映画コラム

REGULAR

2022年03月02日

「今でも繰り返し観ている、2000年以前に公開された映画のオススメ」〜ココイチの手仕込みささみカツカレー3辛を添えて〜

「今でも繰り返し観ている、2000年以前に公開された映画のオススメ」〜ココイチの手仕込みささみカツカレー3辛を添えて〜

編集部から毎月出されるお題をもとにコラムを書く「月刊シネマズ」。今月のテーマは「今でも繰り返し観ている、2000年以前に公開された映画のオススメ」だそうだ。

以前、飲み屋で見ず知らずの人と映画の話をしていたとき、割と小馬鹿にしているような口調で

「同じ映画を何度も観るのって、何が楽しいんすか?」

と訊かれたことがある。脳内では思わず目の前にあるクラガンモアのキープボトルを手に取り、タランティーノ作品の如きスピードで相手の右側頭部をジャストナウ即刻フルスイングする光景が繰り広げられたが、現実は「うーん、何度観ても面白い映画は面白いっていうか、金曜ロードショーでナウシカやってるとつい観ちゃうでしょ?」みたいな、気の抜けたソーダ割りのような答えを返すしかなかった。

この問いは、カレーが好きで好きでたまらない人に「1日3食カレー食って、飽きないんすか?」と尋ねているのと同義である。よりリアルに表現するならば「毎日ウーバーイーツでココイチの手仕込みささみカツカレー3辛頼んでますけど、飽きないんすか?」と訊いているようなものだ。

手仕込みささみカツカレー3辛はココイチのなかでも最もバランス感覚に優れた鉄壁のカスタムのため、明確に「飽きない。むしろ週に24回は食える」と回答できる。プレーンでも1辛でも2辛でも4辛でもいけない。多くの宗教が3を神聖視していることからも明らかだが、3辛こそが至高であり、最もカレーなる料理の真理に肉薄していると言えるだろう。

世の中には、同じ映画を何度も観る人もいれば、毎日ココイチの手仕込みささみカツカレー3辛を食う人もいる。アル中ならば毎日酒を飲むし、チェーンスモーカーなら6分に1回煙草に火を点ける。つまり何にでも反復性はあるもので、極端な話依存に近い。よって、冒頭の問いは愚問である。

ただ、愚問といえども「何回も観て何が楽しいんすか?」「なんで何回も観るんですか?」と問われると意外と返答に困るのもまた事実。「そう言われれば確かに、何が楽しくて俺は『ザ・コア』を年に7回くらいは観ているのだろう」とか思ってしまうためだ。

なので、まずは(同じ映画を)「何回も観て何が楽しいんすか?」「なんで何回も観るんですか?」に対する回答を、クラガンモアのボトルを握らずに考えてみたい。

【関連記事】不朽の名作:全力でオススメしたい「2000年以前公開の映画」たち

【関連記事】日本映画激動の1997年を締めくくり、濱口竜介に大きな影響を与えた黒沢清監督『CURE』

【関連記事】今だから観てほしい!『ニキータ』が魅せるいびつな愛

同じ映画を何回も観て、何が楽しいのかについての回答としては

同じ映画を観て何が楽しいのかといえば、第一には「面白いんだからしょうがねぇじゃねぇか」と、身も蓋もない心の叫びが木霊する。

第二には、何度観ても新しい発見があるから、という理由もある。特殊なギフトでも無い限り、人はすべての台詞やショットを記憶できない。じゃによって、記憶の中にある映画は、現実で再生されるものと少なからず違いがある。「あ、ここってこうだったっけ、勘違いしてたわ」と、記憶の間違い探しをするのは結構楽しい。

記憶違いの他にも「まったく記憶になかった」シーンが必ずある。「見ていなかった(見えていなかった)」とも言い換えられるだろう。あるいは、意識的に「見たくないもの」として目を背けていたシーンを発見するときだってある。

また10年、20年と年齢を重ねていくうちに、当然ながら物事の捉え方は変化する。昔は『魔女の宅急便』のキキの父などモブ程度にしか把握していなかったのに、今ではワックワクでキャンプの用意をして来たのに「あたし、魔女立ちすっから」と娘に予定を一刀両断にされ、それでもなお、笑顔で送り出す父親に「ああ、なんかわかります」と涙してしまうような、感情移入ができる対象の変化もある。

これらはときに、映画の見方や感想を180度変えてしまう。これは長期間、定期的に、何度も観ていないと味わえない映画の面白さと言える。

ちなみに、「何が楽しいのか?」については、当然ながら「一度観た映画なんて、オチがわかってるのに楽しいんすか?」といった意味も含まれてるだろう。

そんな疑問を持つ人に言いたい。初見で関ケ原の戦いを描いた映画があったとして、あなたは西軍と東軍、どちらが勝つのか手に汗を握って鑑賞するのか。しないだろう。あるいは第二次世界大戦を題材とした史実に基づく作品があるとして、あなたは「今度の映画こそ枢軸国が勝つかもしれん」と期待して観るだろうか。観ないだろう。オチが解っていても、面白いものは面白いのだ。

それと同じく、視聴済みの映画であれば、もちろんオチは解っている。『猿の惑星』なんてDVDのジャケットが既に壮大なオチ、というかネタバレをカマしている。これはいくらなんでも酷い。というネタはさておき、ネタバレ厳禁作品の極北である『シックス・センス』や『ユージュアル・サスペクツ』だとしても、別にブル◯ス・◯ィリ◯が◯◯だったとか、カ◯◯ー・ソ◯が◯◯だとか、知っていたとしても楽しめる。

