「感想をシェアして完結する映画」…笑って泣ける感動作『トイレのピエタ』を観た感想を松永監督に伝えてみた

toilet000(C)2015「トイレのピエタ」製作委員会

ヤンキーとゴスロリ、ゾンビとサッカーetc…異質なもの同士の組み合わせで産まれる“ギャップ”は、観る者に新鮮さと笑いをもたらします。さしずめコメディに至っては、その要素をタイトルに冠することでインパクトを狙った作品も数多く存在します。

排泄の場所である「トイレ」。そして、キリスト&マリアの聖母子像である「ピエタ」。そこはかとなく喜劇の香り漂う『トイレのピエタ』というタイトルを聞き、筆者は何の疑いもなくコメディ映画だと思い込んでいました。

…が、その思い込みは間違いであったと、試写会に参加してすぐに悟りました。画面いっぱいに流れる美しい映像とセリフが紡ぎ出す世界感。それら1つ1つが「命とは何か?」「人生とはどういうことか?」と問いかけてくるような不思議な感覚に陥りました。

最後の目入れは、観客のアウトプットなり

試写会当日、会場には松永大司監督の姿がありました。開演直前、スクリーンの前に立った監督は次のように語りました。

「この映画は、観た感想をお友達や家族の方にシェアすることで完成する作品です。ぜひ、多くの方に、そして僕にも感想を聞かせて下さると嬉しいです」

そんなわけで、一緒に試写会に参加した夫と映画の感想を語りながら家路につきました。夫は「よくあるストーリーなのに、今までにない感覚を味わった」と言いました。
そう。この映画は、『トイレのピエタ』という斬新なタイトルの印象とは違い、非常にシンプル&定番のストーリー内容となっています。乱暴にまとめるなら「余命宣告を受けた青年が少女と出会い、対立と葛藤を繰り返しながら人生を全うする話」という感じでしょうか。

しかし、そんな在りきたりな物語も『松永大司』という偉大な才能の手にかかれば、彼独自の色味を持った包装紙でラッピングされ、美しい芸術作品として提供されるから驚きです。きっとその包装紙の柄は、松永監督が今まで生きてきた人生模様なのだと夫婦で語り合いました。
怒り、喜び、悲しみ、絶望…監督自身が感じた機微が何層にも重なった包装紙に、観客は自分と同じ色を見て心を震わせるのです。それはやがて、一人ひとりの『癒し』に繋がる気がしました。

松永監督との邂逅

それから10日後。筆者は松永監督と同じテーブルを囲んでいました。配給会社の方から、感想を監督に伝える機会を頂いたのです。試写会では「僕にも感想を伝えて欲しい」と仰った松永監督。多くの方から感想を聞くことで、初めて監督としての仕事が完結すると考えているようでした。

まずは、筆者の感想を真摯にお伝えしました。一見静かながらも、人生と命について情熱的に語りかける雄弁な映画だと思ったこと。シンプルな題材を観たこともないような作品に仕上げた松永監督のラッピング力に感服しきりだったこと等をお伝えさせていただきました。
そして包装紙の複雑な色味の中に、置き去りにしていたディープな感情を見つけたことを伝えた時、筆者の目から不覚にも涙が溢れました。

個人的な話になりますが、筆者も画家を目指した美大生でした。でも宏と同様、夢から逃げて中途半端な人生を送ってきた1人です。そして真衣のように、怒りと憎しみに支配された少女時代を送りました。誰の理解も得られないもどかしさから、周りに抗い、叫び、のたうち回りました。
社会に出てからは、病院で宏と同室だったサラリーマン・横田のようにピエロの仮面を被った事なかれ主義者になり、母となった現在は、小児がんを患う拓人の母親と心境が重なりました。

あれも僕、これも僕…『トイレのピエタ』は松永監督の投影だった

筆者の感想をひとしきり聞いた後、松永監督は少し恥ずかしそうに「アレね、全部『僕』なんです」と仰いました。劇中で、宏は窓拭きの仕事をしていますが、かつて監督自身も窓拭きのバイトをしていたそうです。面白い人やエピソードの宝庫だったというバイト先での経験は、シチュエーションやキャラクターを造形する上で、大いに役立ったとのことです。

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「セリフも設定も、今まで体感したことが基になっています。というか、そういうのは自然と作品に滲み出ますね。主人公の宏はいつかの僕だし、真衣も僕の一部を投影したものです。僕という個人が味わった感情は、きっと皆さんも感じたことがあると思うんです。人間の心は多面的ですし、その時々で変化するもの。そう考えると、共感できるシーンやセリフが出てくるのは当然かもしれません」と松永監督。

