人生を変えた映画

SPECIAL

2023年01月29日

映画監督・長久允を映画の世界に誘った“大竹しのぶの熱演”と“新藤兼人監督の生き様”

映画監督・長久允を映画の世界に誘った“大竹しのぶの熱演”と“新藤兼人監督の生き様”


一本の映画が誰かの人生に大きな影響を与えてしまうことがある。鑑賞後、強烈な何かに突き動かされたことで夢や仕事が決まったり、あるいは主人公と自分自身を重ねることで生きる指針となったり。このシリーズではさまざまな人にとっての「人生を変えた映画」を紹介していく。

今回登場するのは映画監督、脚本家の長久允さん。映画『DEATH DAYS』などの話題作を手掛ける監督が、この道を志す“きっかけ”となった作品について。スクリーン越しに届けられた情熱に青年の人生が変わった。

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『ふくろう』

舞台は1980年の日本、飢餓に苦しむ村で一念発起して売春をはじめた親子を描く。当時92歳だった新藤兼人 監督が2004年に製作。主演は大竹しのぶと伊藤歩。大竹しのぶの熱演で第25回モスクワ国際映画祭において最優秀主演女優賞を獲得。配給:シネマ・クロッキオ=近代映画協会

『ふくろう』を観て、僕は映画を作ろうと思った

2004年。僕は20歳だった。10年ほど続けたサックスを挫折して、途方にくれていた。写真を撮っても、落研に入っても、服飾に手をだしても、どうもしっくりこなかった。自分がやるべきことには思えなかった。毎日口から血を出しながら吹いていたサックス、それに注いだ情熱に代えうると確信できるものと出会えていなかった。

街をぶらつく。大学の隣にはイメージフォーラムがあって、ちょうどその時、90歳を超えた監督の映画を上映していた。新藤兼人というらしい。それは『ふくろう』という映画で、ポスターの熱量に惹かれて観てみることにした。

その映画は、ずっと同じ部屋で、同じことが繰り返されている映画だった。大竹しのぶと伊藤歩が暮らすボロボロの一軒家に、男たちがやってきて、彼女たちと売春をして、その後に殺される、その繰り返しだった。しかし、その繰り返しの中で、彼女たちの悲しみと諦念と怒りが膨らみだす。僕のよく知る物語の運び方とは違った。しかし、異様な熱いエネルギーで作られていた。主演の大竹しのぶさんの唾が映画館の一番後ろの座席まで飛んできた。映画が終わる頃には唾でびっしょびしょになっていた。

映画は自由だ。どうあってもいい。そこに伝えたいことがあれば、見せ方は自由だ。そう気付かされた。雷に打たれたようだった。僕は映画を作ろう。イメージフォーラムを出るときそう決心した。

新藤兼人監督は2012年に100歳で亡くなった。死ぬまで映画を作り続けた。それは情熱的で、そして実験的な映画ばかりだ。物語を使って、社会と、人間と、真っ向から対峙したものばかりだ。僕もそうありたい。『ふくろう』を昨日見直した。今は配信で観られる。PC画面で観ても熱量は落ちることはなかった。リビングにいた僕はまた、びっしょびしょになった。

Profile


長久允(ながひさ・まこと)

映画監督、脚本家

東京都生まれ。監督作品に『そうして私たちはプールに金魚を、』(第33回サンダンス映画祭短編部門グランプリ)、『ウィーアーリトルゾンビーズ』、『DEATH DAYS』など。近年ではドラマ『FM999』や、GUCCI『Kaguya By Gucci』、KID FRESINO+Aマッソ『QO』の演出なども手掛け、活動は多岐にわたる。
https://nagahisa.mystrikingly.com/

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