2021年09月24日

【夏の終わりに観たい映画】『スタンド・バイ・ミー』から友の大切さを教わった

【夏の終わりに観たい映画】『スタンド・バイ・ミー』から友の大切さを教わった

ついに目的地にたどり着いた4人の少年



山を越え、森を抜け、度重なる困難を乗り越えた4人の少年はついに目的地にたどり着いた。4人で死体を探して、見つけたのはバーンだった。みんなは死体を運ぶために担架を作ろうとしたが、ゴーディは死体を見ているだけで、その場から動こうとしない。

ゴーディは死体に兄を重ね、「僕が死ねば良かったと父が考えているんだ」とクリスに打ち明ける。その言葉を受けたクリスは「お前はいい作家になれる。困ったら俺たちのことを書けばいい」と慰めた。

安心したのも束の間、車で目的地にたどり着いた不良青年グループのエース達の登場だ。エースは「死体をよこせ」とクリスたちに言い放つが、クリスはその場から離れず立ち向かおうとする。なかなか要求を飲まないクリスを見かねて、エースはナイフでクリスを脅す。

すると、銃を持ったゴーディが現れ、銃の引き金をエースへと向ける。子どものお遊びだと思ったエースだが、ゴーディは本気だった。ゴーディの鬼気迫る表情に「この借りは必ず返す」と言い放ち、その場を立ち去る。

ゴーディの提案により、匿名で警察に電話を掛けることになった、死体は無事に発見されたが、発見の第一人者が露わになることはなかった。4人の当初の目的は叶わなかったが、一生忘れられないひと夏の思い出が彼らの中に残った事実は、英雄になることよりも十分に価値がある。

親友クリスとの永遠の別れ

親友であるクリスとの別れは胸が締め付けられた。誰にも打ち明けられなかった弱音をやっと吐けたクリスは、必死の勉強の末、弁護士になったそうだ。苦労が認められた瞬間を嬉しく思ったと同時に、もうこの世に存在しない彼を悲しく思う。

どうやらクリスは、レストランで喧嘩になった見知らぬ2人の仲裁に入ったときに、運悪くナイフが喉に刺さり、命を落としてしまったようだ。見知らぬ人の喧嘩の仲裁に入る彼は、とても優しい心を持った人間である。でも、それがきっかけで優しい人間がいなくなった。その事実がただただ悲しい。

4人の少年の中で、1番報われてほしいと思ったクリスに襲った悲劇。クリスの悲劇を知ったゴーディは一体どんな気持ちだったんだろう。そして、4人のひと夏の大冒険を物語にするまでに、どんな葛藤があったんだろうか。綺麗に終わりたい。でも、終われない。そんな願いが、ベン・E・キングの不朽の名曲である『Stand by Me』の「いつまでもそばにいて」にすべて凝縮されているんだろう。

主人公のゴーティが「あの12歳の時のような友達は、もうできない。もう二度と」とPCに文字を打つシーンで物語は締めくくられる。ゴーディが打ったその文字を観た瞬間に、自分の人生でどれだけの友達に救われたのかを改めて考えた。

12歳の頃に必死で、サッカーボールを追いかけていたときも、いつもそばには友がいた。サッカー選手になることを諦めて、悔しがる筆者を慰めてくれたのも友だった。21歳で母を亡くしたときも友がいた。そして、27歳の夏に難病になったときも友がいた。

自分の人生は、友によって支えられている。すべての過去を美談にできなくたっていい。そっちの方が人間臭いし、生きてるって感じがする。でも、美談にしてしまいたい思い出だってあるのだ。それは友と過ごした忘れられない日々たちで、共に汗を流したり、時には喧嘩をしたり、救われたり。そんなかけがえのない友との思い出を筆者は美談だと呼びたい。

実は主題歌『Stand by Me』を恋愛の楽曲だと思っていた

これは完全に余談なんだけれど、ベン・E・キングの不朽の名曲『Stand by Me』を映画を見るまでは、完全に恋愛の楽曲だと思っていた。サビの「ダーリン」はどう考えても愛しい人を連想させるものだし、その後に続く「スタンドバイミー」を繋げると、「愛しい人よそばにいて」という和訳になる。この歌詞を聴いて、恋愛の楽曲だと勘違いしている人はきっと多いはずだ。

