『スマホを落としただけなのに』「5つ」の注目ポイント!本当に怖い映画なのか?



(C)2018映画「スマホを落としただけなのに」製作委員会 


公開中の『スマホを落としただけなのに』は水準以上に楽しめる、“現代ならでは”の設定を活かした優れたホラーサスペンスでした。原作小説との比較も合わせ、その魅力を以下に紹介します。

1:「スマホを落とさなければ大丈夫」ではない?
原作小説から“十分に研究がされた作品”だった!


本作はタイトルでわかる通り、現代のスマートフォン(とSNS文化)をフィーチャーした内容です。特筆すべきは、原作小説を若手ではない1963年生まれの作家・志駕晃がデビュー作として書き上げたことでしょう。53歳(発表時)の著者が書いたとはとても思えないほど、スマホとSNSを毎日のように利用している生々しいアラサーの社会人の人間関係が生々しく描かれており、ジェネレーションギャップなど全く感じさせない内容になっているのですから。

書籍の最後の参考文献には『闇ウェブ』『フェイスブックが危ない』などのタイトルがズラリと並んでおり、本編もあらゆる角度からその危険性を提示し、時にはゾッとするほどに的確な比喩を交えて、SNSやスマホの知識がないという方にもわかりやすく書かれています。『スマホを落としただけなのに』の何よりの美点は、“SNSやインターネットリテラシーやサイバー犯罪を十分に研究した内容である”ということに他ならないでしょう。

さらに、“スマホを落としただけ”という物語の発端から、あれよあれよと悪い方向に事態が転がっていき、同時並行で連続殺人の謎を追うという内容は、やはりエンターテインメントとしておもしろく仕上がっています。映画版では、さらにスピーディーになった物語運びと、映像作品ならではの表現への置き換えなど、娯楽性と原作への敬意を両立した誠実なアプローチがなされていました。

それでいて、悪し様にSNSやスマホの文化を語るのではなく、その功罪をフラットな視点で描いていることも美点でしょう。スマホを落としてしまった、またはSNSのパスワードを単純なものにしすぎたといったことにより、危険な目にあう可能性があったとしても、やはりスマホとSNSはコミュニケーションにおいて便利なツールであり、現代人にとっては“無くてはならないもの”であることもしっかり描かれているのですから(そのこともまた怖いのですが)。

ただし、今回の映画版ではパスワード設定やその他SNSへの向き合い方があまりに“迂闊”であることが強調されているように感じてしまいました(このあたりの映画版の欠点については後述します)。映画だけを観てモヤモヤしてしまった、納得できなかったという方は、より詳細な描写が多い原作小説を読んで、“補完”してみることをオススメします。

余談ですが、『スマホを落としだけなのに』というタイトル通りの内容ではあるのですが、実は「スマホを落とさなければ大丈夫」ということではない、ということも重要です。“インターネットとSNS時代のあらゆる危険性”を多角的かつ包括的に描いた内容でもあるのですから(原作小説の最終選考時のタイトルは『パスワード』でした)。



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2:『リング』の中田秀夫監督によるアイデアが秀逸!
ヒッチコック監督へのオマージュも?


本作の監督が、中田秀夫であるということも重要です。その監督作で有名なのはやはり1998年の『リング』。あの“呪いのビデオ”のおどろおどろしさ、“貞子”というキャラクターの過去の悲哀と反比例するようなおぞましさなど、今でもジャパニーズホラーの最高傑作に位置付けられる名作と言っていいでしょう。実は本作『スマホを落としただけなのに』には、この『リング』のオマージュとも捉えられるシーンもあるのです。

それは、犯人と思しき男が白いサマードレスに長い黒髪のかつらをつけているということ。原作小説から犯人が長い黒髪の女性に執着していることは書かれているのですが、犯人がこのような女装をしているのは映画オリジナルの要素なのです。刀根鉄太プロデューサーによると「犯人が着ている白いサマードレスは、自分が母親になりきる母体回帰を象徴している(同時に犯人の顔も隠せるから一石二鳥)」とのことなのですが、かつらをかぶせたこと自体は中田監督からのアイデアとのことなので、おそらくは『リング』の貞子、またはその前身となるホラー作品『女優霊』(こちらも長い黒髪でワンピースを着た幽霊が登場する)のセルフパロディではないかとも思えるのです。

そして、やはり恐怖描写にも中田監督ならではの演出が活きています。“知らない間に犯人に盗撮されている”というゾッとするカットも中田監督のアイデアですし、中盤の“部屋に不審な誰かが近づいている”シーンもこれ以上のない緊迫感のある画になっていました。

