後に歴史は語るだろう「2010年代は音楽映画のバブルであった」と
2010年代は劇映画・ドキュメンタリー問わず、音楽関連の良作・佳作が次々と製作され、ちょっとしたバブルのような状態になっている。もちろん、その前から助走期間はあって、マディー・ウォーターズやエタ・ジェームスなどを擁した「チェス・レコード」を題材にした『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語(08)』や、米シンガーソングライター、ジョニー・キャッシュと妻のジューン・カーターにスポットを当てた伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(05)』など、映画的にも資料的にも価値のある作品が作られている。
もちろんそれ以前にも『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(01)』、『ベルベット・ゴールドマイン(98)』、『ハイ・フィデリティ(95)』など、素晴らしい作品はたくさんある。そういう意味では『ジャズ・シンガー(27)』から走りっぱなしじゃねえか、という感もないではないが、過去のことは一旦おいて、本コラムではそんな「幸せな時期」に生まれた音楽映画たちを振り返ってみたいと思う。
そもそも、なぜ2010年代の音楽映画は豊作なのか
この件については複合的な理由が考えられるが、まず数百年前の偉人を扱う場合と違って、題材の資料が豊富で、関係者が存命の場合が多いことが挙げられるだろう。
そして、インターネット/SNS、その情報を利用して総合的に点数を付け、レビューも可能な映画批評サイトの一般的な広がり、つまり「誰でも簡単にツッコミを入れられ、文句を言える」状況の醸成と、その情報へのアクセスが簡単になったことも大きいと考えられる。
要は「時代考証などのエビデンスをきっちり取って脇を固めておかないと、四方八方から撃たれる」ということで、この功罪はさておき、監視の目が働いている故に、製作側も誤魔化しが利かなくなって来ているし、「しっかり作るんだ」と姿勢を正すことも増えているように感じる。
また、「そろそろ撮っておいた方が良いのではないか」、「そろそろ語ってもいいんじゃないか」といった、製作側の都合も無視できない。10年前や20年前には撮れなかったり、そこまで意義を持たなかったりした題材が、時間を経ることで「今、撮られる/語られるべき」物に変化することは、往々にしてある。
他にも理由は様々で、複雑な構造の上に成り立っているのが現状であろうが、本題ではないのでこれ以上は触れないこととする。その流れのなか、2010年代には、どのような映画が製作されたのか。
2010年代の音楽映画(ドキュメンタリー編)
2010年代の音楽映画、特にドキュメンタリーの特徴としては、『ファインディング・フェラ(14)』、『キューバップ(15)』、『CRASS:ゼア・イズ・ノー・オーソリティ・バット・ユアセルフ(14)』など、まるで「興味がある奴だけが観ればいい」とターゲットを絞ったかのように、痒いところに手が届く作品が多く作られている。
そのなかでも、骨形成不全症という障害を抱えながらも「フランス最高のジャズピアニスト」と謳われた、ミシェル・ペトルチアーニの生涯を追った『情熱のピアニズム(11)』は異彩を放つ。
監督のマイケル・ラドフォードは、あくまでペトルチアーニを一人のミュージシャンとして、徹頭徹尾扱っている。また、誤解を恐れずに言えば「異型」であるペトルチアーニの言動や行動の数々は、私たちの障害者に対する考えを一変させる。一体誰が、彼の姿や演奏を見て、酒や薬は当たり前、泣かせた女は星の数的な、まるで往年のジャズミュージシャン然としたような生き方を想像できるだろうか。
本作は差別や偏見を持っていないと思っている人でさえ、実は偏見を持っていたのだと強烈な気付きを突き付ける、そんな気付きでさえも、彼の音楽や技術の前ではスパイス程度にしかならない。紛れもない「音楽家」のドキュメンタリー作品である。
ドキュメンタリー映画の面白いところは、自分に興味がある題材について深く知ることができることはもちろん、今まで全く知らなかったことを知る喜びや恐ろしさを味わえる点である。
