『ウィーアーリトルゾンビーズ』長久允監督:斬新かつ懐かしい映画を作るための”自由”
今回ご紹介させていただく作品は、長久允(ながひさまこと)監督作品『ウィーアーリトルゾンビーズ』です。
最初にお断りしておきますと、これはホラー映画ではありません。
それぞれ両親を亡くした13歳の子どもたち4人が偶然火葬場で出会い、まるでゾンビのように夢も未来もない彼らが、いつしかバンドを組むことになっていくのですが……というお話です。
ビジュアルを見ていただければおわかりのように、けばけばしいまでにポップでエッジのきいた美術、全編たえまなく流れ続ける音楽とそれらと巧みに呼応したスタイリッシュなカッティング、そして表情をなくしたかのような子どもたちが織りなす悲劇か喜劇かといった運命が導く新感覚の青春音楽ムービー。
しかし、映画を見終えるとどこかしら懐かしい風情がいつまでも心の余韻として切なく残ります……。
いわば若年層だけではなく全世代が楽しめる逸品!
そこで今回は、長久監督にお話を伺いたいと思います。
攻めに攻めて攻めまくる若さあふれるエネルギッシュな姿勢と、あの“懐かしさ”の融合はどのようにしてなされたのか……、とても興味あるところだったのです!
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街386》
『青春の殺人者』と同じ気持ちで
自分の映画を作りたかった
最初に長久允監督のプロフィールをざっとご紹介しますと、1984年8月2日、東京都の生まれで、現在広告代理店でCMプランナーとして働く傍ら、映画やPVなどを監督し、映像制作活動に勤しんでいます。
そして2017年に監督した短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が、第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門グランプリを受賞(これは日本人初の快挙!)。
その勢いに乗って手掛けた初の長編映画が『ウィーアーリトルゾンビーズ』であり、これがもう既に第35回サンダンス映画祭審査員特別賞オリジナリティ賞や第69回ベルリン国際映画祭スペシャル・メンション賞(準グランプリ)を受賞。その他、世界中の国々の映画祭で絶賛され、既にフランスや香港、台湾、中国での劇場公開も決定という勢いに乗せての堂々日本公開となったのでした!
──映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』大変楽しく拝見させていただきました。もう気持ちいいくらい攻めに攻めて攻めまくってましたね。
長久:そうですね。守らずに作りました(笑)。
──でも不思議と懐かしいんですよね。そこがこの映画の面白いところで。
長久:ああ……。
──実は今作のお話を聞いたとき、こういった斬新な感覚のエネルギッシュな映画を作る若手監督の取材は、同世代のライターのほうが息も合って良いのではないかと躊躇していたのです。でもいざ映画を見始めたら、何と『青春の殺人者』(76)の主題歌《憩いのひととき》(byゴダイゴ)が劇中に流れるじゃないですか! その瞬間「あ、これは俺の映画だ!」と。そこからはもう一気に映画の中へのめりこんでしまいまして……。
長久:ありがとうございます! 気づいていただけて嬉しいです。あの映画、大好きなんですよ。
──映画を見た後でマスコミに配布されるプレスシートを拝見しましたら、『青春の殺人者』を目黒シネマでご覧になって、改めて映画をやりたいと思われたそうですね。
長久:はい。『青春の殺人者』はビデオなどで見てはいたのですが、就職して仕事に忙殺されていく中で久々に、そして映画館のスクリーンでは初めてあの映画を見たとき、「やっぱり僕は映画を作らなきゃダメだ!」と思ったんです。主人公の殺人の動機であるとか、上手く言語化できないことをあの映画は巧みに映像で描いていますし、また「これを撮らなければいけない!」とでもいった監督の使命感みたいなものにもすごく影響を受けたんです。ですから今回ぜひとも『青春の殺人者』と同じ気持ちで映画を作りたかったんですよ。
──『青春の殺人者』は親殺しの話で、今回の映画は親を亡くした子どもたちの話。内容的にもどこかリンクしていますね。
長久:そうなんです。設定なども含めて、子どもの話としてはどこか地続きのパラレルな世界と思いながら取り組んでいきました。
──でも、とかく映画好きな監督が劇中に映画的オマージュを捧げるときに陥りがちな、パクリも含めたあからさまに過剰な要素がこの映画には一切ないですね。
長久:実はその点をちょっと心配していたところが正直あったというか、やはりさじ加減が難しいですよね。ただ自分が伝えたいメッセージとか哲学とかと、先人の方々が作ってこられたものとを、表現上ではなくあくまでも中身でリンクしていくものとして取り込ませてもらえたら。つまりコアの部分さえ繋がってくれていればいいなと思ってましたので、今のようにおっしゃっていただけるとすごく嬉しいです。
──長久監督と『青春の殺人者』のエピソードは、かつてベルナルド・ベルトルッチ監督が第1回東京国際映画祭で『台風クラブ』(85)を見ながら圧倒されまくり「早く自分も次の映画を作らないといけない!」という衝動に駆られ、その場で次回作の構想などをメモし始めたというエピソードをも彷彿させられます。実はその『台風クラブ』へのオマージュも入っているそうですね。工藤夕貴さん扮するおばさんの役名が大田理恵で、実はかつて『台風クラブ』で彼女が演じたヒロインの名前は高見理恵。
長久:はい。僕の中では高見理恵が結婚し、大田理恵に姓が変わってのパラレルな続編のつもりなんですよ。もしかしたら理恵もこういう未来を送りながら、こういう物語に参加しているのではないか。またそうしたら、大人と子どもの対比としても興味深いのではないかとも。
──でも、その役名そのものが劇中で発せられることはないから、観ているほうにはわからない(笑)。ただし監督としてはその見えない部分に想いをきちんと込めていらっしゃる。だから映画そのものは非常に斬新なのに、どこか懐かしい情緒があふれてるのだろうなと勝手に推察させていただきました。
長久:ありがとうございます!
