人生を学べる名画座

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2021年07月25日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.15| 『シャイニング』|「仕事ばかりで遊ばない」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.15| 『シャイニング』|「仕事ばかりで遊ばない」



スティーブン・キング原作の映画は数多くありますが、どちらかといえばB級ホラー作品が多い。ところが監督が違うと、ここまで格調の高いホラー映画になるのかという、一番のいい例がこの『シャイニング』です。名匠・スタンリー・キューブリックの手にかかったことで、すべてがグレードアップされたという気がしますね。

僕は、映画というのは、結局は監督のものだと思っています。もちろん、原作や脚本も重要な要素ではありますが、映画は監督によって180度違うものになる。僕の漫画も何度か映画化されていますが、その度にまったく違った作品として生まれ変わるのです。ですから、原作者が出来上がった映画を観て後から文句を言っても仕方がないと思いますね。

僕は、自分の漫画を映画化したいと言われたら、承諾した以上はそれから先は一切口を挟みません。原作という素材をシェフである監督に渡して、「あとはどうにでも調理してください」という感じです。映画は監督のものなのですからね。

でも、スティーブン・キングはそういうタイプではないようで、この映画の出来がまったく気に食わずに随分と文句を言った挙句、結局自分の製作総指揮・脚本によるテレビ映画を1997年に撮っています。

キングは、キューブリックによって自分の原作が格調高い「A級ホラー」になってしまったことが気に食わなかったのだと思います。彼はきっと、ジョン・カーペンターのようなB級ホラー専門の監督に撮ってもらったほうが良かったのでしょうね。

キングの作品はB級ホラーだけではなく、『スタンド・バイ・ミー』(1986年)のようなものもありますが、どちらかといえば文学的というよりも子供を対象に物語を書くような作家です。キューブリックの『シャイニング』は完璧に大人向けの映像になっているので、自分の意図するところとは違ったのだと思います。

先ほど「A級ホラー」という言葉を使いましたが、他に作品を挙げるとすれば、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)くらいでしょうか。『シャイニング』を観ていると、「キューブリックも、ヒッチコックが大好きだったのではないか」と思うシーンがいくつかあります。

主人公・ジャック(ジャック・ニコルソン)の息子のダニーは、ホテルに行ってから 「REDRAM」と盛んに言うようになる。これはMARDER(殺人)の綴りを逆から読んだものなのですが、登場人物も観客も、その言葉がなにを意味するのかがわからない。

それがあるとき、壁に書いてあるREDRAMという文字が鏡に写ってMARDERだとわかる。そのときに「キュンキュン......」という効果音が鳴ります。あれは『サイコ』で使われていた恐怖心と不安感を煽るサウンドを思い起こさせるものがありました。

そして、この映画は映像がすごく美しい。ストーリーはわりと単純で、ジャックがだんだん「もののけ」にとり憑かれて殺人鬼と化し、最後は凍死して昔の写真の中に組み込まれてしまうというものですが、ストーリーよりも画面の美しさ、観せ方の怖さという、キューブリックのテクニックに舌を巻いた映画です。

気に入ったシーンがいくつかあります。まず、ジャックがかなりおかしくなってから、バーラウンジで幽霊のバーテンと出会うシーン。なにもないカウンターでジャックが顔を伏せている。その直後、ふと目をやると目の前にバーテンが立っている。このシーンは下からの照明がものすごく綺麗で、怖いというよりも美しかったですね。その後、ジャックがトイレに行って、幽霊のギャルソンと立ち話をする。このときの立ち位置、構図が実に素晴らしい。赤いタイルの中で、二人がはす向かいに体を寄せ合って話をするのですが、この構図はあまりにも素晴らしいもので、島耕作と今野が対決するときの立ち位置を決めるときなどに、



(「魂を売ってでも一杯の酒が欲しい」禁酒に苦しむジャックは、バーテンに差し出されたバーボンを口にする。)





(宿敵・今野を一喝する島耕作。何気ない一コマにそんなこだわりがあったとは。)

それから、ダニーが三輪車でホテルの中を走り回るシーン。この映画で初めて使われた スティディカムという特殊なカメラで撮影されているために、実にスムーズに後ろからダニーの姿を追いかけている。それで観る者に不安感を煽っておいて、突然、不気味な双子の姉妹の映像が目に飛び込んでくる。もうドッキューン! という感じでした。

そして、その姉妹は歩いて近づいて来るのではなくて、バン! バン! バン! といきなり空間をワープするように迫って来る。視覚的にも心理的にもかなりの恐怖感でした。

幽霊たちが集うパーティのシーン、エレベーターから大量に流れてくる血の洪水、英国式庭園の緑と白い雪の美しさ......。数え上げればきりがないほど、美しいシーンが多い。『13日の金曜日』(1980年) などのホラー映画は、恐怖を煽るために暗闇を多用して黒と青の色調で通すのですが、この映画はそうではない。明るい照明、美しい色調の中で恐怖を演出しているのです。

「そういった映像の美しさを使ってキューブリックが作り出したこの映画の恐怖は、B級ホラーにはないリアリティによるものだと思います。原作者のキングは 「悪霊にとり憑かれた」ということをもっと強調したかったのだと思いますが、キューブリックは、ジャックの心身症、精神が壊れていく様を克明に描いている。だからこそ、観客はジャックの狂気が現実的に怖いのです。この恐怖はリアルでした。『ゾンビ』(1978年)のような「そんなことあるわけないだろ!」という恐怖ではないのです。

