『さかなのこ』“のん”が“さかなクン”として転生した、マルチバース映画
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2013年。新星のごとく現れた1人の女優が、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でヒロイン天野アキを演じ、日本中を虜にした。彼女が次代のスターであり、これからの映画&テレビを牽引する存在になると、誰もが信じていた。
その後彼女は能年玲奈という名前を捨てて、“のん”といういささか風変わりな名前で再スタートを切ることになる。
主人公すずを演じたアニメ『この世界の片隅に』(16)がキネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位に輝いたり、CMでキリンジの「エイリアンズ」をアカペラで歌って話題になったり、その後も印象的な活動を続けてきたのん。だが正直、ドラマや実写映画の出演は難しい状況が続いていた。
風向きが変わってきたのは、2020年あたりだろうか。『星屑の町』『8日で死んだ怪獣の12日の物語 - 劇場版 -』『私をくいとめて』と出演映画が3本も公開され、2022年の今年も監督・脚本・主演を務めた『Ribbon』に続き、9月1日から主演を務めた『さかなのこ』が公開されている。私たちの大好きなのんが、メジャーの舞台に帰ってきたのだ!
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さかなクンではない、もう1つのパラレルワールド
『さかなのこ』の原作は、さかなクンの半生を描いた自叙伝「さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜」。
さかなクンをのんに演じてもらうという、一見アクロバティックだが極めて理に落ちるキャスティングは、この作品のキモと言える。監督の沖田修一自身、以下のようにコメントしている。
さかなクンの生き方を元に、映画にしたいと思いました。その純粋な役を、のんさんにお願いしました。お二人とも何かが似ていると思いました。何かは言葉にできませんが・・・。さかなクンを描くのに、性別はそれほど重要ではないと思いました。
映画の冒頭に示される「男か女かはどっちでもいい」というテロップは、その表明と言えるだろう。だがそれよりも特筆すべきは、さかなクン自身がさかなクン以外の役で『さかなのこ』に出演していることだろう。彼が演じているのは、“ギョギョおじさん”なる謎の人物。「ギョギョ!」という物言いといい、博覧強記な魚の知識といい、どう考えてもさかなクンそのまんまなのだが、この世界では単なる変わり者という扱いなのだ。
このパラレルワールド感は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)によって急速に人口に膾炙した「多元宇宙論」的ともいえる。『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(22)では、無限の可能性が存在するマルチバースが舞台となり、ドクター・ストレンジは世界的危機を救うため「自分たちが存在する宇宙とはちょっとだけ異なる別の宇宙」に飛び出していった。
おそらく『さかなのこ』で描かれる舞台は、我々が住む世界とは異なる別のユニバースである。「TVチャンピオン」の全国魚通選手権で5連覇することもなく、東京海洋大学名誉博士に任命されることもない、ただただお魚が大好きな宮澤正之くん(本名)が存在する宇宙なのだ。
その想いをしっかりと受け止めるのが、のん演じるミー坊。ハコフグのぬいぐるみ帽子を被った瞬間、彼女はこのユニバースにおけるさかなクンとして覚醒する。(帽子を被ることで次代を担う者が何かを継承するこの感じ、筆者は思わず『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)で、盗掘団のボスからハット帽が手渡されるシーンを思い出してしまいました)
本作はさかなクンの伝記映画ではなく、巧妙にフィクションとノンフィクションが交錯する、マルチバース映画なのである。
これは、さかなクンの映画であって、さかなクンの映画ではありません。何かを猛烈に好きになった人の映画です。
以上の沖田修一監督のコメントにも、“マルチバース”が伺える。
帰ってきた天野アキ
高校の同級生だったヒヨ(柳楽優弥)、総長(磯村勇斗)は、大人になったミー坊に「お前、全然変わらないな」と語りかける。筆者はこのセリフが、ミー坊というキャラクターに対してではなく、のん個人に対して投げかけた言葉のように受け止めてしまった。
物語の中盤、のんがウェットスーツに身を包んで海に飛び込むシーンがある。「あまちゃん」を観ていた者ならば、誰もがこう思うことだろう……天野アキが帰ってきたと!「なまりすぎる海女」こと天野アキが帰ってきたと!
のんは、 能年玲奈だった10年前も、そして現在も、全く変わることがない。ちょっと不器用そうに、でもキラキラした瞳で、この世界に佇んでいる。間違いなく『さかなのこ』におけるのんは、私たちが観たいと心の底から願っているのんだ。
ひょっとしたら、沖田修一監督はさかなクンのマルチバース映画というトンデモ設定だけではなく、彼女の出世作「あまちゃん」とも重ね合わせるという、さらにトンデモな設定を仕掛けているのかもしれない。
『さかなのこ』には、周到に計算されたレイヤーが幾つも重ね合わされている。
(文:竹島ルイ)
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