──『大人は判ってくれない』(59)とか『トリュフォーの思春期』(76)などフランソワ・トリュフォー監督作品の影響も上手く反映されていますね。一見突き放しているようだけど、ちゃんと愛がある。
長久:トリュフォーが子どもを描くときの精神であるとか、その際の優しい眼差しみたいなものは、ぜひ自分も踏襲したかったです。
映画を作るときは
とことん自由でありたい
──子どもたちのキャスティングも素晴らしいですし、いわばゾンビのようだった彼らが次第に人間に戻っていくかのような流れが実に自然に醸し出されています。みんな、いわゆるイケメンではないのもいい(笑)。
長久:(笑)。ビジネス上というかマーケティング的な見地のみで役者さんを呼んでくるというのは、実は観客に対して失礼なことではないかと僕は思うんです。やはりその作品に必要な人こそを集めたいというのを絶対的ルールにしています。その意味でも今回の4人は本当に素晴らしかったですし、他の大人の役者さんもみなさん同じですね。
──広告のお仕事をされているときはどうしてもマーケティングを意識しなければいけない部分はあるでしょうけど、その分映画を作るときは自由でありたいと。
長久:そうですね。広告をやっているからこそ、実はマーケティングに頼らなくても本当に良いものはできるというか、逆にそういったところに頼り切ってしまうと崩れてしまう実感がありましたので。もともと僕は音楽の道を目指していたのですが、20歳くらいのときにこれ以上は無理だってことになりまして、そんなときに新藤兼人監督の『ふくろう』(04)や『シティ・オブ・ゴッド』(02)などを観て、映画ってこんなに自由な表現ができるんだって衝撃を受けたんです。で、もうそこからは浴びるように古今東西の映画を見まくるようになったんです。
──映画の自由を認識し、それをご自身でさらに追求していきたいと願われたことのひとつの成果が『ウィーアーリトルゾンビーズ』ということですね。大いに納得です。子どもたちへの演技指導そのものは密に?
長久:いえ、割とやってないほうだと思います。セリフ回しなども朴訥としているほうが感情も伝わると思いましたし、逆にそれに耐え得る人選をするのが大変でしたけど、それが成されてからの現場では、スピード感やキーくらいのディレクションでした。リハーサルもさほどやりませんでしたし、ただバンドの練習だけは、みんな未経験者だったので密にやってもらいましたね。
──思えば監督の前作『そうして私たちはプールに金魚を、』は4人の少女の物語でしたが、今回は3人の男の子と1人の女の子の、合わせて4人。この「4人」というところに何かこだわりはありますか?
