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2021年07月19日

<ひきこもり先生>最終回まで全話の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

<ひきこもり先生>最終回まで全話の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

第5話ストーリー&レビュー

第5話ストーリー


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「できる、できる、できる」

ひきこもっていた陽平(佐藤二朗)は、不登校クラスの生徒たちの励ましで学校に復帰する。陽平は梅谷中学校を本当のことが言える学校に変えようと奮闘するが、いじめが発覚することを恐れる榊校長(高橋克典)は陽平に圧力をかける。卒業式が近づき、不登校クラスの生徒たちは、不登校クラス独自の卒業式をやりたいと祥子(佐久間由衣)に訴える。その矢先に、コロナの影響で全国一斉休校の要請があり、校長は決断を迫られる。

第5話レビュー



佐藤二朗主演のドラマ「ひきこもり先生」が最終回を迎えた。全5話。ちょっと短すぎるんじゃないのか。どうせなら10話、いや、かつての「3年B組金八先生」のように20話ぐらいかけて、ひきこもり先生の奮闘ぶりを見ていたいと思っていた。

だけど、観終わった後、これでよかったと思った。実に濃密な最終回だったのだ。深くて、広がりがあって、熱があって、救いがあった。

最終話。生きづらさを感じていた生徒たち一人ひとりへのケアは、かなり進んでいた。徹底的に子どもたちの味方になり、守ってやり、話を聞く。それを丁寧に繰り返す。いつしか生徒たちの凍てついた心は溶けていき、孤独からも解放されていく。STEPルームには不登校の生徒たちが集まるようになり、和気あいあいとした空気ができあがっていた。

陽平(佐藤二朗)は、他にも困っている生徒がいるんじゃないかと立ち上がり、「味方」と描いた板をまとって校門の前に立ちはじめた。愚直だ。陽平が何か行動しようとすると、必ずどこかにけつまずくのは、何事もスムーズに運ばないことを象徴している。だけど彼は蹴躓いたぐらいでは諦めたりしない。

一方、「いじめゼロ、不登校ゼロ」を掲げる校長の榊(高橋克典)は、教師たちに忖度を求めて学校内でのいじめや不登校をなかったものにする。忖度によって「あったものをなかったことにする」のは現代の社会と同じ構図である。 榊は生徒たちに「制度」の大切さについて語る。社会には制度があり、社会で生きていくためには自分を制度に合わせていかなければいけない。学校はそのための練習の場である、と。そして、制度に自分を合わせられない人間、社会の枠組みからこぼれ落ちてしまう人間は、周囲の大切な人たちを悲しませることになる。落伍者である。榊は名前を出さずとも、生徒たちは誰もが陽平の話だとわかる。STEPルームで落ち込む陽平の前に、生徒たちが「味方」という看板を持って迫ってくるシーンは目頭が熱くなる。

榊による呪縛を解くためのヒントを与えたのは、STEPルームに話にやってきた依田浩二(玉置玲央)だった。依田は榊の欺瞞を指摘し、自分は自由だと生徒たちの前で叫ぶ。だが、それが彼の本心というわけではない。突っ伏して「俺だって、何かできたはずなんだ」と嗚咽する。だけど、彼の語った言葉は、生徒たちの行動のトリガーになる。

卒業式の季節がやってきた。STEPルームの生徒たちの前で、陽平はそれぞれのクラスに戻って卒業式を迎えてもいいんじゃないかと提案する。どうしても辛ければ逃げればいい。学校だって来なくていい。陽平はずっとそう言ってきたし、子どもたちは陽平の言葉で救われてきた。でも、と陽平は言う。

「でも、逃げたまま、ずっと生きていくわけにはいかない。だから、ほんのちょっとだけ、ほんの一歩だけ、STEPルームから出て、みんなと……っ……みんなと一緒の卒業式に、出てみてほしいんだ」

人は変わることができる。陽平は変わった。新人教師の祥子(佐久間由衣)も変わった。生徒たちも変わった。ならば、もう一歩、踏み出してもいいんじゃないだろうか。一歩踏み出すのは生徒たちだけじゃない。陽平は娘のゆい(吉田美佳子)と再会し、和解する。「もう自分のことを許していいから」と言うゆいと、彼女の手をとる陽平の姿は、美しい陽射しと音楽もあいまって、何か宗教画のようにも見えた。これが本編のラストカットだったというが、よくもまぁ、こんな美しい絵が撮れたものだ。

いつも陽平を見守ってきた母親・美津子(白石加代子)との短いシーンも忘れがたい。美津子は陽平の存在を全肯定する。これが、親が子にできる最大で最良のことなのかもしれない。「僕も、母さんの息子で、良かったよ」という陽平の言葉は、全編を通してもっとも淀みなく語られていた。人は誰かとつながっているから、生きていられるんだなぁ。

年度末、新型コロナウイルスがやってくる。リアルだ。有無も言わさず政府は学校の一斉休校を決めたことは記憶に新しい。教師も教育委員会たちも大混乱のままだった。

子どもたちを苦しめているのは、社会の歪みだ。不登校、ひきこもり、どちらも当事者だけの問題ではない。脚本を担当した梶本惠美は、「私が取材した実感では、ひきこもりの問題と言うのは当事者の問題ではなくて、やっぱり社会の問題だし、不登校もそう。学校だったり、教育だったり、社会の問題であるというのがはっきりとわかってきました」と明言している(公式サイト)。大人たちの歪み、制度の歪み、教育の歪みが、子どもたちに行き場を失わせ、心を踏みにじっている。

それが象徴的に表されているのが榊という存在だった。スクールカウンセラーの磯崎(鈴木保奈美)が「子どもたちの苦しみの根っこを取り除きたいんです」と言って榊のことを告発するのは、少しでも歪みを正そうという決意の表れ。コロナ禍でも、社会と大人たちの歪みの「しわ寄せ」が子どもたちに押し寄せる。学校に行け、と言っていたはずの大人は、学校に来るな、と言う。

STEPルームの生徒たちは閉ざされた学校を訪れ、自分たちだけで卒業式を行おうとする。陽平、磯崎、祥子の3人はそれを離れて見守っている。大人たちは味方になり、話を聞き、あとは見守ってやって、「手伝って」と言われたときにだけ、手伝ってやればいい。

やがて閉ざされた校門を挟んで榊をはじめとする教師たちと向かい合うが、陽平は「もう諦めるのをやめませんか」と訴え、校門は開き、生徒たちはあれだけ嫌っていたはずの学校に入っていき、校庭に手足を投げ出す。陽平も、磯崎も、榊も一緒だった。

ドラマが訴えていたのは、一貫して「生きよう」ということ。「人は変われる」「大人は子どもを守る」「しんどかったら逃げよう」「そこにいてもいい」「一歩踏み出そう」「諦めるのをやめよう」……。たくさんの「きれいごと」を「どうせきれいごとでしょ?」と言わずに「きれいごと」として繊細に、だけど力強く伝えてくれた。

子どもたちの前で大人たちはどう振る舞えばいいのか、生きづらさを感じている大人たちはどうすればいいのか、現実との大きな矛盾をどうすれば乗り越えられるのか。それぞれ難しいテーマにも、逃げずに正々堂々と立ち向かっていたと思う。「ひきこもり先生」という作品に感謝したい。

(文:シネマズ編集部)

※この記事は「ひきこもり先生」の各話を1つにまとめたものです。

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