カツドウヤ一家の申し子として俳優人生を全うした長門裕之

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.14

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。

日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

長門 裕之さん

日本映画ファンなら、長門裕之イコール映画一家といった印象を抱く方も多いことでしょう。その家系は下記に記した通りですが、こういったカツドウヤとしての誇りを徹頭徹尾貫いた俳優であったとも思えます。

名子役から大人の俳優への伸び悩み
そして今村昌平監督との出会い

長門裕之は1934年1月10日、京都府京都市生まれ。父・沢村国太郎、母・マキノ智子、弟・津川雅彦といった俳優一家で、そもそも母方の祖父は日本映画の父・マキノ省三で、伯父がマキノ雅広、さらには父方の叔母が沢村貞子、叔父が加東大介という錚々たる映画人(カツドウヤ)一家に生まれ育ちました。

こういった環境ゆえに、1940年、6歳にしてマキノ雅広(当時は正傳)監督の『続清水港』で映画初出演。続いて『鳥人』(40)に出演した後、稲垣浩監督の名作『無法松の一生』(43)に沢村晃夫の芸名で出演し、阪東妻三郎を相手に素直な演技を披露して名子役と謳われるようになります。

この後、しばらくの間は学業に専念し、51年に立命館大学文学部国文科に入学したことを機に、芸名を長門裕之と改め、映画出演を再開。『大江戸五人男』(51)『流族騎馬隊』(52)、そして叔父マキノ雅広(当時は雅弘)監督の代表的シリーズ『次郎長三国志 第六部・旅がらす次郎長一家』(53)『同 第七部・初祝清水港』(54)にも出演しています。

53年には大学を中退して俳優稼業に絞り、一時期東宝に入社しますが、すぐにフリーとなり、まもなくして製作再開したばかりの日活に入社し、『七つボタン』(55)で映画初主演。この後も『未成年』(55)『愛情』(56)などに出演し、そして太陽族映画の走りとなった『太陽の季節』(56)では後の夫人・南田洋子と初共演を果たします。

正直この時期の長門裕之は、後進の石原裕次郎などにくらべてナイーヴで内気な風情があまり魅力的に映えておらず、どこか伸び悩んでいた節も感じられますが、そんな彼が演技開眼したのは今村昌平監督の『盗まれた欲情』(58)主人公のンテリ青年役で、それまで見せたことのない飄々としたユーモラスな存在感を披露し、その後も『果てしなき欲望』(58)『にあんちゃん』(59)『豚と軍艦』(61)『にっぽん昆虫記』(63)と今村監督作品に出演し続け、特に『にあんちゃん』ではブルーリボン男優主演賞を受賞。また横須賀のチンピラ役を好演した『豚と軍艦』は今村&長門コンビの最高傑作として、今も誉れ高く語り継がれています。

巷の賛否を超えての
妻・南田洋子との愛情

62年に日活を退社してフリーとなって以降は、吉田喜重監督の『秋津温泉』(62)や毎日映画コンクール男優助演賞を受賞した『古都』(63)、黒木和雄監督の『飛べない沈黙』(66)などの異色作や、『日本侠客伝・浪花篇』(65)などの任侠路線ではコメディ・リリーフ的存在感を発揮するなど、この時期からは味のあるバイプレイヤーとしての地位を確立していきます。

一方で61年に結婚した南田洋子と共に、65年から81年まで司会を務めたTV番組『ミュージックフェア』でお茶の間の支持もつかみ、70年代は映画『あかちょうちん』(74)のしがない中年男も忘れられないところ。テレビでも叔母・沢村貞子の半生を描いた『おていちゃん』(78)で父方の祖父を好演しています。

80年代はTV(85~87)&映画(87・88)『スケバン刑事』シリーズの暗闇指令役で当時の若者層にも認知され、また70年代末より人気を博していたカリスマ・バンド、サザンオールスターズの桑田佳祐と若い頃の姿がそっくりということでも大いに話題になりました(南田洋子も桑田に初めて会ったときに「似てるわねえ」と声を漏らしたとのこと)。

晩年は妻・南田洋子が認知症となり、その介護の模様をテレビで公開し、本を出版したことで賛否を呼びましたが、こういった夫婦のことは第三者が何を言っても空しいというか、夫婦のことは夫婦にしかわからないものではないかとも思います。

また、この時期の長門裕之は、弟の津川雅彦が“映画監督マキノ雅彦”を襲名して撮った『寝ずの番』(06)で何と死体の役を演じたり、『スケバン刑事コードネーム=麻宮サキ』(06)では久々に暗闇警視を演じ、また『転校生―さよならあなた―』(07/南田洋子の映画の遺作)『22歳の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』(07)といった大林宣彦監督作品で味のある姿を披露するなど、精力的かつユーモラスな俳優活動を実践していたようにも思えます。

南田洋子は2009年10月21日、死去。それからおよそ1年半過ぎた2011年5月21日、長門裕之も妻の後を追うように77歳で逝きました。

(文:増當竜也)


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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