『海辺のエトランゼ』ネタバレレビュー|純愛を豊かな自然と色と光で魅せる
孤独と深い愛を表す月
駿と実央の距離が縮まっていく描写は、夜空に浮かぶ月にも見られます。
映画の冒頭で実央が1人で座っていた海辺のベンチ。その上に浮かんでいるのは、半月でした。そしてブーゲンビリアとニトベカズラのシーンを経てふたりの距離は縮まりますが、そのあとすぐに実央が島を出ることが発覚します。離れてしまう寂しさを胸に海辺のベンチに並んで座るふたりの上に輝いていたのは、柔らかな光を注ぐ満月でした。
これらの描写が示すのは、この作品における半月が孤独の象徴であるということ。
ゲイで好きになった相手と心も体も通じ合うことは叶わないと諦めてきた駿と、家族がいなくなる寂しさを痛感してきた実央は、ベクトルは違うものの「孤独」=「半月」を抱えて生きています。その半月と半月が合わさって満月になったから、想いが通じ合った、惹かれ合ったと考えるのは、ごく自然なことでしょう。
ただこのふたりの場合は、その満月の完成度が高いと感じるのです。
駿は「好きになった相手と通じ合いたい」という半月を、実央は「家族のように誰かとずっと一緒に生きたい」という半月を、心の奥底に大事に大事にしまっていたように思います。ふたりにとってその「本当は心のそこから欲しいもの」を隙間なく満たしてくれる相手が、駿であり実央なのです。
ふたりの上に輝く美しい満月は、惹かれ合うべくして惹かれ合った駿と実央の深い愛を感じさせてくれるシーンだったと思います。
人生の光となる存在を示唆する街灯
夜はほぼ真っ暗になる、駿と実央が生きる沖縄の離島。その暗闇の中でひと際目立つのが、数少ない街灯の光です。この光にも、ふたりの未来の関係性を仄めかすメッセージが隠されていました。映画の序盤で駿は、海辺のベンチに座る実央を遠いところから見ていました。その時に実央を照らしていたのは、街灯のライト。その様子はさながら、舞台のキャストにスポットライトがあたっているかのようでした。また街灯の光は駿にもあてられます。実央にお店のパンをおすそ分けするシーンで駿は、舞台に立つ役者のごとく暗闇に浮かんでいました。
この街灯スポットライトのシーンでとられていたのは、街灯に照らされていない方は暗闇にいるという構図。この構図は、駿と実央にとって互いが互いの「光」「道しるべ」となることを示唆していたのではないかと考えられます。
スポットライトのシーンは、まだ駿が実央に“下心”で声をかける前。街灯と暗闇のコントラストは、駿と実央が互いにとって「光」のような存在と出会ったことを印象づける描写だったと思います。
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(C)紀伊カンナ/祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会