『アイヌモシリ』レビュー:民族のアイデンティティと対峙する少年の想いとは?
“アイヌモシリ”とは
“人間の世界”を意味する
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映画『アイヌモシリ』の主人公は、バンド活動に明け暮れつつ、進学に悩む、どこにでもいる普通の少年です。
アイヌの血を引いていることに、一体どれほどの意味があるのか?
しかし一方では、だんだん廃れていきがちな独自の文化を、いかに継承していくかに腐心している大人たちの思惑から逃れるのも困難なようです。
大人たちは大人たちで、いくら古くからの習わしとはいえ、今の時代に生贄を必要とするような儀式をわざわざ復活させる必要があるのか? と賛否の議論が白熱していきます。
こういった問題はアイヌに限らず、独自の文化を抱く世界中の民族の人々に共通のものなのでしょう。
かくして本作は、『CUT』『Ryuichi Sakamoto:CODA』などのエリック・ニアリと『あの日のオルガン』『閉鎖病棟』などの三宅はるえがプロデュース、撮影監督は『神様なんかくそくらえ』『グッドタイム』のショーン・プライス・ウイリアムズ、音楽はヨハン・ヨハンソンやマックス・リヒターと共作してきたクラリス・ジェンセン&アイヌ音楽家でトンコリ奏者でもあるOKIが務めています。
まさにワールドワイドなスタッフ編成に支えられながら、監督を務めたのは北海道出身でNYに渡米して映画活動を続ける福永壮志。
初の長編映画『リベリアの白い血』が第21回ロサンゼルス映画祭最高賞受賞など高い評価を受けた彼ですが、たとえばアメリカではネイティヴ・アメリカンに対する国民の意識が高く、また世界中で移民や民族を扱った映画灘が多いのに比べて、日本ではなかなかアイヌに対する理解度が低いことを痛感させられたのを機に本作の企画を立ち上げ、およそ5年の月日を得て完成させました。
こういったワールドワイドな視線で貫かれた映画であることを鑑みれば、第19回トライベッカ映画祭国際コンペティション部門審査員特別賞を、第23回グアナファト国際映画祭国際長編部門最優秀作品賞を受賞したのも当然の帰結といえるでしょう。
また、そういった民族のアイデンティティの問題以外でも、本作は亡き父への少年の想いを通して、親と子の絆といった、これまた世界共通のモチーフを巧みに描出しているのも美徳のひとつです。
主人公のカント少年を演じる下倉幹人をはじめ、多くの出演者は実際のアイヌの人々で、それゆえか時折ドキュメンタリーを見ているかのような味わいもあり、それがまた虚実相まみえた映画ならではの魅惑を増大させてくれています。
アイヌを題材にしながら、その実、出自にまつわるアイデンティティや、独自の文化や伝承といかに対峙していくべきかといった問題、さらには思春期の悩みと心の揺れ、親と子の絆など、実にどの国どの世代にも共有できる普遍的な要素を多々内包し得た作品です。
タイトルの『アイヌモシリ』とは「アイヌ=人間」「モシリ=大地」の組み合わせ。
即ち「人間の世界」といった意味を成す言葉なのでした。
(文:増當竜也)
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