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2023年06月04日

「だが、情熱はある」いま、山里亮太と若林正恭を描く意味とは

「だが、情熱はある」いま、山里亮太と若林正恭を描く意味とは


最初に「たりないふたり」がステージに登場してきたシーンでブワッと鳥肌が立った。

散々、さまざまなところでいろんなことが言われていた。そもそも、山里亮太をSixTONESの森本慎太郎、若林正恭をKing&Princeの髙橋海人。ジャニーズが実在する芸人を?と。

触れずにはいられない、再現度。怖すぎる。

若林役の髙橋海人。見た目はKing&Prince。話し方と声が若林正恭。山里役の森本慎太郎は見た目が完全に山里亮太。ふとしたときに森本慎太郎が覗く。頭がバグる。

ふたりだけではなく、戸塚純貴演じる春日俊彰が出た瞬間、マンガみたいに吹き出してしまった。高校の頃からそんな感じなの?と。見た目は全く異なるのに春日にしか見えない。動きが春日。富田望生演じるしずちゃんもしかり。もはや何を見せられているのか分からなくなる。

でも役者が実在する人物に似せていて、人生の再現ドラマじゃない。それだけじゃない。それだけならよかった。

もう!観ていると!!胸が痛くなるんだ!!!

第1話の山里・若林初対面の居酒屋のシーンから、胸が痛すぎて一旦チャンネルを変えた。語りは山里、若林と親交がある日テレアナウンサーの水卜麻美が務める。淡々とした語りが物語の雰囲気を高めていく。

ドラマ「だが、情熱はある」は、友情物語でもないしサクセスストーリーでもない。ほとんどの人において参考にはならない。

それでも、どうやってふたりの芸人ができたのかが、ほんの少し分かるかもしれない。

誰だってかつては何者かになりたかった

物語はふたりの高校時代から始まる。そして彼らのルーツとなる家族が描かれる。

なんでも「すごいねぇ」という山里の母。ヤブ医者が心臓の穴が空いていると診断したから、心臓に負担をかけないために「感情を出すな、死ぬぞ」という若林の父。

ただ、家族は彼らの心をどうにかしたいというわけではない。割と素直じゃない彼らのベースを作り出したのは事実だが。

割と素直じゃない彼らがいろんなことをこねくり回して、鬱屈としたものをため込んでいく。鬱屈としたものを抱えたまま大人になって「何者かになりたい」という気持ちだけが膨らんで頭でっかちになっていく。

確かに高校生ぐらいのときには、多くの人が何者かになりたいと考える。その人たちがどうするかというと、「何者かになれた」ことにしてやり過ごすか「何者かになどなれない」としたり顔で大人になる。

だけど、山里と若林は何者かになろうと足掻き続ける。足掻くのだが、なれないから鬱屈としたものが溜まっていくばかり。芸人さんの半生を描いたドラマって、売れないにせよもっと華やかなものじゃないのか。一番華やかに見えたのが山里の大学時代ってどういうことだ。

結果、若林は「みんな死んじゃえって顔してるね」と言われ、「あなたさ、今幸せ?」と問いかけられる。

山里は「人を責めていると自分を見つめなくて済むから」という回答にたどり着く。

それにしても、そんな死んだような目の演技、上手い人いる?大丈夫?

問い続けることをやめない

ふたりのシーンで印象的なのは、自問自答をくりかえしていることだ。山里はノートに思いを書き込み続ける。

自分が天才だと勘違いできていればいいのに、そうじゃないと気がついてしまっているのが苦しい。暴走することもあるし、暴走し続けることもあるけど、立ち止まって振り返って反省する。世間を憎み続けられればいいのに、自分のダメなところに気がついてしまっている。

若林はなぜ売れないのかを考え続け、前に進めないことへの言い訳がダサいことも知っていて、それを「恥ずかしい」と言えてしまう。世の中のせいとか、誰かのせいにすればいいのにそれができなくて苦しむ。

一方で見ている側としては、勘違いし続けていたいし、誰かのせいにしたいし、自分は特別なのだと思いたいものだから、ふたりの言動が辛くて仕方がない。

そんなふたりが足掻き続けられたのは信頼できるものがあったから。

山里は内省を繰り返しながらも実はものすごく自分を信頼しているのではないか、と思う。妬み嫉みを燃料に生きているのだとしたら、何かを燃やし続けて、自分で動き続けなければならない。動ける自分を信頼できなくなったら、何にもすがれなくなってしまうのでは?


若林が信頼しているのは春日だろう。若林が何をしていてもなんだかんだで一緒にいてくれる。若林が芸人になろうとしたときに、春日を相方に誘うのは最後の切り札だった。春日ならOKしてくれるから。春日に断られたときが一番ショックを受けているし、諦めきれなかったところに本心が出ていてグッとくる。

イマイチ何を考えているのか分からない春日だが、若林が想いを吐露した第5話で「どう考えても今が幸せ」と言い、「努力って不幸じゃないと続けちゃダメなんですかね」と問いかけた。何を考えているのか分からないのではなくて、ずっと本音で生きているということなのかもしれない。

逃げて折れているすべての人に贈る物語

いま、山里亮太と若林正恭の半生をドラマ化する意味ってなんだろう?と考えた。ノリにノっている、というのとは違って、安定した実力と人気とレギュラーを持っている芸人さん。でもそんな彼らだってこんなに大変なことが、苦しいことがあったんだよ、だから今があるんだよ、と伝えたいのかというとそれもまた違う気がする。

ただ、バラエティー番組で垣間見える人間としての優しさは、足掻いて足掻いて自省して自省して……という時間がたっぷりあったからなんだろうな、と思う。そして、そういう時間はいまだに続いているのではないか。知らんけど。

第3話だっただろうか、「彼らが逃げて折れて立ち上がっていく物語」というナレーションが入ったが、今だってきっとその物語は進行中なのだ。

物語は佳境に入っている。南海キャンディーズはM-1グランプリで準優勝を果たし、大ブレイク。主にしずちゃんが、だが。そして山里は妬み嫉みが大爆発。周りが全く見えていないし、自分を認めてくれている人たちのことも認めない。どんどん顔が歪んでいく。

ここで「成功とはなんなのか」を改めて問いかけられるような気がして、人生って終わりのない物語だ……となる。


余談な上に個人的な話だが、朝の情報番組はいつも日テレを観ている。「スッキリ」が終わったけれど、その流れで山里さんがMCを務める「DayDay」も家にいるときは観ている。番組での相方、武田アナウンサーへの気遣いに、本当に山里さんは本当に気が利く人なんだなあ、と思ってにこやかに観ていた。

だが、ドラマを観た後だと「もしかしていい人を演出するためのものでは……」という疑惑の目を向けてしまう。いや、それさえもまた演出のひとつなのかもしれない、なんて考えるぐらいには、すっかりドラマを楽しんでいる自分がいる。

(文:ふくだりょうこ)

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