『クリシャ』レビュー:ファミリー版『ジョーカー』のごときヒロインと家族の哀しき不協和音
テレンス・マリック監督に師事したトレイ・エドワード・シュルツ監督の長編デビュー作。
長年家族を捨てて生活していた初老の女性クリシャ(クリシャ・フェアチャイルド)が感謝祭に参加すべく帰還したことから、家族との不協和音が徐々に、やがては最大限に奏でられていくという、おぞましくも哀しい様を描いたファミリー映画。
開巻30分ほどは家族の喧騒が不快なノイズのように延々と描かれていきますが、これは家族という共同体から一度離れてしまった者のみに聞こえてくる違和感の音でもあり、その輪の中に再び入ろうとしながらも上手く果たせないクリシュの戸惑いと混乱をも見事に表してくれています。
隣りの家の物音が妙にうるさく聞こえてしまうのと同じ道理で、一度他人と化してしまった側からすると、家族とは何とやかましくも鬱陶しいものか。
このように本作は、家族という共同体の虚飾と実体の相違を赤裸々に描いていきます。
帰還したクリシャが遭遇するさまざまな家族の虚飾をビスタで、その後のクリシャのトリップをシネスコで、そして過酷な現実をスタンダードで、と3つのスクリーン・サイズで描き分けていく手法も実にユニーク。
特にシネスコ画面になってからのクリシャは、あたかもファミリー映画版『ジョーカー』が始まったかのような邪悪な愉悦感に満ち溢れており、同時に『男はつらいよ』シリーズの寅さんも、視点を変えると実はこのような忌まわしきストレンジャーなのか? といった衝撃すらもたらしかねません。
もっとも、叔母と親族との軋轢や、実父が薬物アルコール中毒だったという監督自身のキャリア(本人もクリシャの息子役で出演)から紡がれたこの作品、やはり最終的には「それでも、家族の絆というものは……」といった哀しくも切ない、例えようもない忸怩たる想いに捉われてしまうこと必至。
その意味では冒頭とラストのクリシャのアップの表情は、確実に見る側の印象を大きく違える結果をもたらしてくれていると思います。
もともとは2014年に発表した短編映画『Krisha』が多くの短編映画祭で評価されたことから長編映画化されたものですが、この題材に対する監督の執念ともいえるこだわりがひしひしと感じられる意欲作。
家族と上手く接しようとしつつ、なかなか上手くいかずにもがき苦しんでいる人(もしくはそういった経験のある人)であればある程、本作のメッセージは痛切に受け止められることでしょう。
(文:増當竜也)
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