2021年03月27日

身体が底から欲していた、1/f 揺らぎ映画『椿の庭』|東紗友美の"映画の読みかた"

身体が底から欲していた、1/f 揺らぎ映画『椿の庭』|東紗友美の"映画の読みかた"



これまで、人物、花、家族、標本、屋久島の原生林など、幅広い被写体を撮影し、サントリー、資生堂、TOYOTAなど数多くの広告写真を手掛けてきた写真家・上田義彦。

写真界の巨匠の上田氏が初めてメガホンをとった映画作品『椿の庭』は、構想から15年をかけて丁寧に作り上げられた、古い民家を舞台に家族のつながりが紡ぎだされる人間ドラマです。



椿が咲く庭のある葉山の家に暮らす祖母と孫娘の1年を四季折々の情景とともに描き出す。

長年住み続ける家を守り、今は娘の忘れ形見である孫の渚(シム・ウンギョン)と住む絹子(富司純子)。

絹子の夫の四十九日を終えたばかりの春の朝、動かなくなった金魚を椿の花で包み込み、土にそっと還していく。

二人の日常が静かにはじまっていくー。


Review(レビュー)



有名な写真家の方が監督した作品だから、もしかしたら「写真展に行った感覚になる作品かも」と想定していたが、その予想よりももっと深度のある"記憶を巡る旅"みたいな映画だった。

この映画で私は祖母の住んでいた東北地方での"短い夏"を思い出した。

木々も花々も、色濃くて、子供ながらに生命力に溢れているな、これは東京とは違うな、と感じた。確か5歳の頃だったと思う。

おばあちゃんは言った。

「東北は夏が短い。すぐに季節が去ってしまうから、全部が"いまが真っ最中"って感じで、一生懸命さいている。」と話してくれたあの横顔を。

もう思い出すことはなかったはず記憶が、呼び覚まされる。

ひとつの庭は、始発駅或いは、終着駅のように観るものの過去に寄り添っていく。

季節を映し出すのに、夏のスイカや、秋の落ち葉、木のぬくもり、すべてが懐かしさを伴った心象風景に寄り添ったもので表現されているからだ。

自分を見つめ、心の声を聞く。

解き放たれる瞬間のための、

マインドフルネスのような特別な映画体験でした。まさに、1/f揺らぎ。



そしてどうしても語らずにいられないのは昨年、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を外国人として初めて受賞し、今年の日本アカデミー賞授賞式では司会を務めた韓国生まれのシム・ウンギョンの魅力。

唯一無二の透明感、眼差しの奥に静かに光る意志の強さ、「これからどこにでも向かえる女性なのでは?」と感じさせる柔軟性を兼ね備えたヒロイン性。

もしかするとヒロインという言葉よりも人間味といったほうが正しいかもしれない。

彼女は「あの子に、会ったことがある。」と、思わざるを得ないリアリティを纏っている。
監督によると当初14歳の設定だった孫の渚は、シム・ウンギョンとの出会いによって脚本を変更したそう。

ますます目が離せない俳優だ。

ESSEY(エッセイ)



視力の悪いわたしにとって眼鏡は必需品だ。
グラスの曇りを拭き取った時の景色に、いつだってハッとする。

『椿の庭』は言うなれば"その感覚"に似ている。
美眼が養われる映画だからだ。

花々、虫、遠くに見える海の水面。
ときに俯瞰的に、ときに息の音が聞こえてしまうほどに近距離で、視力を矯正するように近づいてはまた離れ、自分の目の前にありながらも見えにくくなっている日常の景色に、この映画は気付かせてくれる。

例えばそれは、
早朝の澄んだ光かもしれない。 
空の青さのグラデーションかもしれない。
金色の夕暮れの陽射しかもしれない。

都会じゃなかなか触れられない自然の営みに身を委ねることではっきりと見えてくる景色に触れることができる。

そして、良かれ悪かれ人間は、知らず知らずのうちに、死に対する不安に人生を左右されながら生きている。



たとえばニュースで見た死亡事故、
友人の不幸な知らせ、
美しかった皮膚にできたシミ、
傷跡の治りにくくなった肌。

潜在的に、確かに存在する其れに恐れながら生きる人間たちを静かに救う効力をこの映画はもっている。

それは死さえもまた、
羽が生えたような循環の一部として描くことで、
死と生を対極においてみるのではなく、
人間も大いなる自然の一部だということを、
すんなりと受け入れられる。

そんな自分と出逢えるから。

心の宝箱に、この映画を閉じ込めたい。

(文:映画ソムリエ 東紗友美)

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