(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめの戸締まり』新海誠監督の優しさが沁みる「10」の考察


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劇場公開中の『すずめの戸締まり』は、新海誠監督の「使命」、そして心に沁みる「優しさ」をとても強く感じる作品だ。

細かい描写や小説版の記述、物語の結末を鑑みればみるほどに、そのことがよくわかる。その理由を、本編で「これってどういうこと?」と多くの人が疑問に思う部分に筆者独自の解釈を示しつつ、ネタバレ全開で「こうなのかもしれない」という解説・考察をしていこう。

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※本記事は『すずめの戸締まり』の内容・結末ならびに、小説版の一部のネタバレ、また入場者プレゼントの「新海誠本2」の一部の内容に触れています。作品観賞後にお読みいただくことをお勧めします。

1:鈴芽が標準語で話している理由は?


鈴芽は4歳の時に、叔母の環に「うちの子になろう」と言われて、九州の宮崎県に移り住んだ……はずである。しかし、環はもちろん、同級生も思いっきり宮崎弁を話しているのに、12年もその土地で過ごしたはずの鈴芽が標準語を話しているのはなぜなのか。

実は、小説版では鈴芽が天気予報を見て、「お天気お姉さんのイントネーションは完璧な標準語だ」と思う一幕がある。そこから、鈴芽は(おそらくは宮崎にやってきた日の4歳の頃から)意図的に標準語で話そうとしていたことが窺い知れるのだ。

では、なぜ鈴芽は標準語で話そうとしているのか。それは終盤で、環に「それ(心配されここまでついてきたこと)が私には重いの!」「私だって、いたくて一緒にいたんじゃない」と、つい心の奥底にあった、言ってはいけないことを言ってしまったこととリンクしているのではないか。鈴芽は、そのように過保護ぶりが重い環と「同じ言葉に染まりたくなかった」のではないか、と。

2:叔母の環の「キャラ弁」が象徴していた「重さ」

また、環は毎朝「キャラ弁」を作っており、同級生からも「出た、おばさん弁当」とからかわれていた。小説版では「(わざとじゃないが)お弁当をときどき学校に持っていくの忘れてしまう」「(Lサイズのランチボックスが)ずっしりと重い」などの記述もある。キャラ弁は環という存在の重さそのものであり、それから解放されたい鈴芽の心理も示していたのだ。

さらに、鈴芽は包帯の扱いについて「慣れているんだな」と草太に聞かれ、「お母さんが看護師だったから」と返している。母の椿芽とは4歳の時に死に別れているはずなのに、そこまでできるのは、やはり母と同じような人間になりたい、という願いがあり、日頃から看護師の仕事の「練習」をしていたからではないか。そこには、環から解放されたいという感情はもとより、自立したいという心情もあったのかもしれない。ラストに「看護師になるには」という本が映っており、明確に母と同じ職業を目指していることも示唆されていたのだから。

なお、小説版では旅が終わった後、「環さんと口げんかすることが増え、でもそれはどこか気持ちの良い思考の交換作業でもあった」「作るお弁当は相変わらず凝りに凝っていた」という記述もある。相も変わらず環の鈴芽に対する感情は重いが、(言ってはいけないものとはいえ)本音を一度は交わしたことで、お互いに軽い不平不満を言い合え、より良い仲になった、ということなのだろう。


ちなみに、RADWINPSによる未使用楽曲に「Tamaki」があり、こちらでは環の心情が表れていて、良い意味でとてもしんどい激重ソングだった。劇中で使われなかったことも納得だったので、ぜひ聞いてみてほしい。



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