『思い出のマーニー』はなぜ“百合映画”と呼ばれるようになったのか? もっと面白くなる5つのポイント


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スタジオジブリ映画『思い出のマーニー』。12歳の少女の内面を繊細に描き、ジブリ作品では珍しい“ミステリー”の要素もある本作を、もっと面白く観ることのできる5つのポイントをご紹介します。

※以下、核心的なネタバレは避けて書いていますが、劇中のセリフや展開に触れている箇所があります。これから映画を観る方はご注意ください。

1:マーニーが積極的にスキンシップをするのは“実在感”を描くため?


『思い出のマーニー』は“百合(ガールズラブ)映画”と呼ばれることもあります。その理由は、美少女2人が手を触れ合ったり、ハグをしたりするスキンシップが多いことと、「あなたのことが大すき。」のキャッチコピーが示している通り、愛情をダイレクトに伝えているシーンがあるからでしょう。



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主人公の杏奈は髪が短く、どちらかと言えばボーイッシュな雰囲気を持つ少女ですが、心を閉ざしているかのように内気です。対して、色白でおとなしそうに見えるマーニーは、実は開放的で積極的。この見た目と行動が対照的な2人のキャラクターの魅力も、百合ファンの琴線に触れているのではないでしょうか。

また、杏奈は大岩のおばさんに身につけていていたバッグと帽子を取ってもらった時に顔を赤らめていたり、マーニーからダンスに誘われて手をつないだ時に一瞬だけ引きつったような笑顔になっていたりと、そもそも“触れられる”ことに慣れていないように思えるところもありました(ただ、マーニーとダンスを始めたすぐ後、杏奈は心からの笑顔を浮かべています)。他者との関わりをなるべく避けて“壁”を作っていたような杏奈にとって、積極的にスキンシップをするマーニーはその壁を簡単に飛び越えてしまえるような、憧れのような存在だったのでしょう。杏奈が、マーニーのことを好きになるのも当たり前ですね。

さて、なぜマーニーがここまで積極的なスキンシップをするのか?と問われれば、マーニーのキャラクターとしての“実在感”を描くため、と考えられます。

原作小説の舞台はイギリスの田舎の村でしたが、映画では日本の北海道に舞台を移しています。そのため、杏奈から見たマーニーは“外国人”であり、「人里離れた“湿っ地屋敷”に住んでいて、夕方にしか会えない」というファンタジーめいた設定も手伝って、そのままではあまりにも“実在感”がないのです。



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だからでこそ、その浮世離れしている存在のマーニーが、杏奈と手をつないだり、ハグをしたりするという、直接的に“触れ合う”描写が必要だったのでしょう。事実、米林宏昌監督も原作小説の原題が「When Marnie was there」であることから、マーニーが“そこ(there)に居る”という感覚をもっとも重要視し、風が吹いた時のマーニーの服のなびきかたなどに力を込めて描いたと、やはり彼女の“実在感”へのこだわりを語っていました。

また、米林監督は原作小説に書かれてあった「(杏奈は)こんなにも誰かとくっついたことはありませんでした」という文言を読み取って、なるべくその“ドキドキする感覚”を映画でも写しとっていきたいとも考えていたそうです。おかげで、原作小説よりもスキンシップの描写および百合成分はパワーアップしているわけですが、これは米林監督の単なる趣味である可能性もあります(笑)。本作のメインスタッフはほぼ全員が男性だったそうですし、男性から見た理想の百合が存分に表れた作品とも言えるかもしれませんね。

なお、本作には百合映画と呼ぶことに対して「百合じゃないよ!」「百合と呼んでしまうことで内容を矮小化してしまっているのでは?」という、反論の声も耳にします。それは、最後に明かされる“(悲しさを伴った)真実”があるからなのでしょう。物語を大局的に見れば、単純な女の子どうしの友情だけでない、さらに普遍的な愛情や、心の成長が描かれているのですから、その意見も至極もっともです。でも、映画の見かたは人それぞれですから、他の人の色々な表現を知って、自分との印象の違いを知ってみるのも楽しいですよ。

2:オープニングだけで、杏奈の繊細な心情が存分に表れていた!


『思い出のマーニー』は、主人公・杏奈の心の変化を感じられることが大きな魅力です。特に、タイトルが出る前のオープニング、公園で絵を描いている杏奈の、細やかな心理描写には感動しました。

注目してほしいのは、杏奈が完全に心を閉ざしているわけではなく、むしろ他人の影響をしっかりと受けていること。例えば、杏奈は“滑り台の途中にいる子ども”を一度は描いたのに、すぐに消しゴムで消してしまっていたりします。これは、先生が別の生徒へ言っていた「動きの一瞬を捕らえるんだ」というセリフを、素直に絵に反映したからでしょう。

さらに、その先生に絵の様子を聞かれた杏奈は、「ちょっと失敗しちゃったみたいで」と消極的な物言いをしていましたが、先生に「見せてみろ」と言われると、頬を赤らめながらも絵を見せようとしていたのです。これは、別の生徒が「本当につきあっていたんだ」などと写生の授業と関係ない恋愛事情をしゃべっていたり、「エッチー!」と叫んで先生に絵を見せようとしなかったこととは対照的です。

杏奈は、養母の頼子が言っていたように、本来(小さい頃)は素直で表情が豊かだったのでしょう。しかし、思春期に差し掛かり、大人の顔色を伺うようになった杏奈は、その素直さと、表情がなくなってしまっている……でも本当は、誰かと“普通”に接したいのに!……その彼女の心情を、この一連の“絵を見せる”シーンで表現しきってしまっているのは、見事という他ありません。



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3:杏奈は反抗期?彼女の“笑顔”や“頬を赤らめる表情”に注目してみよう!


