松山ケンイチ「死に方、生き方を考える」 映画『ロストケア』インタビュー
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した葉真中顕の小説「ロスト・ケア」を映画化した本作の主人公は、40人以上もの老人を殺めた介護士の斯波。彼はなぜそのような事件を起こしたのか、担当検事の大友が追及していく中で、斯波は自身の行為を「救い」と言う。
現代日本の問題に切り込んだ今作で伝えたかったこととは。斯波を演じた松山ケンイチに話を聞いた。
どうやって死にたいか、生きたいかを考える
▶︎本記事の画像を全て見る――完成した作品を観られて、改めてどういった感想を持たれましたか。
松山ケンイチ(以下、松山):やはりすごく考えさせられる作品になったのかなと思いました。原作を読んだときに自分はどうやって人生の終わりを迎えるのか、どうやって生きたいんだろう、と考えたんですけど、試写会の感想などからは観ているお客さんも同じように思っているのかと。
妻や知り合いにも観てもらっても、そういう感想があったので、やっぱり観た人に何かを残す作品になったのかなと思いますね。
――今回、斯波を演じるにあたってどのような人物だと分析されましたか?
松山:基本的に普通の人間なんですよね。周りの皆さんと何ひとつ変わらない、ただ普通に生きていた人。
父親と2人で子ども時代を過ごしていて、たまたま父親が倒れて、仕事を辞めて、介護をしていた、ただそれだけなんです。だから、何も狂ってるところがないというか。普通じゃない人とは思ってもらいたくなかったのでその点は気をつけましたね。
――柄本明さん演じる父親とのシーンは、胸を打たれるものがありました。柄本さんとはどういったお話をされましたか。
松山:演技について柄本さんと話したりしたことはなかったです。撮影が終わるとすぐに帰っていきました(笑)。
幸せになるためには周りを幸せにしなきゃいけない
▶︎本記事の画像を全て見る――今回の作品のテーマは介護について、観ている人にさまざまなことを問いかけているように思います。答えが出しづらい問題だと思いますが、松山さん個人としては、どうすればもう少し変わっていたのに、と考えられますか。
松山:まず孤立化させない、ということですね。斯波がまさにそうだったんですけど、父親と自分だけ、介護される人と介護する人の2人だけだった。行政に行っても助けてもらえなかったし、頼る親族親戚もいなかったから完全に孤立してしまいました。
孤立化させないためには、隣近所とのコミュニケーションをとって、コミュニティ化しなきゃいけないわけですよね。
コミュニケーションって人間関係の話になってくるから、面倒くさいし、大変なんですけど、補完し合える安心感は間違いなくあるんですよね。
補完し合える関係を作るには「どうやったら人は喜ぶんだろう」とか、「どうしたら人を好きになれるんだろう」と考えることが大切だと思います。これが結局、自分にプラスになって返ってくるわけですけど、当たり前のことなのに、見落としがちですよね。自分が幸せになるためには周りを幸せにしなきゃいけないから。何も解決にはなってないですけど、共有するだけで踏み留まれる可能性はあると思います。
――都会にいると、そういったコミュニケーション能力が落ちていく印象はあります。
松山:隣近所と付き合う必要に迫られてないと思うんですよね。それが一つのマナーみたいにもなってるし、付き合いがなくても生活は成立していますし。
だけど、もし今震災が起きて、買えるものがなくなったら、隣近所で交換しあわなきゃいけない状況が出てくると思うんですよ。そのときに初めてコミュニケーションが必要になる。必要だから、もしくは楽しいから、コミュニケーションって生まれてくるものだと思うんですよね。東京は多分それが苦しいものだったり、必要ないものとしてあるんじゃないですかね。必要な人は今でも普通にとってると思うし。
――田舎だとやっぱり違いますか。
松山:田舎も、僕の親は全然近所づきあいもしないし、それで成立してますね。僕、親が友達と遊んでるとこ見たことないですもん。今は、弟が近くに住んでいますけど、2人きりだったら完全に孤立するなとは思います。
だけどまた違う田舎だと、コミュニティが出来上がっていて、「あそこのおじいちゃんの家に毎日女性が来るな」とか「あそこで女子会を開いてるらしいよ」とか。中心になるような人がいたら人は集まってきて、輪になる、何かが生まれてくる。
