「ブギウギ」スズ子は隣村の農家をどうやってみつけたのか<第21回>
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2023年10月2日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「ブギウギ」。
「東京ブギウギ」や「買物ブギー」で知られる昭和の大スター歌手・笠置シヅ子をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。小さい頃から歌って踊るのが大好き、後に戦後の日本を照らす“ブギの女王”となっていく主人公・福来スズ子を趣里が演じる。
ライター・木俣冬が送る「続・朝ドライフ」。今回は、第21回を紐解いていく。
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ウチ アホやから
「(スズ子は)菊三郎さんの子じゃけん」という、横溝正史的、旧家の因縁話のようなムードではじまった第5週「ほんまの家族や」(演出:鈴木航)。でも、そのあとに挿入されるタイトルバック、主題歌のブギのノリの破壊力は、仄暗い横溝ムードをなきものにします。ブギの明るさってすごい。
でも、主題歌終わりはまた、しっとりムード。自身の出世の秘密を知ったスズ子(趣里)は白壁の家を飛び出し、林の中を猛スピードで駆けていきます。
そのまま、一夜を林のなかで過ごしたスズ子は、隣村のキヌ(中越典子)の嫁ぎ先を訪ねます。
一晩、林の中は物騒だし(せめて夏でよかった)、よく、キヌの家がみつけられたな、と思いますが……。
キヌの家には小さな男の子がふたり。スズ子と父親違いのきょうだいですね。
キヌはスズ子を手放した事情を語ります。
白壁の家の女中だったキヌは、菊三郎の子供を身ごもったが、白壁の家はキヌを認めず、解雇され実家からも見離され、困っているときに、ツヤ(水川あさみ)が出産のために実家に戻ってきて。
ツヤの家で一緒に産もうと助け舟を出したところから、運命の歯車が……。
幼いうちは、一年に一度、ツヤが里帰りして、キヌとスズ子を会わせていましたが、次第に遠ざかってしまい……。キヌが再婚したからということもあるでしょうけれど、ツヤの実子が亡くなって、スズ子への愛情が深まって……というツヤの心情を思うと、そっちのドラマが見たくなります。ドロドロな感じ。
小学校にあがる前とはいえ、スズ子にキヌとの記憶が全然ないのも妙な気もしますが、例の「れんげ摘もうか、たんぽぽ摘もか」の歌は、キヌが歌っていたものであったことがわかり、この歌だけは記憶していたこと、つまり、スズ子の歌の才能の開花は、キヌからもたらされたものだったという、切っても切れない親子の血のつながりを、しっとりと、感じさせました。
さらに、キヌは、菊三郎の形見の時計をスズ子に託します。
「ウチ アホやから」スズ子の気持ちも考えず、事情を話してしまい、「アホやから」何かあったらお金に替えて、と時計を渡すくらいしかできない。
キヌは「アホやから」歌うことくらいしか、子供に愛情表現できなかったのだとおもいます。切ない。
誰でも、十分にお金をかけて満たされた生活を送ったり、高等な教育を受けたりできるわけではないのです。当たり前にそういうふうに育ったひとは、その価値観でものを見て、教育のない者の言動に眉を潜めますが、教育の行き届かない人たちというのは一定数いるのです。そのため、いい家の跡取りの子供を宿して捨てられてしまったりする。それを軽んじたり非難したりは誰もできない。
スズ子がもし、キヌと暮らしていたら、芸能の仕事に進むこともできなかったかもしれません。そういうことを言葉にしないで、さらりと描いている「ブギウギ」。このへんはブギというよりブルースという印象です。
時計を渡したときに、はじめて娘の手に触れるキヌ。もう2度と触れることのない娘の手を名残惜しく、長いこと触れています。その手の感触にスズ子は何を思ったでしょうか。
こんなふうに画で見せる場面が、いくつもあって、それが足立紳さんの演出のすてきなところです。
映画ぽいというのでしょうか。ちょっと上等な感じのする朝ドラです。それも、高級旅館の格式高そうな朝ごはんではなくて、無口で腕のいい調理人のまかないという感じ。
(文:木俣冬)
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(C)NHK