映画コラム
エヴァが嫌いだった僕が、大好きになるまで。|『シン・エヴァンゲリオン劇場版』レビュー
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エヴァが嫌いだった僕が、大好きになるまで。|『シン・エヴァンゲリオン劇場版』レビュー
※『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本編の内容については触れない、短い主観的なネタバレなし感想です。ただし、その印象、および今までの『エヴァンゲリオン』という作品シリーズの総括については書いており、それは人によっては十分にネタバレと言えるものかもしれません。ご了承ください。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観ました。結論から申し上げれば、もう大満足です。本当に、終わってくれました。庵野秀明監督と、スタッフとキャストに「ありがとうございます」「お疲れ様です」と、心から感謝と労いの言葉をかけたいです。
しかし、作り手とファンの方たちには申し訳ないですが、僕は子どもの頃、『エヴァンゲリオン』という作品のことが好きではありませんでした。小学校のクラスメイトがしきりに話題にしていて流行っていたのは覚えているのですが、断片的にテレビアニメ版の数話を観ていた程度の僕は「わけがわからない」「このシンジっていうヤツ、ウジウジしているばかりで嫌いだな」と思ってしまっていました。成人してから、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の『序』と『破』も観ましたが、そこでも「(用語などが)よくわからなくて」ハマれなかったというのが正直なところでした。
そんな僕が初めて好きになった『エヴァンゲリオン』は、(とても珍しいとは思いますが)映画館で初めて観た『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』でした。
なぜなら、作品に対しての「わけがわからない」という気持ちが、劇中で事態に翻弄されるシンジと完全にシンクロしていていたからです。それからテレビシリーズおよび『序』と『破』を観直すと、「めちゃくちゃ面白い」「シンジくんより、14歳の男の子にこんなことをさせる周りの大人のほうがひどい」と思い直すようになり、「シンジくんに幸せになって欲しい!」と本気で彼のことを応援したくもなったのです。
そんなわけで、僕にとっての『エヴァンゲリオン』は、シンジというキャラクターについての、自分の気持ちの変化を追う作品だったのです。その上で、こうも思ったのです。「そうか、これはコミュニケーションを描いた物語なんだ」「そして、シンジくんは思春期の少年の鬱屈した気持ちの象徴なんだ」と。
子どもの頃の僕は、ウジウジするシンジのことを、どこか「同族嫌悪」のように見てしまっていたのかもしれません。だけど、大人になってからだと、彼の気持ちがよく分かるし、むしろ「子どもにこんなことはさせたくない」と思えるようになったのです。その問題の根底には常にコミュニケーション不全があって、その悩みは大人にとっては大したことがなかったり、ぞんざいに扱ってしまったり、もしくは平気なふりをしていたりするけど、シンジのような思春期の少年にとっては、大きく声に出さないとやっていけない、深刻な問題だったんだなと、大人になってから思えた……この変化は本当に貴重であり、それを与えてくれたのは『エヴァンゲリオン』だけだったのです。
そして、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も「最後まで、シンジ(そして思春期を通った全ての人)の気持ちととことん向き合った、コミュニケーションの物語だった」と思えたのです。だからこそ、その『エヴァンゲリオン』という作品、そしてシンジへの感情が、25年の時を経て、嫌いから大好きへと変わったのです。
これから『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観るという方は、ぜひテレビアニメ版、旧劇場版(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)、新劇場版3作を観てから、劇場に駆けつけて欲しいです。
今までの『エヴァンゲリオン』を追ってきてこそ、庵野秀明監督からのメッセージが、真に伝わるでしょうから。個人的には『Q』と同じかそれ以上に、シンジと気持ちがシンクロしているからこその、そして今では大人になったからこその、言葉にできないほどの感動が、そこにはありました。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。そしてありがとう。歴史に残るこの作品を、これからも愛し続け、そして(特に、コミュニケーションにおいて)現実を生きるための力にします。
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(文:ヒナタカ)
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