その確固たる作品といえば、「誰も知らなかった/忘れ去られてしまった」ミュージシャンに焦点を当てた『シュガーマン 奇跡に愛された男(12)』であろう。
1970年代にデビューしたシンガーソングライターのシクスト・ロドリゲスは、長い間人々に忘れ去られていたのだが、彼の残した一枚のレコードが、なぜか遠くの南アフリカで爆発的ヒットを記録していた。現地では「彼はその後自殺した」との噂がまことしやかに囁かれていたが、ネットの普及により、ファンが改めて調査をしたところ、なんと、彼がデトロイトにて生きていることを知ることとなる。
数十年の空白期間、ロドリゲスは何をしていたのか? そしてアフリカで何十万枚も売り上げたレコードの印税は、誰が懐に入れていたのか? 様々な謎がひとつひとつ解かれていく過程は、まるで上質のミステリ作品のようにスリリングだ。
シクスト・ロドリゲスのように、「今までスポットライトがあたらなかった」存在に光を当てたという点では『バックコーラスの歌姫たち(13)』も外せない。
ローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンなど、名だたる大物のバックで歌うことを生業とするバックシンガーに焦点を当てた本作は、メリー・クレイトン、ダーレン・ラヴ、リサ・フィッシャー、ジュディス・ヒルなど、多くの女性シンガーが登場する。
ロック・ポップ史に刻まれるような名曲を数多く録音している彼女たちであるが、音楽業界に搾取されて夢を打ち砕かれてしまったり、運やタイミングが悪かったり、何ならフィル・スペクターに騙されたりと、その境遇はまさに原題の『20 Feet from Stardom』の通りである。
しかしながら、彼女たちは底抜けに明るく、音楽を愛し、歌い続ける。こう書くと、まるで馬鹿みたいに単純なメッセージだが、それ故、本作は心を打つ。音楽、そして歌うということは強く、優しくて、何より愛のある行為なんだと教えてくれるような、普遍的な力を持った作品だ。
2010年代の音楽映画(劇映画編)
一方、劇映画はどうかと言えば、これもまた豊作も豊作である。例えば、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンの半生を描いた『ラブ&マーシー 終わらないメロディー(14)』では、伝説的名盤『ペット・サウンズ』のレコーディングの最中、ブライアンが孤立し、麻薬にハマり、精神的に追い詰められていく様子が描かれる。
映画は60年代と80年代を行き来し、ブライアンはそれぞれポール・ダノ、ジョン・キューザックが演じているが、音楽ファンが最も気になるのは、やはりアルバムの製作風景だろう。『ペット・サウンズ』の録音には様々な逸話があるが、当時の機材はもちろん、馬の代わりにバナナとルーイ(犬)がきちんと出てきたり、ミュージシャンの顔ぶれがやけに似ていたりと、細かいところまで考証が及び、かのユナイテッド・ウエスタンもしっかりと再現されている。
また、2010年代の音楽映画を語る上で、絶対に外すことができない作品が、『はじまりのうた(13)』と、『シング・ストリート 未来へのうた(16)』である。どちらも監督はジョン・カーニーで、双方素晴らしい。何ならこれらを紹介するために、この記事を書いていると言っても過言ではない。
『はじまりのうた』の舞台はニューヨークで、落ち目のプロデューサーであるダン(マーク・ラファロ)が、たまたまクラブで歌うことになったシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)の歌声に惚れ込むところから物語ははじまる。ダンはレコーディングをしようと画策するのだが、レーベルから予算が降りない。そこで路地裏から地下鉄構内、ニューヨークのありとあらゆる場所で録音をしようと試みる。
もし、人生に挫折したことがある、なんだか最近上手くいかない、得も言われぬ不安を抱えている人がいたら、ぜひご覧になって欲しい。この、どこまでもウェルメイドな傑作の原題は『Begin Again』である。