ホラーやサスペンスだって、別に「誰が生き残り、誰が死ぬのか」が予め解っていたとしても楽しめる。もっとも、この場合は初見よりも余裕をもって物語にライドできるといった安心感がプラス作用をもたらす、というのもあるだろう。

なぜ何度も見返す(あるいは、見返してしまう)のかについての回答としては

何度も観た映画を見返す際には、積極的に観る場合と消極的に鑑賞するケースがある。

前者は「久しぶりに『サイコ』を観ようかな」といった感じで、見返す理由としては上述した「楽しみ」の他にも、「最近観てないから」とか「定期的に摂取しないと死ぬ」とか「毎年クリスマスには『ダイ・ハード』を観なければ年を越せない」とか色々あるだろうが、動機としては非常にシンプルである。

後者は「見返す」よりは「見返してしまう」映画だ。「飯を食いながら映画でも観ようと思い、Netflixやアマプラを漁っていたところ、結局何度も観たことのある映画を再生してしまう」といった現象を指す。私はこれでよく『ザ・コア』を再生してしまうのだが、皆さんはどうだろうか。

この行動の背景としては、いくつかの理由が考えられる。オチや面白さが既に判明している映画であれば安心できるし、何より「ながら観」ができる。途中で再生を止めてしまったとしても、結末を知っているため特に問題はない。

また初見の作品を再生し、それがつまらなかったら損をした気分になるといった理由もあるだろうが、やはり第一としては反復する安心感があると思う。

この安心感は、ココイチの手仕込みささみカツカレー3辛にも通ずる。「あ、今日ココイチ食べようかな」と思い立ち、メニューを確認する。「なるほど、今回の期間限定メニューはローストチキンスープカレーか。スパイスの効いたスープカレーにローストチキンは間違いなく美味い。けれど、スープカレーはご飯にカレーをかけるのか、それともご飯をカレーにつけるのかが判然としない。答えが解らないまま食べ続けていては、純粋な味を楽しむことができない。やはりここは鉄板、人類の叡智の結晶である手仕込みささみカツカレー3辛を頼むべきではないか」と注文し、手仕込みささみカツカレー3辛を口に入れれば「ああ、やっぱり間違いない」と辛味と安堵が心地よく胃に落ちていく。

無論、「新しいものにチャレンジしてみよう」といった冒険心はあるものの、やはり安心感・安定感が勝ってしまう状況もある。「ながら観」がしたいときや、疲れている場合ならばなおさらだ。

今でも繰り返し観ている、2000年以前に公開された映画のオススメへの回答としては

以上のことから、何度も繰り返し観てしまう映画は「人による」としか言えない。例えば私は『ブレードランナー』は100回以上観ているが、もし1度も観たことがないのならば、その人にとっては初体験になってしまうし「100回観ろ。毎回新しい発見があるんだ」とも推せないし責任も持てない。

ましてや『ブレードランナー』はワークプリント版からファイナル・カット版まで5バージョンあるので、単純計算で計500回は観ないといけない。余談だが、個人的にはオリジナル劇場公開版が好みである。『ブレードランナー 2049』を観た後だと尚更だ。

これは「ココイチの手仕込みささみカツカレー3辛を毎日4回食べろ。毎回新しい発見があるんだ」と勧めているのに等しいので、若干、というかかなり無茶である。『ブレードランナー』が口に合わない人もいるし、辛いカレーが苦手な人だっている。なので、1度ならまだしも反復を前提として勧めるのは、個人的にはちょっとできない。

だが、今回のお題は「今でも繰り返し観ている、2000年以前に公開された映画のオススメ」だからして、何かしらの作品を提示しないまま半分以上ココイチの話で終わると『ミザリー』で作家を監禁して小説を書き直させたサイコパスババアの如く壮絶なボツを喰らいそうなので以下、画竜に点睛をしておく。

2022年になっても相変わらず、世の中は疫病が流行り、人々は「会う」ことを制限されている。会話を制限されているといってもいい。「zoomだって会話じゃねぇか」と脳内で適当に合成された読者が投書してくるが、日国によれば会話とは「2人以上の人が集まって互いに話を交わすこと」である。

なので、ここはタイムリーに「話し合う映画」を提示したい。私のオールタイム・ベストは『ハイ・フィデリティ』『地獄の黙示録』『スモーク』なのだが、『ハイ・フィデリティ』は2001年公開なので却下。『地獄の黙示録』はビル・キルゴア中佐が話しまくるものの、割と一方的なので却下。

『スモーク』は、ブルックリンの煙草屋に集う人々の会話劇だ。ハーヴェイ・カイテルが営む店舗には、毎日のように常連客や飛び込み客が訪れ「会話」する。その「中身があるようで無い会話」はまるで都会における寓話のように美しく、今となっては贅沢にさえ感じてしまう。ちなみに次作の『ブルー・イン・ザ・フェイス』も素晴らしい。なにせ冒頭からルー・リードが「煙草の煙の重さ」について語るので、可能であれば2本立てがよい。

満足に話し合えない今、言葉の神たち(原作はポール・オースターだし)が繰り出す会話は眺めているだけでも楽しいし、少し羨ましくなって哀しくもなってしまうけれども、いつか友人と、未だ出会わぬ誰かと、煙草の煙のように、香りだけ残して消えてしまうような、とりとめもない話をするための参考書として最適だ。当然ながら、鑑賞の傍らにはココイチの手仕込みささみカツカレー3辛をお勧めする。

(文:加藤広大)

【関連記事】『ニュー・シネマ・パラダイス』は歳を重ねるたびに楽しみ方が変わる作品だった

【関連記事】「推し」とは無縁な人間が、「推し」について本気で考えてみた

【関連記事】<2021年公開映画TOP10>を勝手に決めてみた

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!