また、中田監督は「ヒロインを北川景子さんに演じていただくことで、状況は最悪なのだけれど、同時に、洗練され、どこか優雅なテイストを持つ、ミステリーにしたいと思っています。そういう意味で、おこがましいですが、“ライバルはヒッチコック”を胸に、撮影に挑みます」とも語っています。

言うまでもないことですが、アルフレッド・ヒッチコック監督はサスペンス映画の開祖とも呼ぶべき人物です。本作『スマホを落としだけなのに』では、北川景子演じるヒロインの特異とも言える立ち位置や、“見る側”と“見られる側”それぞれの視点がスリリングに描かれるなど、やはりヒッチコックを意識したであろう、エンターテインメントに寄った演出が多く見受けられます。クライマックスの舞台が中田監督の発案で遊園地になったというのも、『見知らぬ乗客』のオマージュなのかもしれませんね。

また、犯人と思しき男がハワイアンの音楽を聴いているのも、中田監督とプロデューサーとの話し合いにより生まれたアイデアで、音楽そのものにリラックス感があっても、サブウーファーでの低音で観客に“怖いことが起きている”という感覚を与えるという意図があったのだとか。この音楽はドラマの『ツイン・ピークス』も意識しているそうですよ。



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3:映画版は“どこか安心できてしまう”内容?
原作小説のヒロインは“慎重派”だった!


そんなわけで、“SNSやインターネットリテラシーやサイバー犯罪を十分に研究した内容”と“ベテランの中田秀夫監督によるアイデアと演出”のおかげで、全体的には大いに楽しめる内容になっている映画版『スマホを落としただけなのに』ですが……正直に言って、ダメ出しをしたくなるポイントも少なくはありません。

何より気になるのは、端的に言って“あまり怖くない”ということ。その理由は、原作小説に比べて主要登場人物の“迂闊さ”があまりに目立ちすぎていること、犯人側からの視点が少なくなってしまっているということでしょう。

原作小説では、ヒロインの女性がSNSの情報公開やパスワードの設定について “慎重派”であることがかなり強調されています。犯人の男がどうにかして彼女の“隙”を探そうとするという描写も多く、「このくらいなら問題はないだろう」と甘く見ていたことが、まさに犯人の“思う壺”になってしまうことこそに恐ろしさがありました。映画版でも彼女がSNSへの写真のアップを躊躇するシーンはあったりしますが、(心理描写が少なくなったために)それ以外ではあまり慎重派には見えなくなってしまっています。

恋人の男がSNSへの向き合い方やパスワードの設定が単純すぎて、“辞書攻撃”をする犯人の術中にあっさりとハマってしまうことは原作小説でも映画版でも同じです。しかし、原作小説ではその迂闊さをヒロインに指摘されたり、自己批判的に振り返ることもありました。映画版ではそうした言及がかなり省略されているため、ある程度のネットリテラシーを持つ観客にとっては「今どき誕生日をパスワードにしたりしないよ!」などと悪い意味で呆れてしまうかもしれません。

何より、原作小説では犯人側からの視点で、そのおぞましい思考および、“誰でも”実行が可能なサイバー犯罪の手口が詳細かつ、たっぷりと描かれていました。対して、映画版では(限られた上映時間では情報量が少なくなってしまうので致し方のないところもありますが)犯人が都合のいい万能の力を持っているかのような、現実離れしているような印象をどうしても持ってしまいました。

もっと単純に言うのであれば、原作小説では「気をつけてもどこかで隙をつかれればあっという間にサイバー犯罪に巻き込まれてしまうんだ!」という危険性と恐怖をこれでもかと突きつけられたのに、映画版では「こんなことは現実ではさすがにあり得ないかな(自分は大丈夫だな)」と“どこか安心できてしまう”ところがあったのです。

ちなみに、原作小説では犯人の男の視点から「SNS上で個人情報を晒すなんて、自殺行為に等しいと男は思っていた」や「自分の誕生日を(銀行の)パスワードに設定するのは、泥酔した女性の1人歩きくらい危険だ」など、比喩を交えてネット時代の危険な行為が語られています。やはり、直感的に「自分も危ないかもしれない……」という恐怖を覚えるのは、原作小説のほうなのです。

また、後述する『白ゆき姫殺人事件』でも思ったことなのですが、SNSに投稿された文章に“音声”を被せてしまう演出も歓迎はできませんでした。文章だけのほうが、“リアルのことが見えてこない”という不気味さがより際立つのではないでしょうか。こうした細かいところでも、恐怖感が削がれてしまうのはもったいないと言わざるを得ません。