この映画から取り上げたワンシーンは、そんなジャックの狂気を妻のウェンディ(シェリー・デュバル)が確信するシーンです。

ジャックは、アルコールによって仕事を失い、ダニーに暴力まで振るってしまった。そこで、酒を断って小説家として人生をやり直そうと決意する。ですが街中にいては誘惑も多いし仕事もはかどらないので、真冬には雪によって陸の孤島となるホテルに住み込むことになるのです。ホテルは、小説の執筆には絶好の環境。ジャックは家族にも出入りを禁じた大広間にタイプライターを置いて、時間も忘れて原稿を書いている。ホテルにはいつも、ジャックの打つタイプの音がカチャカチャと鳴り響いている。

雪に閉ざされてしまってから数日後の夜、ウェンディはジャックを大広間に呼びに行く。でも、その日はタイプの音が聞こえない。広間に入っていくウェンディ。

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大広間中央の机の上にタイプライター、その横に、うず高く積まれた原稿

恐る恐る机に近づくウェンディ、タイプにはさまれた執筆中の原稿を読む

(原稿)
仕事ばかりで遊ばない
ジャックはいまに気が狂う
仕事ばかりで遊ばない
ジャックはいまに気が狂う
仕事ばかりで遊ばない 
ジャックはいまに...... 


驚くウェンディ、その横に積まれた原稿を読む


(原稿)
仕事ばかりで遊ばない
ジャックはいまに気が狂う
仕事ばかりで遊ばない 
ジャックはいまに気が狂う
仕事ばかりで遊ばない
ジャックはいまに気が狂う
仕事ばかりで遊ばない
ジャックはいまに気が狂う 仕事ばかりで.... 


半狂乱になるウェンディ、その背後から近づくジャック


ジャック「気に入ったかい?」

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この後、完全に殺人鬼と化したジャックがウェンディとダニーを追うのですが、このシーンは怖かった。ジャックが「気に入ったかい (How do you like it?)」と言うときの表情とイントネーションは、忘れられないほどの狂気に満ちていました。

この映画の舞台設定は、冬のリゾートホテル。日本で例えると上高地の帝国ホテルのようなところです。冬場は完全クローズで、夏場しか営業しない。つまりそこには、一度人ったら逃げ出せない「密室の恐怖」があるのです。

この設定はよくあって、例えば『エイリアン』(1979年)などもそうですが、『シャイニング』の怖さが際立っているのは、恐怖の対象が自分の夫であり自分の父親だということでしょう。そしてさらに、それを演じているのがジャック・ニコルソンですからね。

ジャック・ニコルソンは『シャイニング』の怪演によって日本でもすっかり有名になりましたが、この映画以来、どんなに優しい役をやっていても怖いと感じてしまいます。

実際、ジャックのように山奥に行って原稿を書く、あるいはホテルに缶詰になって原稿を書くということは昔からあります。物書きというものは好奇心が強くて気が散るタイプが多いから、編集者が作家を集中させるためにホテルの一室に閉じこめてしまい、食事も洗濯もそこでやるという強引な手が昔はよくありました。

漫画でも、出版社の別室みたいなところに閉じ込めて書かせたという話を聞いたことがあります。「締め切り三日前だ!逃げ出さないようにしなきゃいかん」と、編集者が必死になってやるのですね。

昔は司法試験を受ける人が、まったく遮断されている狭い箱の中で勉強したこともあったそうですが、台湾では今でもやっているのです。台湾はものすごい受験大国で、受験が厳しいために、冷暖房完備で飲み物も頼めるようになっているレンタルルームを学生が借りて、自ら仕切りがある箱の中に閉じ籠って缶詰になって勉強しているそうです。

しかし、どうでしょう? 確かに仕事や勉強ははかどるかもしれませんが、そんな極限状態に自分を追い込んでしまったら、ジャックのように「気が狂う」ことはないにせよ、精神衛生上よくないことは明白です。やはり「仕事ばかりで遊ばない」はよくありません。......と、根っからの仕事人間である自分にも言い聞かせているのですが。

僕も大学受験のときには、必死になって勉強しました。もともと不真面目で勉強をしない人間ですから、短期集中で高校三年の秋口くらいから本格的に勉強をはじめ、一日16時間くらいは勉強したものです。学校にも行かず、問題集を一日一冊ずつ片付ける。僕たちの世代は「団塊」と呼ばれるほどのベビーブームでしたから、試験はいつも大変な倍率でした。私立の三科目は、100点を取らなければ合格できなかったのです。実際、社会が98点だったために落ちた人もいました。

自分の部屋に閉じ籠って、メシ、トイレ、風呂以外のときには部屋から出ない。もし浪人してしまったら、一学年下の人口はさらに多かったので、もっと地獄になりますから「死んでも現役」という覚悟でやりました。

やる気があれば、自分の部屋でもできるのです。環境も確かに重要ですが、結局はやる気の問題なんですね。

漫画家となった今でも、作品のアイディアを考えていて、気が散ってはかどらないときもあります。そんなとき僕は、スタジオを出てファミリーレストランに行ってやるんです。「そんなにうるさい所で!」とよく聞かれますが、ガヤガヤしていても他にすることがないので、集中できるのですね。

自分を追い込むのは、そのくらいまでにしたいと思います。そして、精一杯集中して仕事をして、遊ぶときには一生懸命遊ぶ。

やはり人間、その切り替えが大切なのだと思います。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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