人が現れたなと感心することしきり。第25回スラムダンス映画祭では優秀演技賞を受賞しています。

監督は、これが劇場用映画デビューとなる松上元太。

音楽×少女の繊細な即興芝居
『無限ファンデーション』

続いて『無限ファンデーション』(8月24日より新宿K’s cinemaほか全国順次公開)。

主人公は、人付き合いが苦手ながらも服飾デザイナーを夢見る高校生の未来(南沙良)。

ある日彼女は下校途中のリサイクル施設から聞こえてくる澄んだ歌声に惹かれ、そこでウクレレを弾きながら歌う少女・小雨(西山小雨)と知り合います。

まもなくして未来が描いたデザイン画に目を止めた演劇部の面々に乞われて、彼女は学園祭で上演されるお芝居の衣装デザインを担当することになるのですが……。

本作がユニークなのは、シンガーソングライター西山小雨の《未来へ》を原案にしながらも、きちんとした脚本を作らずに粗筋のみをキャストに伝えて即興芝居させながら、思春期の繊細な揺れをリアルかつ自然なテイストで紡いでいくところにあります。

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(18)で好演して数々の新人賞を受賞した南沙良をはじめ、現代日本のインディペンデント映画界を支える若手が競うように好演。全ての基となった西山小雨の飄々とした存在感も功を奏し、またヒロインの母親役・片岡礼子のさりげないおおらかさも心地よいものがあります。

監督は『キャッチボール屋』(06)『お盆の弟』(15)の大崎章。とにもかくにも“即興”を通してキャストを信じる演出が映画に何某かのみずみずしさや緊張感をもたらし、さらには進行するにしたがって妙に予測不能な方向へどんどん転がっていき、最後の最後まで目が離せないスリリングさも特筆的なのでした。

海辺の町の高校に通う
少女群像劇『左様なら』

9月6日より公開の『左様なら』(アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開)はイラストレーター&漫画家として活躍中のごめんの原作を基に、海辺の町の共学高校に通う少女たちの青春群像を描いていきます。

平凡な高校生の由紀(芋生悠)は、ある日中学からの同級生・綾(祷キララ)から引っ越しすることを海辺で告げられ、しかしその翌日、綾が突然事故で亡くなったことを知らされます。

そこはかとないスクールカーストにまみれて久しいクラスの中の人間関係は、綾の死によってまた徐々に変化をもたらされ、やがて由紀は周囲から距離を置かれるようになっていくのですが……。

これまで数々のインディ系映画祭で受賞を果たしながら演出力を養ってきた石橋夕帆監督は、教室の中の息苦しさも海辺の開放感も、どちらも同等の日常的空間とみなしながら作品と対峙しているように思えます。

その空間は残酷で傷つきやすく、どこかしら甘酸っぱくも切なく、その中にたたずむ少女たちを(加えて、ここでは少年たちも)包み込んでいきます。

『JKエレジー』ではヒロインの友人を演じていた芋生悠、『Dressing Up』(12)で鮮烈な印象を残した祷キララをはじめ、ここでも生徒役のキャストひとりひとりが群像劇として見事に屹立していて、特にイジメる側のボス格・結花役の日高七海はドスを利かせた存在感が味わい深く、そういえば彼女も『無限ファンデーション』に演劇部先輩役で好演していました。

このところ映画もドラマも学園を舞台にしたものが増えていて、その分若手俳優の出番も多くなっているように思えますが、今回ご紹介した3本も含めて、どれだけ未来の逸材が育っていくか期待したいところでもあります。

なお『無限ファンデーション』と『左様なら』はともに音楽×映画の祭典MOOSIC LAB(ムージック・ラボ)2018長編部門として制作されたもの。前者はベストミュージシャン賞(西山小雨)&女優賞(南沙良)を、後者はスペシャルメンション賞(日高七海)を受賞していることも補足しておきます。

母と娘の絆から描かれる
少女の孤独『マイ・エンジェル』

(C)PHOTO JULIE TRANNOY 

外国映画に目を向けますと、8月10日より公開されたフランス映画『マイ・エンジェル』(有楽町スバル座ほか全国順次公開/ちなみに本作は今秋閉館となる有楽町スバル座、最後の洋画ロードショー作品となります)があります。