長久:特に狙っているわけでもないのですが、今の自分の中で、特に冒険者を描きたいときに「4人」というのがちょうど気持ちがいいというのはありますね。3人だと物足りないし、5人だとちょっと多いかなと。あとそれぞれが微妙に依存し合わない他人として、自立しつつも寄り添える数なのかもしれません。あと今回は『オズの魔法使』(39)のドロシーとカカシ、ブリキ男、ライオン、つまり1人の少女と3人の男性の冒険といった構図を当てはめてみたら、すごく自然にフィットしたんです。
──つまり、あの子ども達はオズの国の住人でもあったわけですね(笑)。
ビデオコンテや
低ビット映像の導入
──今回はビデオコンテを作った上で撮影に臨まれたそうですが。
長久:ビデオコンテを事前に作っておくと、物語や台詞のテンポやリズム、見ている人の心地よさ、このままだとダレてしまうな、みたいな処理感みたいなもの、現場での検証みたいなものも含めてわかりやすいんですよ。役者さんにもその中で細かい微調整もしていただけますし、僕としてはすごくやりがいのある方法だと思っています。とにかく自分の中で確固としたテンポ設定を事前に確認できて、そこから細かい指示を与えることができるのがいいですね。
──シーンに応じて撮影機材を変えたりされているそうですが、シーンそのものは複数のキャメラを回して撮ったりしてないのですか。
長久:そうですね。機材そのものはそれこそiPhoneみたいなものまでさまざまな種類のものを使ってますけど、撮影自体は同時撮りではなく、全部1台で1テイクずつ回しています。僕は画に狙いがないものが嫌いなので、やはりひとつずつきちんと、この狙いでここにあるべきものを撮っていかないと意味がないという想いで、時間をかけてきっちり撮っていきました。
──さまざまな機材をフルに駆使する新しさと、1台のキャメラでしっかり撮っていくという、いわば往年の日本映画界に顕著だったフィルム撮影を踏襲している。それもまた不思議な懐かしさを生む由縁となっているのでしょうね。
長久:海外の映画祭で上映された際も、よく「新しい映画」といった評価をいただきまして、それはそれでありがたいんですけど、僕としては実は70~80年代の先人の方々がやってこられたことを今そのまま引き継いでやらせていただいているという認識なんです。
──だからですね。若い観客は斬新なタッチを楽しめますし、私のような古い世代でもどこかしら懐かしさを共有できるので、あの子たちを観ていて非常に嬉しく思いつつ、俄然応援したくなってくるんです。
長久:そう思っていただけると大変ありがたいですね。
──あとお聞きしたかったのが、なぜ劇中出てくるゲーム感覚の映像の数々が、今のものではなく低ビットのドット絵だったのでしょうか?
長久:ふたつ理由がありまして、今のゲーム映像ってハイクオリティで現実みたいにリアルですけど、8ビットの絵のほうが情報量がすくないぶんこちらが想像できる余地がありますよね。また子どもたちは日頃から常にたくさん表現したがっているのに、大人からは低ビットみたいに扱われてしまうことのメタファーといった意識もありました。つまり「たとえ低ビットでも子どもたちは生き生きしている」ってことを伝えたかったんですね。また僕自身、創作に際してまだ自分のことしか切り出せないところがあるもので、自分が子どもの頃に親しんだ8ビット・ゲームのモチーフを使いたかったんです。
──実際この映画の舞台は、今なのか過去なのかオズの国なのかもわからないところがありますので、8ビットが全然無理なく魅力的に収まっています。むしろ一回りしたのかなといった印象も受けましたね。
長久:そうですね。今のインスタグラムのスタンプとか8ビットのものが多くて、当時のゲームを知らないローティーンの子たちが自然に低ビットに親しんでいる。僕も特に狙ってたわけではないのですが、そことたまたま時代が合ったのかもしれませんね。
これから映画を志す人たちへの
ひとつの大きな指針
──一方で、今回の美術の過剰なまでのポップ&クールなけばけばしさはどういった着眼点で?
長久:実は個人的にそんなカラフルなものが好みというわけでもないんです。元来ミヒャエル・ハネケとかが好きですから(笑)。でも今回は物語上、悲劇的状況の中でも生き生きと生きている表現としてカラフルに描くべきだと思いました。
──カラフルであればあるほど子供たちのイメージがモノクロに見えてくる。だから彼らがいつ色を帯びるようになっていくのかといった興味も働きますので、意外に鑑賞後の印象もガチャガチャしない。音楽も鳴り響きっぱなしなのにうるささを感じない。これは先ほどもお聞きしたビデオコンテもプラスに働いているのでしょうね。
長久:そうですね。撮る前から入れる曲を決めておいて、その上でビデオコンテを作ってますし、意味のないBGMは排除した上で設計できましたので、うるさく聞こえないといった感想はすごく嬉しいです。
──この映画はおそらくこれから映画を志そうと思っている人に、映画はこんなに自由なんだという希望の指針を与える作品に成り得ていると思います。それは今のメジャーに欠けているものでもありますね。
長久:今のメジャー作品は最大公約数的に多くの人に共感をもたらすことはできているとは思いますけど、本来映画って見る人によって捉え方が全然違ったり、わからなかったり、フォーマットも動機も全然異なるものも全部受け入れられる自由な器を持っていると僕は信じているんです。ですから、そのことをこれからも拡張させながら訴えていけたらいいなと思いますね。
──実際、監督ご本人としての本作の手応えはいかがなのでしょうか?
長久:本当に今回は自分が良いと思えるものを作るという動機から企画が始まっていますし、それがほぼほぼ実現できて、僕は映画が好きで今までいっぱいみてきていますけど、そんな自分の映画鑑賞史の中で一番面白いと思えるものを作れて、今すごく幸せです。これからもジャンルにこだわらず、自分が作りたいと思うものを、今の規定されたモノ作りではできないようなものとして、今回と同じように作り続けていきたいですね。
(取材・文:増當竜也)
(C)2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。