映画『向こうの家』に住む年上のお姉さん=父の愛人に戸惑う高2の僕!
(C)東京藝術大学大学院映像研究科
何度も訴えてきていることではありますが、日本のインディペンデント映画界隈は、時を経るごとに加速していくかのような盛況ぶりではあります。
今回ご紹介する『向こうの家』も、東京藝術大学大学院で黒沢清監督や諏訪敦彦監督に師事した西川達郎監督が2018年に完成させた初長編映画で、ええじゃないかとよはし映画祭2019でグランプリ、第16回うえだ城下町映画祭実行委員会特別賞、はままつ映画祭2019観客賞などを受賞するなどの勢いに乗せて、10月5日より東京シアターイメージフォーラムでの劇場公開が決定したという優れもの。
その内容も、きちんと一般受けするエンタメ要素がさりげなくも満載。なぜならば……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街411》
この作品、高校2年生の男の子と年上のお姉さんとのひと夏の交流を優しくユーモラスに描いた思春期映画なのです!
(でも恋愛とは言い切れないあたりもミソ)
自宅と父の愛人の住む家を
行き来する少年
『向こうの家』の主人公は、厨子に住む高校2年生の森田萩(望月歩)。
それまで自分の家庭はそれなりに幸せだと信じて疑うことのなかった彼ですが、ある日父親(生津徹)から手伝いを頼まれます。
それは、何と父には愛人がいて、その女性と別れるのを手伝ってほしいというものでした!?
戸惑いつつも、丘の上の「向こうの家」に住む女性・向井瞳子(大谷麻衣)に会いに行く萩。
それは彼にとってどこか不可思議なひと夏の始まりでもありました……。
年上の女性に甘酸っぱい恋心を抱きながら大人の階段を上っていく思春期の少年を主人公にした映画といえば『おもいでの夏』(70)『青い体験』(73)など多数存在しますが、本作はそれらと似て非なる要素を湛えつつ展開していきます。
それは恋愛というよりも、自分の家と向こうの家を行き来し続ける少年が、父の愛人との交流を通して、やがて家族そのものへの認識を改めつつ大人になっていく過程を微笑ましく描いていることでしょう。
ごくごく普通だと思い込んでいた家庭が実は崩壊していたという事実が、その設定のみならず周囲の友人やら釣り人(でんでん)やら奇妙な連中がどんどん登場していくことによって、実はこの世の中自体が非凡なものであり、それゆえにユニークに映えわたるという趣向なのです。
1970年代東宝青春映画の
憂いある味わい
愛人・瞳子の存在感も特筆的で、絶世の美女といった感じではないものの、一見サバサバした風情の中にどこかしら年上ならではの色香を憂い深くも自然に漂わせているあたり、見ているこちらは萩以上にドギマギさせられてしまう!?
対する母親(南久松真奈)が、やたらと「話し合えばわかりあえる」ことを説く理想主義者としての自分を強調しているあたりも、逆にこの家族が断絶していることを物語っているようです(でもこの母親に対しても、決して悪く描いてはいないのが妙味)。
何よりも不幸な事象が続くにもかかわらず、決して暗くならずにのんびり対峙し続ける萩役の望月歩(第19回TAMA NEW WAVE ベスト男優賞)と、やはり魅力的な瞳子役の大谷麻衣(Seisho Cinema Fes 2nd ベストアクトレス賞)の好演!
このふたりの関係性をどう捉えるかによって、その人の人生観まで見え隠れしてきそうな気もしますが、いずれにしてもこの二人にしかわからない(いや、この二人ですら気づいていない?)信頼によって何某かの絆が結ばれていたことだけは、見ていて間違いと確信できます。
西川監督の演出は20代にして達者ながらも初々しさも湛えているのが嬉しく、また意識していたかどうかはわかりませんが、全体的に1970年代の東宝青春映画的なタッチが貫かれていたのも個人的には興味深いところでもありました。
本当にこのことは何度でも言い続けていきたいと思いますが、今、日本のインディーズ映画は実に面白い! そのことをまざまざと証明する1本です。
(文:増當竜也)
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