俳優・映画人コラム

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2021年05月04日

「好青年役」から脱皮しつつある?あらためて確認しておきたい俳優・中川大志の魅力

「好青年役」から脱皮しつつある?あらためて確認しておきたい俳優・中川大志の魅力


『砕け散るところを見せてあげる』清澄はどこまでもヒーローだった



2016年に刊行された竹宮ゆゆこの小説「砕け散るところを見せてあげる」を映像化した本作。男子高校生である主人公・清澄は特別に熱血漢というわけではないけれど、困った人や悲しんでいる人を見たら放っておけない性質だった。

全校集会に遅刻してしまった高3の清澄。急いで入った体育館ではすでに校長の話が始まっていて、彼は仕方なく最後列にいる1年生の列に紛れ込む。そこで、おかしな光景を見た。とある1年女子に向かって、紙くずや消しゴムが投げつけられている。教師の目を盗みながら、くすくすと気づかれない音量の笑い声を立てながら、確実に投げつけられている悪意。彼女は黙ってうつむきながら、耐えていた。

集会が終わり、自身に投げつけられたゴミを拾っている彼女に向かって、清澄は手を差し伸べる。しかし、彼女はなぜか盛大な拒否の姿勢を示すーー助けようとしたにも関わらず無下に扱われる自身を慰めながらも、清澄は彼女の力になりたいと行動するのを止めない。

中川大志演じる清澄は、決して熱血漢ではない。「目の前で困ってるんだから、放っておけるわけないだろう!」と声高に言って、正義感をアピールするタイプではない。ごくごく普通の男子高校生なのだ。陰湿ないじめを受けている年下女子を積極的に助けに行く、その行動は決して普通ではなくとも、清澄がやっていると人として当たり前のことのように思えてくる。そのバランス感覚が絶妙なのだ。

理由は「相手をしっかり見ようとしている目」にあった

なぜなのかを考えていた。映画『砕け散るところを見せてあげる』を観ながら、このバランス感覚はどこから滲み出てくるものなのだろうと考え続けていた。

理由は、目だ。中川大志の目には、主観と客観の両方を備えた力がある。



ネタバレを避けるため詳述は避けるが、映画『砕け散るところを見せてあげる』作中には、中川大志演じる清澄が石井杏奈演じる玻璃(いじめられている1年女子)に向かって「ヒーローの変身ポーズをやってみせる」シーンがある。

ヒーローとはなんたるか、その三か条を唱えながら、夜の商店街のど真ん中で披露された渾身の変身ポーズ。なんとかして玻璃を笑わせてあげたい、一瞬でもいいからつらいことを忘れさせてやりたいと願いながら「変・身!」と叫ぶ清澄の目には、主観と客観があった。

「玻璃に笑顔でいてほしい」「笑ってくれるだろうか」と願う主観。
「自分は彼女に対して何ができるのか」と観察する客観。

どこか非日常感もただようこの作品がファンタジーで終わらなかったのは、現実的な力を持たない高校生ふたりを取り巻く「大人の視点」がしっかり描かれていたのも理由のひとつではある。しかしもうひとつの理由は、清澄自身が自分のやっていることに酔うことなく、どこまでも客観性を持って状況を観察する「目」を持っていたからではないか。

その目は、自分だけではなく、相手である玻璃をしっかり見据えていた。このバランス感覚がなければ、ただ恋に落ちたふたりが空想に浸るだけの話になってしまっていただろう。中川大志の演技の妙味は、ここにある気がしてならない。

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