『シング・ストリート 未来へのうた(16)』も同様に、音楽・人間愛に溢れた大傑作で、1985年のダブリンが舞台だ。主人公のコナー・"コズモ"・ロウラー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は家庭の事情で転校したばかり。その学校の校門先で出会ったモデルのラフィーナ(ルーシー・ボイントン)に一目惚れし、彼女を口説くべく、バンドを結成しようとする。
メンバーを集め、曲を作り、音楽を通じて登場人物の誰しもが成長していくストーリーは、バンドを組んだことがある方ならば、もうこれだけでノックアウトされてしまう筈だ。また、登場人物全員が家庭や自己に問題を抱えており、これを音楽の力によって寛解させるという音楽療法的な側面も持っており、その効能は映画を観ている観客にも及ぶというとてつもない作品である。ぜひ、『はじまりのうた』とニコイチで観ていただきたい。
そんななか、2017年の音楽映画も相変わらず豊作である
いくつかピックアップして紹介してきたが、今年はどうだったのか。結論から言えば今年もかなりの豊作であった。以下、今年公開(日本で)の作品に限って列挙していく。
まず、「2017年の音楽映画と言えば何?」と訊かれたならば、筆者は迷わず『ベイビー・ドライバー』と答える。
今回、エドガー・ライトはキャリア史上最高の仕事をしたと思うし、『ショーン・オブ・ザ・デッド(04)』での「ドント・ストップ・ミー・ナウ」に動きをシンクロさせてゾンビと戦うシーンや、『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-(07)』でのアクセルを踏み込む場面など、過去作で培った手法を活かしたシーンの数々は、まるで車のホイールやiPodのホイールが回転するかのような「映画の循環」、「音楽の循環」を感じさせた。
また、マット・シュレーダーの手により製作された『素晴らしき映画音楽たち』では、ハリウッドの映画音楽に焦点を当て、ハンス・ジマー、ダニー・エルフマン等、一線で活躍する作曲家たちが、映画音楽の製作方法、苦労話などを惜しげもなく開陳している。また、音楽が人に及ぼす影響や、映画のシーンになぜ音楽が必要なのかなど、心理的な面から技術的な面まで、多角的に触れているのが嬉しい。そして、劇中で説明されてきた「全米を泣かせる技術」を映画のラストで実行するという試みは、音楽好きならずとも必見である。
ドキュメンタリーで言えば、ジム・ジャームッシュが盟友イギー・ポップに密着した『ギミーデンジャー』も好事家には刺さる出来で、ジムとイギーの長時間に及ぶセッションの末、新たなるイギー・ポップ像を創り上げることにすら成功している。
他にも、現在(11月30日)公開されている『永遠のジャンゴ』もなかなかの佳作で、第二次世界大戦のフランス占領下のパリを舞台に、伝説のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの知られざる物語を描いている。演奏シーンはもちろん素晴らしいが、ナチスによるユダヤ人に対するホロコーストの影に隠れがちな、ロマへおこなった同等の迫害や、占領下における彼等の生活様式などを丁寧に描き出した点は資料的価値も高く、後に良作音楽映画としてラインナップされるべき一作であろう。
音楽映画、映画音楽、そして選曲。2018年以降は如何に
今までの流れでいくならば、来年以降も多くの音楽映画が製作されるはずだ。また、音楽映画だけでなく、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(14)』のアントニオ・サンチェスによるドラムのみの劇伴や『メッセージ(17)』でヨハン・ヨハンソンが創り上げたコンセプチュアルな、まるで「表義文字」のごとき音楽のように、映画における音楽の、新しい可能性を切り開きはじめた作品も増えている。そして、何より今、『ベイビー・ドライバー』により、選曲のハードルはとてつもなく高くなっている。
これから先、どんな劇伴が、選曲が、そして音楽映画が産まれるのだろう、考えただけで耳がデカくなりそうであるが、今後も積極的に注目というか、注耳していきたい。というか、あるのかそんな言葉。
(文:加藤広大)
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