問題作『大怪獣のあとしまつ』の評価を改めて考える<デウス・エクス・マキナの衝撃>
11月3日(金)に公開を迎えた大作映画『ゴジラ-1.0』。VFXの名手・山崎貴監督が怪獣王・ゴジラを新たに創造し、予告映像解禁時から戦後間もない東京が徹底的に蹂躙される様子が大きな注目を集めていた。日本の特撮怪獣映画史を支えてきたゴジラはいまやハリウッドでも大活躍を見せており、世界に誇るビッグコンテンツへ成長したといっても過言ではないだろう。
また日本の怪獣といえば「ガメラ」人気も依然として根強く、2023年9月にはNetflixで新作アニメーションタイトル「GAMERA -Rebirth-」の世界配信がスタートしたばかり。令和版実写ガメラ映画の実現を期待するファンが多く、その動向から目を離すことができない。
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そんな二大怪獣を擁する日本特撮界にカウンターパンチ、いや変化球を投げこんだ結果、喧々諤々の反響を呼んだのが三木聡監督による『大怪獣のあとしまつ』だ。
そのタイトルからもわかるとおり怪獣が死んだ後の“死体処理”に着眼点を置いた作品であり、従来の特撮怪獣映画ではなかなか描かれることのなかったアフターストーリーが展開していく。今回は『ゴジラ-1.0』の公開を機に、改めて映画『大怪獣のあとしまつ』とは一体なんだったのかクライマックスへの言及も込みで振り返ってみたい。
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【インタビュー】『大怪獣のあとしまつ』土屋太鳳インタビュー
近年稀に見るほどの批判が続出
怪獣(その名は「希望」)の死体処理に奔走する特務隊・帯刀アラタ役に山田涼介を迎え、アラタの元恋人で環境大臣の秘書官・雨音ユキノ役に土屋太鳳をキャスティングした本作。共演陣には一癖も二癖もある俳優陣が集結しており、濱田岳・眞島秀和・六角精児・オダギリジョー・西田敏行といった面々が名を連ねた(チョイ役の豪華出演者にも注目)。
世界中を見ても例のないレベルで怪獣が上陸する日本では、その巨大で未知なる生物の死体をどのように始末しているのか。しかもその死体が新たな脅威になろうとしていたら……?『パシフィック・リム』でKAIJUビジネスの一端が描かれていたものの、意外と見落としがちなポイントであり特撮怪獣映画好きの筆者としては(『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』信奉者)制作発表時からどのような物語が展開するのか興味を抱いたものだった。
しかし結果的に、賛否どころかこれほど否定的な反響を招くと誰が想像できただろうか。その原因として、もっとも挙がっていたポイントが政治家たちの「スベりまくりのギャグシーン」だ。実際に時代錯誤感満載のギャグシーンは引き攣った笑い声すら出てこず、「何を観させられているのか」と唖然呆然。あくまでも特撮怪獣映画の延長線上のつもりで鑑賞していたため、怒りを覚えなかったといえば嘘になる。
反感を高めてしまったクライマックス
ラストは劇中でヒントが示されているように超越的な存在が幕引きを図る「デウス・エクス・マキナ」方式になっており、蓄積していた負の感情を抱えたままクライマックスを迎えると強引かつ投げやりな終幕に映ってしまう。たとえばギャグシーンがもっと有機的に機能していれば、ラストシーンに込められた製作者の意図をもう少し冷静にキャッチできたかもしれない。とにもかくにも、身内ノリで突き進むテンポ感や期待していたものとは違うものを観ている虚無感は鑑賞時のノイズになりやすい。映画『インスタント沼』やドラマ「時効警察」シリーズなどの「三木聡節」に触れていなければ、映画という枠組みそのものに対する疑念すら抱いてしまうだろう。酷評の数々がレビューサイトやSNSに投稿され、ついにはその状況自体がニュースになったことを覚えている映画ファンも多いはず。
──と、散々な言いようになってしまったのだが。鑑賞している間こそ気づかなかったものの、劇場を後にして自分なりに咀嚼しながら「もしかするとそこまで悪くはないのでは?」と印象が変わっていった感覚を覚えている。
役者陣の妙演は素直に評価したい
観たいものとは違う作品になっていたとはいえ、「巨大怪獣の死体処理」という主題自体は冒頭からラストまで一貫している。事後の物語なので怪獣上陸によるパニック描写はないが、膨張した怪獣の死体によって巻き起こる二次災害の危険性が常に影を落としていた。巨大怪獣は死してなお脅威である、という意味では特撮怪獣映画のテーマにまさしく相応しい。
また怪獣の死体と対峙する山田や土屋、さらにはスベり倒しても止まらない役者陣の演技も見どころだ。現場とは裏腹に政治家がスベり倒せばスベり倒すほど山田と土屋のシリアスな表情が際立ち、空想特撮においてギリギリのところで現実感をキープする。
また元特務隊で爆破のプロ・ブルース(本名:青島涼)を演じるオダギリジョーは飄々とした態度やドレッドヘアのビジュアルによってキャラ立ちしており、政治家がスベり倒す非現実的な世界観とリアルのズレを抑える橋渡し役になっている── ような気もした。
「風刺劇」として捉えた時の薄ら寒さ
何度も書くがスベり倒す政治家の面々にも注目したい。むしろ筆者の中で評価が「否」から「そうでもない」に転じたのはこの面々のおかげでもある。
明らかに行動力も牽引力もカリスマ性も持ち合わせていない内閣総理大臣・西大立目完(西田)や、年号よろしく「希望」と怪獣の名を記した額装を(何処からその自信がくるのか)堂々と掲揚して見せた内閣官房長官・杉原公人(六角)……。
他にも国防大臣や環境大臣、外務大臣ら要職者がこぞって登場するもことごとく使えない。『シン・ゴジラ』のように内閣総辞職ビーム後の臨時政府や生き残った官僚が機能し、矢口蘭堂が「この国はまだまだやれる」と希望を見出していたのとは大違いだ。とくに「デウス・エクス・マキナ」を踏襲した『大怪獣のあとしまつ』のラストは、まさに皮肉そのものでしかない。
「希望」どころか絶望的な本作の政府だが、一方でこの作品のジャンルを特撮怪獣映画から風刺劇映画にスライドすると途端に薄ら寒くなる。本当の意味で「笑えない」のだ。
まともに機能しない政府に何をやっているのか意味不明、あるいは何かをやっているテイに見せて実は何もしていない政治家たち。筆者は劇場鑑賞後に「本物の絶望」がじわじわと胸の内に滲み出し、近い将来「この作品をエンターテインメントとして消費できていた時代はまだよかったな」と振り返る自分を想像して暗澹たる気分になった。
まとめ
本作はAmazonプライム・ビデオで見放題配信されているので、改めて風刺劇として鑑賞してみてほしい。劇中には無能な政治家だけではなく、緊急警戒警報のブザー音を笑いのタネにする若者や無謀にも怪獣の死体に凸ろうと企てる動画配信者も登場する(演じているのはまさかの染谷将太)。映画公開から1年と9カ月、たったそれだけの年月のあいだに加速度的に貧しい国へと後退している現実の状況を重ね見ながら、もう一度本作を評価してみてはいかがだろう。
(文:葦見川和哉)
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