『ペトルーニャに祝福を』レビュー:女人禁制というタブーと堂々対峙する女性の誇らしさ
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『ペトルーニャに祝福を』レビュー:女人禁制というタブーと堂々対峙する女性の誇らしさ
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
最近は日本でも性差別と真摯に向き合った映画などが作られるようになってきていますが、どうやらこうした傾向は世界的なものと化してきているようです。
本作は2014年の北マケドニア(旧ユーゴスラビア)で毎年開催される東方正教会(東欧のキリスト教)の「神現祭」、いわゆる十字架投げという女人禁制の儀式に参加した少女が数多くの住民たちから誹謗中傷を受け、迫害された事件に端を発して製作されたもの。
この事件の背景に潜む保守的な男性優位社会及び女性蔑視の思想に一矢報いるべく、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ(監督)&ラビナ・ミテフスカ(プロデューサー/ジャーナリストのスラビツァ役)の姉妹は、ヒロインを少女から32歳の大人に変更することで、女性と社会との対峙をより一層明確に浮き彫りにしていきます。
本作のヒロイン、ペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)は美人でもオシャレでもなく、大きく太めの体格で、愛想もよくない風情ときましたが、一方では大卒ながらもそのキャリアを活かす仕事になかなか就くことが出来ないまま今に至るという、いわばツイてない女性ではあります。
しかも就職面接の場で面接官からセクハラを受けるは、暴言を吐かれるは、そんな彼女がたとえタブーと知ってはいても、思わず「1年間幸福に過ごせる」十字架を手にしたくなって無意識のうちに行動に走ってしまうのも、人としての道理ではあるでしょう。
ここで恐ろしいのは祭に参加していた男たちが揃いも揃って彼女の行動に激怒し、ついには暴徒化していくあたりで、そこには世界中にはびこるヘイト事件に加担していく者たちとも共通する差別意識と、人心を赤裸々に解放していく祭祀の性質とが最悪の形で融合してしまったかのようなおぞましさまで浮かび上がっていきます。
しかし、そういった迫害の数々の中、最初は身も心もだらしなく見えていたヒロインが次第に活き活きと輝き出し、少しずつ周囲の者たちを魅きつけ始めていく様子が誇らしくも感動的。
主演のゾリツァ・ヌシェヴァは北マケドニアでコメディエンヌとして活躍しており、マーク・トウェインの名言「ユーモアの源泉は哀愁である」を肌で熟知しているかのような存在感を、初の映画出演でも見事に示してくれていました。
女人禁制の儀式や場所などは日本にも存在しますが、それらの歴史的背景などを教えられる機会も少ないまま、単に「女はダメ」的な姿勢を誇示して久しい男たちは、これを見て少しは心を改めたほうがよさそうです。
(その意味では本作のヒロインが歴史学専攻という設定も、大いにうなづけるものがあるのでした)
(文:増當竜也)
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