『天空の蜂』へと連なる 日本映画の核との対峙
原発や核が日常の中にあることから
生まれた異色作群
実写映画へ話を戻すと、黒木和雄監督が田原総一朗の小説を映画化した『原子力戦争』(78)は、過疎化する村と原発の利権などが交錯していく意欲的サスペンス映画。石井聰亙(現・石井岳龍)監督の『爆裂都市』(82)や池田敏春監督の『人魚伝説』(84)といったヴァイオレンス映画も、メ原発の利権問題などが背景となっていました。
長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(79)は、沢田研二扮するしがない中学教師が原爆を作って政府を挑発するも、その内容が「TVのナイター中継を最後まで放送しろ」「ローリングストーンズを日本に呼べ」といった政治的思想とは無縁のものばかりという、当時の若者のシラケ気質を見事に反映させた日本映画史上に残るカルト的名作です。
「原爆をモチーフに娯楽映画を作るなんてとんでもない!」といったクレームも製作中あったそうですが、実は広島出身の長谷川監督は胎内被爆した被爆二世であり、そのことを知るやクレームは収まったとのことです。
森崎東監督による“怒れる喜劇”=怒劇の傑作『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)では、日本各地の原発を渡り歩いては仕事する“原発ジプシー”の男と、沖縄のコザ暴動を体験したヌードダンサーを主軸に据えながら日本の闇を描出していきます。
山川元監督の『東京原発』(04)は、何と東京都知事が突然、東京に原発を誘致しようと提唱したことから始まる都庁内の大騒動が描かれていきます。
公開当時は正直なところ普通のドタバタ風刺喜劇として捉えていましたが、東日本大震災を経ての今見直すと、かなりぞっとさせられるものがあります。
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