『荒野の誓い』が示唆する新しい西部劇の方向性



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20世紀初頭のサイレント時代からハリウッド黄金時代の頃に比べると一見精彩を欠いているかのような西部劇のジャンルではありますが(最近はスタイリッシュで残酷なイタリア製西部劇マカロニ・ウエスタンのほうが、マニアに注目されている節もありますね)、意外にこのところアメリカ本国でも小品ながら良質な作品が作られるようになってきています。

ただし、それらはかつての勧善懲悪ものでも、復讐を美化したりするものでもありません(実は往年の西部劇って、そういうストーリーのものが多いんですよね)。

西部劇とはフロンティア・スピリットを掲げた西部開拓時代を描くのが常ではありますが、その実態はヨーロッパからアメリカに移住してきた白人が多くの先住民“アメリカン・インディアン”を駆逐しながら文明を切り開いてきたものであり、今の観点でそのこと自体は到底容認できるものではないでしょう(それゆえに西部劇が廃れていったのもまた事実)。

しかし一方では、そういった事象から目を背けずに、白人と先住民の確執をメインに描くことで、新たな西部劇の歴史が始められるのかもしれない……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街404》

『荒野の誓い』もまたそういった観点からアメリカを見据えた新たな西部劇として、大いに讃えたい意欲作です!

先住民を憎みつつ護送の任に着く
“戦争の英雄”の心の彷徨



『荒野の誓い』の舞台は1892年、既にアメリカの西部開拓時代は終焉を迎えつつあり、産業革命による新たな時代が始まろうとしていた頃の物語。

アメリカ先住民は白人との長きにわたる激しい戦いを経て、その多くは居留地へ強制移住させられていますが、コマンチ族の残党など一部は今も白人を襲撃し続けています。

そんな中、ニューメキシコ州ベリンジャー砦でインディアン戦争による先住民戦犯収容所の看守を務める戦争の英雄ジョー・ブロッカー(クリスチャン・ベイル)に、末期がんに侵されている収監中のシャイアン族の長イエロー・ホーク(ウェス・ステューディ)とその家族を彼らの故郷で今は居留区となっているモンタナ州まで護送する任務が下されます。

戦争で多くの仲間を失い、先住民を激しく憎み、イエロー・ホークとも激戦を繰り広げたこともあるジョーは命令を拒絶しますが、軍法会議を盾に上司から強要され、やむなく遠征小隊を組み、ホークとその家族合わせて9名を連れて砦を出発します。

まもなくして一行はコマンチ族の残党によって夫と子供たちを虐殺され、唯一生き残ったロザリー(ロザムンド・パイク)と遭遇し、その身柄を保護して同行させます。

しかしコマンチ残党は一行にも襲いかかるようになり、ジョーは憎悪するイエロー・ホークらと共闘せざるをえない状況へと……。



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人種の差別や偏見を越えて
人はどこまで許し合えるのか



ここでは白人と先住民の骨肉の争いがもたらしたアメリカの負の歴史と堂々向かい合いながら、「人種の別を越えて、人は認め合い、許し合うことができるのか?」といった問題意識をもって、現在さまざまなヘイトがあふれかえる現代社会に鋭く訴えかけていきます。

しかしながら本作が素晴らしいのは、そういったメッセージ性を大上段に振りかざすことなく、西部劇ならではの広大な大地を捉えた映像の美しさや抒情性などをもって、詩的なまでに美しい映画世界が確立されているところにあります。

撮影監督は日本人マサノブ・タカヤナギ(高柳雅暢)!『世界でひとつのプレイブック』(12)や『スポットライト 正規のスクープ』(15)など現代ハリウッドになくてはならない逸材の手腕をとくとご覧いただければと思います。

監督は『クレイジー・ハート』(09)『ブラック・スキャンダル』(15/撮影監督高柳雅暢)などのスコット・クーパー。

ここでも彼は現代アメリカが抱える人種差別などの諸問題を、西部劇という娯楽ジャンルを通して明確に描写しつつ、観る者を啓蒙させ得る一級のエンタテインメントに仕立て上げています。

最近は『バイス』(18)でも異彩を放ったクリスチャン・ベイルと、『ジェロニモ』(93)などで知られる先住民の名優ウェス・ステューディの静かながらも火花散る演技合戦はもとより、小隊の面々もホークの家族らひとりひとりの個性もきちんと描かれた群像劇スタイルの妙、そして先住民に家族を殺されつつも先住民と行動を共にする羽目になる一般庶民の確執と和解をロザムンド・パイクが見事に演じています。

かつてアメリカ映画では単なる悪者として扱われることが多かった先住民ですが、『折れた矢』(50)あたりから彼らを人間として理解しようとする作品が作られるようになり、『駅馬車』(39)などの名匠ジョン・フォード監督も晩年は先住民への哀悼の意を表した超大作『シャイアン』(64)を発表。やがてヴェトナム戦争などのあおりを受けてフロンティア・スピリッツに対する疑念も芽生え、西部劇は衰退していきますが、そんな中で先住民社会へ白人が敬意をもって入り込んでいく『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)がアカデミー賞作品賞など6部門を受賞するなど、時代の意識は確実に変わっていきました。

そんな中で本作は、ジョン・フォード監督の『捜索者』(56)を彷彿させるものもあります。

コマンチ族に兄夫婦を殺され、その娘をさらわれた男の復讐劇。しかしながらそれは、あたかも家族の一員になることができなかった一匹狼が先住民への憎悪を隠れ蓑にして生きているかのようでもあり、そうしたコンプレックスを抱えた主人公をジョン・ウェインが見事に演じていました。
(その意味では、差別の本質とはすべての人が抱えるコンプレックスからもたらされるものなのかもしれません)

『荒野の誓い』もまた、こうした人種的憎悪と偏見を隠すことなく赤裸々に描くことで、その先に何某かの光明を見出そうとしているようです。

差別と偏見をもって人間同士が憎しみ争うことの帰結と、人はどこまで人を許し合えるのか?

実は今の日本にも蔓延し続けている悪しきヘイトの風潮にも、本作はその答えをラストで巧みに提示してくれています。

今のこんな時代だからこそ、西部劇を!

(文:増當竜也)

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