みんな異業種だったりするから、それも面白いなあと思います。困ったらこの人やあの人に頼めばいい、その代わりあなたたちができないことがあったらやるよとか、肉とか野菜を出すよとか、という感じで過ごしてる人たちもいるんですよね。
そういう補完し合うコミュニティっていうのかな、お金のやり取りではなくて、物のやり取りだったり、自分の労働力のやり取りでできれば、老後になっても少しは安心材料になるのかな、と思います。そこから生まれる情報もあるわけですよね。
介護に関する情報共有だったり、どこのデイサービスがいいとか、どこに入院するのがいいのかとか。それは大事なのかな、と思いますけどね。
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――松山さんご自身はお住まいの田舎で、どういったコミュニケーションを取られてるんですか。
松山:僕は僕でまた全然違う目的でコミュニケーションをとっていますね。面白い人たち、プロフェッショナルたちがいっぱいいるんですよ。農業もそうだし、釣りをやっている人がいたり、チーズを作っている人がいたりとか。知らないことがいっぱいあるから、聞きに行くんです。もうみんな師匠みたいなものなんですよ。
この人たちから、いつもいろいろなものをもらってるけど、自分は何を返せるんだろうな、と思っています。みんなは自分で作ったものをくれるから。
――そうか、そうですよね。
松山:例えば俳優の仕事だったら、セリフをあげられないし、もらったってしょうがないし、サインなんてどうでもいいし。何かないかな、っていろいろ考えるんですけど、自分だけにしかできないものを、きちんと作った方がいいなと模索しているところです。
――今は探してる最中ですか。
松山:畑に鹿が出てくるんですよ。その鹿が今、有害駆除で駆除されていくんですけど、その皮をレザーにして革製品作ったりしているんです。それなら渡せるので、強みを持つという意味ではやっとスタート地点に立てたな、というところです。
田舎では本当に知らないことがいっぱいあるんですよね。目の前に課題が出てくるから、一つひとつ自分なりに答えを見つけていく、ということを俳優以外の部分ではやっています。
介護の問題は必ず誰もが通る道
▶︎本記事の画像を全て見る――作品を拝見して、家族に対する人生の関わり方を考えなきゃいけないのかな、と感じたんですが、松山さんご自身は家族との関わり方についてはいかがですか。ご両親もそうですが、お子さんに対しても。
松山:子どもに対してはやっぱり自立させることが、今一番の目標ですね。
子どもが30歳、40歳になっても自立していない状況は作りたくなくて。できるだけ、成人したときに自立できるように、という気持ちで今は取り組んでいます。
いろんな介護の話を聞いてると、子どもに負担かけさせたくないので、何とかできないかなと思うんですけどね。
――関わり方だけではなく、関わられ方についても考えられるんですね。
松山:そうですね。自分の祖父がぽっくりいって、誰も介護経験しなかったのはすごいことだな、と思うんですよね。一方で祖母は元気なんですけど介護が必要で。僕の父親が介護しているんですけど、笑って話していても、明らかに風貌変わったな、と感じるから、介護している中で何かは起こってるんだろうな、介護ってやっぱりそういうもんなんだ、と思うようにはなりました。
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――作中では、介護について考えるようになった、という言葉がありました。松山さんがこの作品で伝えたいことを改めて教えてください。
松山:人は死ぬということと、介護の問題は必ず自分の目の前に、誰もが通る道だということを知ってほしいです。蓋をしておけば来ないだろうって、思うかもしれないですけど、絶対にあるから。自分の死に際もそうですけど、備えが必ず必要になってきます。自分の子どもたちや、若い世代の人たちのためにも備えてほしいです。それがこの作品で僕が伝えたいことですね。
(撮影=渡会春加/取材・文=ふくだりょうこ)
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