前述のオープニングの後も、杏奈が笑顔を見せたり、顔を赤らめたりするシーンに注目すると、彼女の本来の素直さや、“本当に思っていること”がわかります。例えば、杏奈は迎えに来てくれた大岩夫婦にとても丁寧な挨拶をしていましたが、頼子を“おばちゃん”と呼んでいたことに突っ込まれると、恥ずかしそうに顔を赤らめています。その後も、包丁の使い方や行儀の良さを大岩のおばさんに褒められた時も、杏奈はうれしそうな表情を浮かべていました。

その反面、杏奈は何でもなさそうなことを気にしすぎて、うつむいて無表情に戻ってしまうことも多くありました。夏祭りで浴衣を着ることを提案されて、「似合うわけがないのに」と独り言をつぶやきながら歩くシーンは、その代表ですね。

はっきり言って、杏奈は“反抗期”まっさかりでもあったのでしょう。電車の中で心配症の頼子のことを「メーメーうるさいヤギみたい」とギョッとするもの言いをしていたり、怒りにまかせて委員長の信子を「ふとっちょぶた」と言ってしまったこともあるのですから。杏奈は、そうした他者への敵意や反抗心も持ち合わせているのです。

ただ、杏奈はそうした“他人に対して失礼なこと”は極力言わないようにしているところがあります。「メーメーうるさいヤギ」も誰も聞こえていないところで言っていましたし、無口なおじいさんの十一を「熊かな」などと動物に例えても、それを口に出すことはありませんでした。「10年に一度しかしゃべらない十一!」など囃し立てていた男子たちとは対照的です。

そんな杏奈がちょっと変わったのは、小岩のおばさんに頼子のことを「だけどあの心配性は……何かあるたびに電話してきて、こっちはそんなに暇じゃないって言うと、メソメソしてさあ。あら、娘のあなたにこんなことを……」と正直なグチをこぼされた時のこと。杏奈はこの時に「とてもよくわかります」と笑顔を浮かべて答えているのです。

杏奈はこの時、ちょっとくらいの“悪いこと”であれば、言っても良いと学んだのではないでしょうか。正直で、相手を傷つけないことであれば、表に出して構わないと……。終盤、杏奈が心からの笑顔になっていたのは、マーニーに自分の暗い気持ちを打ち明けることができ、元々の素直な性格を表に出せるようになったためでもあるのでしょうね。

ちなみに、本作で脚本と作画監督を務めた安藤雅司は、杏奈の目の中にある瞳孔や影を細かく描くことで、“相手から読まれない”表情をしているように見せていたのだとか。杏奈の笑顔や頬を赤らめる表情だけでなく、瞳にも注目してみるのもいいかもしれませんよ。



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4:杏奈の気持ちを表している“空”にも注目!


ジブリ作品では、『紅の豚』や『風立ちぬ』など、ピーカン(快晴)の空が描かれることが多くあるのですが、『思い出のマーニー』では晴れとも曇りとも言えない、はっきりしない天気のシーンが多くあります。

米林監督によると、この曖昧な天気の空は、原作小説にある「静かな、灰色い、真珠のような感じの日」という記述を踏まえて映画に取り入れた、杏奈の心を表現したものなのだとか。はっきりしない印象の空は、心に殻を持っていて、誰とも打ち解けようとしない杏奈の気持ちそのものなのです。

この“雲と空が混ざりあったような真珠色の空”が、“(雲はところどころにあっても)真っ青な青空”へと変わる時が、終盤に訪れます。他にも、灰色の曇り空から“美しい光が差し込んでいる”シーンもありました。その時に、杏奈にどのような心変わりが起きたのか……それを想像してみると、さらに作品を奥深く感じられるかもしれませんよ。



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5:舞台は北海道の釧路地方!“聖地巡礼”に行ってみよう!



映画の『思い出のマーニー』の舞台のモデルとなっているのは、北海道の釧路、根室、厚岸など。その場所に訪れると、劇中のシーンに(ぴったりとは一致しなくても)そっくりな情景がたくさんありました。

・琵琶瀬展望台から見た霧多布湿原



・湯沸岬灯台



・真龍神社(劇中の七夕祭りのシーン)



特に、藻散布沼(もちりっぷぬま)では、池のところどころに小さな島が見えるという、“湿っ地屋敷”への道と同じような光景が広がります。カヌーのツアーを企画している民宿も数件あるので、泊まった次の日にカヌーで湿原を移動してみるのもいいでしょう。筆者はオートバイでこの地に向かったので、湿っ地屋敷にも似た湿原の中に佇む家屋をたくさん見かけたのもうれしかったです。

余談ですが、北海道では室内の温度を保つため、窓を2組使用する“二重窓”が使われていることが多くあります(筆者が泊まった民宿も全てが二重窓になっていました)。『思い出のマーニー』の湿っ地屋敷も二重窓になっており、髪をといてもらっているマーニーがまるで“牢屋”にいるように見えたり、マーニーが杏奈に思いを吐露する時に、2つの窓を“やっとのこと”で開けるといった演出に生かされていたりもするのです。

さらにもう1つ余談ですが、“神の子池”も“ジブリ映画らしさ”を感じられるスポットとしておすすめです。




エメラルドグリーンに輝く池はまさに『もののけ姫』の世界!ジブリだけでなく、北海道には他にも『僕だけがいない街』、『銀の匙 Silver Spoon』、『ガチ☆ボーイ』、『幸せの黄色いハンカチ』など、有名作品の舞台となったスポットがたっぷりあるので、映画ファンにこそ訪れてみてほしいです。

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(文:ヒナタカ)

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