常盤貴子はなぜ『野火』を?その真意―『向日葵の丘 1983年・夏』初日舞台挨拶
「多香子が来たと思った」と監督が語ったオーディション
どんな人に観てもらいたいかとの質問の際に、芳根京子は「高校1年生の時に、実際に文化祭で映画を作ったことがありました。その点がものすごく多香子とかぶるところがあって。オーディションの時も、監督に『学校生活で一番思い出に残っていることは何ですか?』と言われて、映画をつくった話をしたらすごく監督がびっくりしていて」と語ると、太田隆文監督も「びっくりするよ!だってあの時シナリオ読んでなかったもんね『多香子が来た!」と思ったもん本当に」と、オーディションでのエピソードが語られ「高校時代一緒に映画作ったみんなに観てもらえたら、また不思議な感覚になるのかなと思います」と答えた。
映画にはそこに連れていってくれる力がある
そして舞台挨拶終盤で、常盤貴子は冒頭で映画『野火』ついて触れたことについて『違うんですよ。さっきからのやつは、ちゃんと理由があるんです」と釈明し「私たちは戦争を知らない世代じゃないですか。で、戦争体験ある方々が、本当に少なくなってきてしまって、そのこを知らないといけないのに、それは体験だから知ることは出来ないんですね『野火』は、さも自分が戦争を体験したかのような気分になって映画館を出ることができる映画だったんです。そして本当にこれが一番びっくりしたんですけど、お客さんが10代、20代の若者ばっかりだったんですよ。それがまたすごくうれしくて。映画っていうのは、そういう私達知らない世代も、そこに連れていってくれる力があるものじゃないですか。だから『向日葵の丘 1983年・夏』も、80年代を知らない人は80年代に連れていってくれて、80年代を知っている世代の人たちは、その時代をまたもう一度懐かしむことが出来るように連れていってくれるものだなと思うんです。その体験を観る人がしてくださる映画だなと思ったっていうことを言いたかったための『野火』なんですよ。それだけ映画ってすごいっていうことを実感したんです」と語り、会場からは拍手が巻き起こりました。
そして舞台挨拶の締めくくりで、常盤貴子は「実際に観てくださったみなさまが、少しずつ少しずつ拡げていくしかないと思います。みんなの力で拡げていけたら幸せなので、多くの人に伝えてもらえればと思います。本日はどうもありがとうございました」と挨拶し、集まった観客たちの鳴り止まない拍手の中、舞台挨拶を終了しました。
監督、キャストともに家族のような現場で作り上げてきた本作。映画『向日葵の丘 1983年・夏』は、東京・品川プリンスシネマにて現在公開中、さらに全国順次上映。
http://himawarinooka.net/img/himawari.mp4
(C)2015 IPSエンタテインメント
(取材・文/黒宮丈治)
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