「ちょっくら映画館に行ってきました。」~第2回:横浜シネマリン~

■「キネマニア共和国」

シネマズby松竹の新企画、好評につき第2回敢行!
全国各地の名物映画館を訪問し、その魅力をご紹介していきます!

「ちょっくら映画館に行ってきました。」vol.2

第2回:横浜シネマリン
(神奈川県横浜市)

横浜シネマリン外観

横浜シネマリンはJR京浜東北線関内駅や京浜急行日之出町駅から歩いて5分、横浜市営地下鉄伊勢佐木町駅(3B出口)から2分ほどにある座席数102席の映画館。創業60年を誇る老舗の映画館が昨年12月にリニューアル・オープンしてちょうど1年を迎えました。
今回は、横浜シネマリン代表の八幡温子さんにお話をうかがいました。
支配人の八幡温子さん(左)
支配人の八幡温子さん(左)

60年の伝統ある映画館が
2014年にリニューアル

「もともとこの地域は戦前から、芝居小屋や見世物小屋などさまざまな興行場が立ち並んでいまして、そこに寄席を出していた吉本興業さんが『これからは映画の時代だ』ということで、1954年(昭和29年)上郎ビル(横浜シネマリンがあるビルの名称)竣工と同時に、地下1Fに“花月映画劇場”をオープンさせました」

地下場内へ連なる階段
地下場内へ連なる階段

ところが、映画で勝ち残るのは難しく、63年に吉本興業は撤退。

「代わって地元のとんかつ屋さん“かつ半”ご主人の花井佐一さんがオーナーとして名乗りを上げてくださいまして、支配人を横浜ピカデリーの内嶋栄吉さんが兼務して劇場名を“イセザキシネマ座”と変えて再オープンすることになりました」

主に昼間はロードショーの2番館、夜はポルノ映画やオールナイト上映などで、映画館斜陽の時期を何とか乗り越えてきたとのこと。

「89年になると、内嶋さんの息子さんで大の映画好きな一雄さんへとオーナーが引き継がれ、劇場名も“横浜シネマリン”と改めました」

以降も何とかやりくりしながら経営を維持し、『おくりびと』(08)をかけたときはシネマリン歴代トップの成績を収めるなど嬉しい出来事もあったものの、その後一気にデジタル化の波が押し寄せてきた。

「ご高齢(現在71歳)になられた内嶋さんが『自分の歳も歳だし、今ここでデジタルの機器を入れて何年出来るかどうかわからない』ということで、2014年の3月、シネマリンを閉じることになったのです」

経営自体は何とか保てていたのに、デジタル化とそれに伴いフィルムの供給が激減したことで、維持できなくなってきている全国の老舗映画館の悩みや苦しみを象徴するかのようなシネマリンの決定……。

しかし、そこに「待った!」をかけたのが、当時映画サークルなどで映画館を増やす活動をされていた八幡さんであった。

「そんな閉じちゃうなんてもったいない! と。そこで私がお願いして引き継がせていただくことになったのが14年4月。そして場内を改装したのですが、その工事中、かつてのオールナイトの看板が出てきたり、また当時のシネマリンには畳敷きの従業員用仮眠部屋があって、それを発見したときは驚きましたね。時代の流れを痛感させられました(笑)」

場内ロビー(1)
場内ロビー

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    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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