映画コラム

REGULAR

2020年12月08日

「自分の記事で店が潰れた」映画に学ぶネットでの発言責任について

「自分の記事で店が潰れた」映画に学ぶネットでの発言責任について

映画の予告編を見た時は、やたらと肉を焼くシーンばかりがクローズアップされていた『フード・ラック!食運』(寺門ジモン監督作品)。



焼肉に始まり焼肉に終わる映画なのか……。

そう思いつつ映画館へ赴いてみたら、まったく印象の違う映画でした。

私自身、ライターとして、SNSを扱うひとりの発信者として、言葉を扱う人間として、決して避けては通れない命題を突きつけられた映画。

「ネットでの発言責任」について考えます。

言葉の力強さを思い知る

映画『フード・ラック!食運』の主人公はEXILE・NAOTOが演じるフリーライターと土屋太鳳演じる編集者。このフリーライターは、過去に「自分が書いた記事によって町のパン屋が潰れてしまった」トラウマを持っていました。



私も曲がりなりにもライター。自分の書いた記事が世の中に与える影響や、ちょっとした言葉の扱いで炎上に発展する怖さを、それなりに体験してきました。私自身は、直接的に店を潰したり人を傷つけたりしたことはない(と信じたい)けれど、ライターとして記事を書いていく以上、常に心に留めておかねばならないと思っています。言葉の強さ、言葉の怖さを。

作中で書かれた記事は、天然酵母を売りにしたパンの美味しさについて「それ以上でも以下でもない」とある意味正直な感想を綴ったもの

フリーライターだからこそ、記事を書かねば生きてはいけません。もちろん嘘や誇張はもってのほかだけれど、時には踏み込んだ表現が必要なのも確かです。取材先におもねるのか、媒体におもねるのか、読者におもねるのか……。このバランス、板挟みになる感覚を、物を書く仕事に就いている方なら一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

読者へ本当のことを伝えるのが、正義なのか。

それとも、取材先や媒体に100%配慮するのが、本来の姿なのか。

作中では、潰れてしまったパン屋のオーナーである男性が、「謝ってほしくはありません」と主人公へ告げます。「ただ、忘れてほしくもない」と。この言葉が忘れられず、映画館を出た後も頭の中で反芻していました。

本当の言葉であればあるほど「傷つける」

嘘や批判を書いた記事だけが、人を傷つけるとは限りません。本当に思った言葉だからこそ、傷つけてしまうこともあります。天然酵母が売りのパンを「それ以上でも以下でもない」と書いたのは、主人公である彼の、誇張のない正直な言葉だったのでしょう。



正直な気持ちを素直な言葉で書いたからこそ、少なくともその言葉を受けた当事者は傷ついた。そして周囲から攻撃され、「売上減」という明確な結果に繋がった。

書いた記事が直接的にパン屋の廃業に繋がったと考えるのは、安直かもしれません。それでも、インターネットが台頭し、SNSが私たちの生活の中心にある時代です。何気ない一言が引き金を引き、影響をおよぼし、巡り巡って思いも寄らない結果を導くことは十分考えられるでしょう。

Twitterで「あの芸能人久々に見た、生きてたんだ」と呟いたことのない人がどれだけいるでしょうか。Instagramで「インスタグラマーにありがちな写真ばっかじゃん」とコメントしたことのない人がどれだけいるでしょうか。

素直な気持ち、本当の言葉であればあるほど、傷つく人がいる。だからと言って、本音で話すのをやめるべきだとは思いません。言葉と向き合う姿勢を、扱い方を、常に考えられる自分で在りたいと思っています。

こうやって記事を書く以外にも、日頃の言葉の扱いにだって気をつけているつもりです。映画『フード・ラック!食運』の趣旨や伝えたいメッセージとは反するかもしれませんが、ライターや編集者は観ていてある意味「つらい」映画かもしれません。

文章表現はどこへいくのか?

NAOTO演じるフリーライターは、自分の書いた記事によってパン屋が潰れる経験をしました。作中では、過去に自分の母親が経営する焼肉屋を、心無い記事をきっかけに潰されてしまう経験もしています。



自身が経験し、痛感したことであるにも関わらず、自分が加害者になることには鈍感になってしまう。言葉の怖さが如実に出ているシーンです。

ありもしない事実を捏造され、曲解され、見栄えの良いよう飾り立てられたタイトルとともに世に出ていく記事、言葉たち。フィクションの世界だけの話であってほしいと思うかたわら、目を疑うような刺激的な言葉が今日も実際に、週刊誌や新聞上で踊っています。

Web記事も例外ではありません。良くも悪くも、まだまだ数字で評価される風潮。少しでも多くのPV数を取るためにはどうしたらいいのか?それを考える時に、「タイトル」や「言葉」をある程度「調理」することは、もう当たり前になってきています。

発した言葉は、いったいどこへ向かうのか。どこへ流れていき、どこに着地して、どんな結果を連れてくることになるのか?

SNSでの誹謗中傷やコロナ禍・ネット社会での心の病気。2020年は、いくつもの「何気ない言葉」や「そんなつもりじゃなかった」が、命が失われる結果を連れてきてしまったーーそんな一面があぶり出された一年だったかもしれない。少なくとも、私にはそう感じられました。

言葉や表現が持つ力は無限大です。それだけに、使い方には気をつけたいと強く思っています。私はライターだけれど、気をつけたいと強く思うのは「ライターだから」ではありません。

人だから。言葉を扱う、人だから。

想像力でもって、明日も明後日も言葉に向き合いたい。そう思いながら、この記事を書きました。少しでも早く多くの人が、言葉の怖さに気づきますように。そして、ネットでの発言責任について考えを巡らせられる世の中になりますように。

(文:北村有)

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