インタビュー

2015年07月31日

市川海老蔵が成田市を変える!?市川海老蔵 成田市御案内人 任命式&囲み取材レポート

市川海老蔵が成田市を変える!?市川海老蔵 成田市御案内人 任命式&囲み取材レポート



任命式後の囲み取材での海老蔵さんコメント



成田市御案内人任命式の後には報道関係者向けへの囲み取材も執り行われました。その場での市川海老蔵さんのコメントを抜粋してお届けします。

市川海老蔵



成田市の印象、思い出は?



初代市川團十郎から成田屋という屋号を名乗り、成田山には子供の頃から父と一緒によくお参りに連れて来られていたので、(御案内人の任命は)非常に嬉しかったです。父との思い出や、修行の思い出など、いろいろと思い出が多い街なんですよね。

毎年、大晦日の寒い時に来ているんです。年明けを待っている時の父との会話、年越しする瞬間の父の横顔とかが思い出深いですね。例えば七代目市川團十郎が過ごした圓明院や、ご寄贈したものなどを、よく父と見ていました。祖父である11代目團十郎のご縁のある場所で家族で食事をしたり、父が亡くなったあとも倅と来たりと思い出がすごく多いんです。そのようなことが、今日、走馬灯のように思い出されました。

御案内人を任命した時も嬉しかったんですが、いざ任命式でこちらに来させていただいていろいろと眺めると景色が違っていたので、時の流れを感じました。

市川海老蔵



御案内人としてやりたいことは



成田山新勝寺さまとはご縁が深いので、何か形にしたいです。前回の開基1070年祭は僕が30歳の時で、本堂の前で連獅子を父と踊らせていただきました。10歳20歳30歳と私の節目と、新勝寺さまの開基の節目がぴったりなんです。三年後に40歳になりますが御案内人の任期も3年間なので、そこに向けて微力ながら自分の進められることをやって、成田の皆さんと一緒に3年間を歩んで、3年後に何かひとつ見えるものを作っていきたいです。

3年後の青写真はすでにできています。ゴールを作って、どういうふうに歩むのかが重要だと思っています。過程も大事ですけど、過程はその都度変わりますから、どれだけブレずにゴールを見ていられるかが大切です。作っていたら結果そうなったというのは、いい方向に向かっていたらいいんですが、そうでない場合もありますからね。

任命式での中学生の手紙



常々、ファンからたくさん手紙をもらいますが、大概は目を通しています。彼女の場合は、「自分は成田市の中学生で、学校のシンボルが欲しいんです」という内容の手紙でした。僕が読み終わった後、ちょっと置いておいたら妻が「もう一回読んでよ」と言ってきたんです。改めて手紙をもう一度読んで、「あぁ、そうかそうか。たまにはそういうこともやらないとな」と思ったんです。

成田山、成田市にはご縁があるなぁと感じました。当時は、こういうこと(御案内人)のことなんて全然考えてないですから。でも手紙から一途な思いが伝わったんですよね。今日、初めて彼女とお会いしたんですが、非常にきちんとした、真面目に学校のことを考えている想像した通りの方だと思いました。嬉しかったです。

最後に御案内人の意気込みを



3年後に成田山、成田市の人と力を合わせて、皆さまが再度いらっしゃった時にこんなことしたんだなと思っていただけること形作っていきます。だいたいこういうのってファーって始まってファーっと終わるじゃないですか。ファーっと終わらないで、シャキッとけじめをつけようと思っています。

(取材/染谷昌利)

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