2021年08月28日

千葉真一 追悼:世界のアクション映画を変えた名優に捧げる「決まってるね、千葉ちゃん!」

千葉真一 追悼:世界のアクション映画を変えた名優に捧げる「決まってるね、千葉ちゃん!」


アクション・シリーズ
連投への忸怩たる想い

1970年代に入ると、『やくざ刑事』(70~71)『狼やくざ』(72)『麻薬売春Gメン』(72)など千葉真一主演の現代アクション映画シリーズの製作が俄然増えていきます。

しかしこうしたシリーズものの連投は1パターンのルーティン・ワークに陥ることが多く、それを危惧する千葉真一は久々に深作欣二監督と組むことを望み、それが果たされたのが『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73)でした。



ここで彼が演じた欲望のままに行動する狂犬のような大友勝利は、その後のヤクザ映画キャラクターの大きな象徴として今なお語り草になっています。

この直後、ブルース・リー主演『燃えよドラゴン』(73)が日本でも公開(1973年12月22日)されて大きな話題となったことから、東映は千葉真一主演の格闘映画を量産。

もともと東映に入る前から極真空手を習い(1965年に初段、1984年に四段昇格)、ブルース・リーも生前に共演を望んでいたという千葉真一にとって、それは新たな路線として更なる人気を獲得していくことになりました。

しかし『殺人拳』(74~76)『地獄拳』(74)『けんか空手』(75~77/極真空手の始祖・大山倍達の半生を原作にしたもの)など、70年代初頭の現代アクション・シリーズのときと同じ轍を踏んでいくことに、再び彼は忸怩たる想いを抱き続けていくことになります。
(それもあって、毎回現場などでいろいろアイデアを出しては、作品ごとに少しでも趣向の異なるものとして映えるよう腐心もしていたとのこと)

むしろこの時期は佐藤純彌監督の『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』(74)や『新幹線大爆破』(75)など、当時の東映としては珍しいジャンルへの出演に興味を示していた向きもあり、またTVでもノンアクションのホームドラマ「七色とんがらし」(76)に主演。

またこうした模索が功を奏してか、1976年の中島貞夫監督作品『沖縄やくざ戦争』で再び京都市民映画祭主演男優賞を受賞し、1977年には深作監督の現代アクション映画『ドーベルマン刑事』に主演して心通わせつつ、この再会が後の千葉真一と時代劇との邂逅へと直結していくのでした。

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