南仏コート・ダジュールの浜辺にほど近いアパートに住むシングル・マザー、マルレーヌ(マリオン・コティヤール)は、8歳の娘エリー(エイリーヌ・アクソイ=エテックス)とふたり、定職にも就かず気まぐれな生活を過ごしていました。

しかし結婚式当日に自らの過ちでフィアンセに去られ、クレジットカードも使用不能になり、行き詰りながら次第に壊れていくマルレーヌは、ナイトクラブで出会った新しい男とともにエリーを残して忽然と消えてしまいます。

ひとりっきりになったエリーは、何と酒で孤独を紛らわしていくうちに、学校でクラスメイトからつまはじきにあい、街で不良どもにからかわれつつも、エリーの部屋の真向かいに住むアルベルトの息子で今は海辺のトレーラーハウスに住む青年フリオ(アルバン・ルノワール)に助けられるのですが……。

ここでは娘を愛しながらも現実逃避してしまう母親と、そんなダメママでも健気に待ち続ける娘の絆を主軸としながらも、次第に少女の孤独とその心の彷徨がメインに描かれていくようになります。

若き名優マリオン・コティヤールは、これが監督デビュー作となったヴァネッサ・フィロ自らが記した脚本を読んで出演を希望したとのことで、我が子を放置してしまう母親であるにも関わらず、不思議と嫌悪感を抱かせないのは彼女ならではの賜物かと思われますが、映画全体の印象としては、やはり後半ひとりきりになってからの8歳の少女の生きざまに全てを持っていかれてしまったかのような感があるのも正直なところです。

撮影時は本当に8歳だったエイリーヌ・アクソイ=エテックスの存在感は驚異的なほどで、大人顔負けのハードボイルド的雰囲気と、やはり子どもならではの愛らしき弱さを併せ持ちながらの佇まいは、まさに映画と少女の相性の良さを見事に体現したものであると断言できます。

またヴァネッサ・フィロ監督の凛とした演出と、コート・ダジュールのエレガントな雰囲気をお洒落に漂わせた映像センスが、本作をよりエモーショナルなものへと高めてくれています。

『聖なる泉の少女』が示唆する
自然、信仰、風土、自由……

(C)2017 BAFIS, UAB Tremora 

8月24日より岩波ホールにて公開されるジョージア(グルジア)映画『聖なる泉の少女』は、2017年度の東京国際映画祭で『泉の少女ナーメ』のタイトルで上映され、アカデミー賞外国語映画賞のジョージア代表に選ばれた作品でもあります。

舞台はジョージア南西部、トルコと国境を接するアチャラ地方の山深い小さな村。

そこには村人の心身の傷を癒し続けてきた聖なる泉があり、先祖代々その泉を守りながら治療を司ってきた家族がいました。

しかし儀礼を続けてきた父は、三人の息子がそれぞれ異なる道へ進んだことから、娘ツィスナメ(通称ナメ)に後を継がせようとしています。

しかしナメはたまたま村を訪れた青年に淡い恋心を抱くようになり、それとともに自分の宿命に思い悩みつつ事由に憧れるようになっていきます。

その一方、村の上流には水力発電所が建設され、その影響で泉に変化が……。

幽玄なる自然を静謐な美しさで示し続ける映像に伴い、ここでは一貫して静けさを保ちつつ、その中で生きる人々の信仰心やそれゆえの少女の心の痛み、対してそれを阻害するかのような発電所建設の描写など、自然と文明、伝統と破壊、信仰と自由、人と風土といったモチーフが、言葉少ない映像の力こそを駆使して切々と紡がれていきます。

1匹の魚が生命や信仰といったさまざまな事象の象徴として映えているのも大きな特徴のひとつ。

ジャンルとしては全くファンタジーではありませんが、どこかしらファンタジックな情緒を漂わせつつ、それゆえの生きとし生けるものの哀しみを描出させていきます。

ジョージアというおよそ3000年の歴史を持つ国の、特に20世紀末の激動と混乱などを知っておくと、より深く堪能することができるでしょう。

以上、国の内外を問わずジャンルも問わず、少女と映画の関連性を改めて痛感させられる秀逸な作品群をご紹介してみました。

でもふと思うに、やんちゃな少年たちの映画なんていうものも、本当はもっと作られてもいいかもしれませんね。

(文:増當竜也)

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    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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