なぜ筆者が恋愛の楽曲だと勘違いしていたのか。その理由は、『Stand by Me』が生まれた時代に筆者はまだ生まれていなかったためだ。この楽曲を初めて聴いたのは、うろ覚えだけれど、たしかラジオだったはず。第一印象は「相手を思う気持ちをストレートに表現した素敵な楽曲」だった。

でも、『スタンド・バイ・ミー』を初めて観た時に、この楽曲が昔の友に宛てた歌だとわかった。12歳の頃にひと夏の大冒険を一緒に共にした4人の友。ゴーディの「あの12歳の時のような友達は、もうできない。もう二度と。」という文で、物語を締めくくったのがその証拠である。

ひと夏の淡い思い出が蘇る『スタンド・バイ・ミー』

『スタンド・バイ・ミー』は12歳の4人の少年のひと夏の大冒険を描いた物語である。夏の終わりの映画として、この映画を思い出す人はきっと多いだろう。だが、筆者がこの作品を選んだのにもちゃんとした理由がある。

筆者のひと夏の思い出として、夏休みに友と秘密基地を作った思い出がある。日中にいろんな場所を巡って集めた家具。家の家具を無断で持ってきたことがバレて、親にこっぴどく怒られた記憶もある。秘密基地が完成したときはコーラで乾杯をして、お菓子パーティを開催した。

夏休みが永遠に終わらなければいい。そして、いつまでも友とくだらないことをしていたい。

でも、そんな淡い希望は簡単に崩れ去ってしまうのだ。夏休みは簡単に終わってしまうし、夏の終わりに大人たちに取り壊されてしまった秘密基地。「4人の少年のように大人に抵抗する力があれば、夏が終わっても秘密基地で遊んでいたにちがいない」と、大人に打ち勝った4人の少年を観るたびに、そんなありもしない「もしも」を考えてしまう。

早朝からいつもの待ち合わせ場所に集まって、夏の炎天下の中、汗をかきながら自分たちなりに創意工夫して作った秘密基地。解散はいつも夜。木の下でみんなで食べたおにぎり。くだらない理由で起きた喧嘩。川を見ながら見た夕日。「また明日な」と当たり前のように毎日友と会っていた夏休み。校舎で学んだ勉強はほとんど覚えていないのに、友と過ごしたあの時間はいまも変わらず心の中に残っている。

『スタンド・バイ・ミー』は夏休みのすべてを捧げて、友と秘密基地を作った思い出。そして夏の終わりに、大人たちに負けて悔しい思いをしたひと夏の淡い思い出が蘇る作品なのだ。

夏の終わりに観たい不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』



夏の終わりについ観たくなってしまう『スタンド・バイ・ミー』。今回も本作に自身を重ね、友達との大切な思い出を思い出す機会を与えてもらった。

自分が生きることができないどこかの誰かの物語。それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画はいつも人生で大切なことを教えてくれる。ひたむきに生きる懸命な姿や、努力が実らずに泣いてしまう姿に、思わずグッと来てしまうのは、きっと映画に出てくる人物に、つい自分を重ねてしまっているんだろう。

「自分も主人公のように報われたい」とかそんな祈りもあれば、「こんな人生は絶対にいやだ」という拒絶だってある。映画は筆者にとって欠かせないものであり、ある種の希望でもあるのだ。

劇中で現れた永遠に続く線路には、「終わりなんてない」と彷彿させる何かがあった。でも、実際は過ぎ去った夏はもう2度と戻ってこないし、夏は思ったよりも短いものである。これまでに気が付いたら終わっていたなんて夏を、何度も過ごした人は多いんじゃないだろうか。

忘れかけていた大切なものを取り戻す旅が、きっとそこにはあると僕は信じたい。

(文:サトウリョウタ)


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