フォローをしておくと、映画版では小説の設定や描写を上手くアレンジしている箇所も多くあります。例えば、千葉雄大演じる若手刑事がサイバー犯罪に対処する場面や過去の描写は物語に深みを与えていますし、最後に明かされる“ヒロインのある行動”も伏線を生かした感動的なものになっていました。脚本を手がけた大石哲也は『去年の冬、きみと別れ』でも同じく小説を原作としたサスペンス映画で上手い改変を加えており、今回も映像作品ならではの工夫は十分にされていたと言っていいでしょう。



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4:犯人役の俳優の演技がめちゃくちゃ怖かった!


(中田秀夫監督の演出は優れているものの)“あまり怖くない”と前述してしまいましたが、映画版『スマホを落としただけなのに』には1つ「めちゃくちゃ怖い!」と思える素晴らしいシーンがあります。それは、犯人役の俳優が“豹変”した時の演技!

原作では“トカゲのような目”と表現されていた、らんらんと輝くその目、狂気に満ちた表情と声質は異常者そのもの。トカゲを超えて「こんなヤバい顔は漫☆画太郎のマンガでしか見たことない!」と思うレベルでした。その犯人役の俳優のファンの方に心からオススメしたいのですが、なにせ犯人であるため名前を出すとネタバレになるのがもどかしい! 以前から演技力のある方だとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった! クライマックスのバトルは怖いを通り越して、変な笑いが出てしまうほどでしたよ!

本作の主要キャスト(男性)は、田中圭、千葉雄大、成田凌、原田泰造、バカリズム、要潤など超豪華です。この中の誰が犯人なのか、誰がイケメン(?)が良い意味で台無しになる狂気の演技を見せるのか、ぜひ予想しながら観てください。



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5:合わせて観てほしい“SNSホラー映画”はこれだ!


最後に、スマホおよびSNSを利用する現代ならではの恐怖が描かれた、『スマホを落としただけなのに』と合わせて観てほしい4つの映画を紹介します。

1.『白ゆき姫殺人事件』




殺人事件に対する証言者それぞれの意見が食い違ってしまうという、『羅生門』を彷彿とさせる内容です。テーマの1つにあるのは“ネット炎上”で、Twitterの利用者にとってはドキッとしてしまう“間違った使い方”も描かれた、やはり現代ならではの問題提起が多分に含まれた内容になっていました。膨大な情報がわかりやすく整理されて描かれており、『アヒルと鴨のコインロッカー』や『ゴールデンスランバー』の中村義洋監督の抑えた演出も光る、“ゴシップエンターテイメント”という触れ込み通りの万人が楽しめる作品になっていました。ただ、刺殺シーンが生々しく描かれたり、性関係をほのめかす描写もあるため、お子様の鑑賞にはご注意を。

2.『何者』




就職活動中の5人の若者の姿を追った青春映画でありながら、確実にホラーの要素がふんだんに含まれている作品です。他人への嫉妬と偏見がねちっこく描かれるばかりか、「就活って気持ち悪いよな」「SNSで自己顕示欲出しまくってるやつはサムいよね」と少しでも思っている人の心を広くまんべんなく深くえぐってくれるため、観た後は大いに凹むことができるでしょう(褒めています)。さわやかな内容を期待する人には全くおすすめできませんが、「青春が終わる。人生が始まる。」というキャッチコピー通りの、とことん“現実で大人になって生きなければいけない”恐怖を知りたい方は、ぜひ。

※『何者』はこちらの記事でも紹介しています↓
□『何者』がホラー映画である5つの理由

3.『search/サーチ』





こちらは現在公開中の映画です。“全編がパソコンの画面上で展開”という変わった表現方法でありながら、徹頭徹尾ハラハラドキドキが止まらない、エンターテインメント性をとことん追求した、万人におすすめできる大傑作に仕上がっていました。基本の物語は“父親がいなくなった娘を探す”とシンプルですが、その過程で“娘のことを何も知らなかった”ことを突きつけられるというのは世のお父さんにとっては何よりの恐怖でしょう。“リアルのことはパソコンの画面だけではわからない”という皮肉も、見事に作劇に生かされています。ネタバレを踏まないように、なるべく予備知識がないまま映画館に足を運んでほしいです。

※『search/サーチ』はこちらの記事でも紹介しています↓
□映画『search/サーチ』が超圧倒的に面白い「5つ」の理由!

(文:ヒナタカ)

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