多面的で変化し続けるもの…なるほど。事実私達は、非常に不確かな世界に存在していて、その言動は時と場合でコロコロと変わります。そしてこの『トイレのピエタ』という作品には、一貫性を欠いたキャラクターが多く登場します。特に真衣は象徴的で、余命僅かな宏を「死ね」と罵る一方で、「私が生きてるんだから生きろ!」と要求したりします。

本来なら“優しい人”“意地悪な人”とラベルを貼り、終始キャラを統一した方が観客にとって親切だし、感情移入もしやすくなります。しかし松永監督は、あえて登場人物を多面的かつ流動的に描くことでリアルさを追求しています。また、コメディなのかシリアスなのか、分類しにくい作品に仕上げたのも、ドキュメンタリー出身である松永監督の狙いなのかもしれません。

しかしなぜ、そうする必要があったのでしょうか?おそらく「固定した自己」や「一貫性」という観念から距離を置き、映画を観た者が『命と人生』について自由な答えを出すための配慮なのだと思います。『感想をシェアして完結する映画』…この言葉に、松永監督の真意が集約されているのでしょう。映画を通して投げかけられた問いに、観客が答えを出す。それを促すのがシェアというアウトプットなのだと筆者は理解しました。

威風堂々と生きる

命とは?人生とは?…『トイレのピエタ』という映画から出された宿題に、筆者は“一生懸命”という答えを出しました。なぜなら、この映画に登場する人物が全員“一生懸命”だったからです。宏も真衣も、患者仲間もその家族も、瞬間瞬間を必死に生きる姿が印象的でした。

そして、松永監督をはじめスタッフ・キャストの方々の真剣さも、画面越しに伝わってきました。試写会の際、松永監督は「一生懸命作った映画です」と言いながら深々と頭を下げていました。
先にも書きましたが、筆者が松永監督にお伝えした感想の1つに「一見静かだけど、実は雄弁に語りかけてくる映画」というものがありました。実際お会いした松永監督も、涼やかな雰囲気と落ち着いた口調が印象的でしたが、その奥に隠された映画への愛情と熱い生き様がにじみ出ており、まるで監督の分身のような映画だと思いました。

一生懸命な監督、一生懸命な仲間、一生懸命な登場人物…それぞれの“一生懸命”がぶつかり、溶け合い、得も言われぬバイブスとなって生まれた映画『トイレのピエタ』。関わった全てがハンパなく一生懸命だから、こんなにも笑え、こんなにも心を揺さぶられるのでしょう。
そんな映画を象徴するのが、BGMとして使われた『威風堂々』(エルガー作曲の行進曲)です。この曲は余命宣告を受ける前と、死を覚悟した時の2回、宏の鼻歌によって奏でられます。

エルガー作曲  行進曲「威風堂々」第一番(中間部分)

同じ曲で、同じ人(宏役の野田洋次郎さん)が歌っているはずなのに、前者と後者では全く違うものに聞こえるのが面白いところです。生への執着と未練を手放し、この世を卒業する覚悟を決めた宏の成長を、観客は歌の響きの変化で感じ取れる仕掛けになっています。それと同時に、一生懸命に生きる私達ひとりひとりを尊び、背中を押してくれる応援歌でもあると思いました。

シェアすることの大切さ

今回、試写会からの流れで、監督ご本人に感想をシェアするという滅多にない機会を頂いたわけですが、他人に感想を伝えることは、普段使っている自分の頭より深い領域…まるで深海にひっそりと沈んだ澱(おり)のようなものにアクセスするような体感がありました。意識しなくとも、人に語ることで気持ちが整理され、より深いところまで見えるようになるというか、その先を掘れば、正解の片鱗が見得そうな気がするというか…。

きっと“その先”にある正解を見つけるのが人生なのかもしれません。それならば、日々懸命に、威風堂々と誇りを持って生きるしかないな。うん、そうだ。そうしよう!
そんな気持ちにさせてくれる映画『トイレのピエタ』は6月6日の公開です。ぜひ、映画を観て感じたことをシェアして、貴方ならではの答えを探ってみて下さいね。

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(文:大場ミミコ)

映画『トイレのピエタ』は2015年6月6日(土)より全国ロードショー。

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