映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』が私たちに残すもの


それぞれの「あの頃」を思い出し、懐かしさに襲われるシーン満載

「人間の80%はゴミ、残りの20%はクズ」

『ボクたちはみんな大人になれなかった』観賞後、心に深く刺さって抜けないセリフをひとつ挙げるとしたら、これだ。私たち人類は、ほとんどがゴミでクズ。聞いた瞬間は「マジか……」と落ち込んだけれど、よくよく考えればゴミやクズだってそう悪いものではない。不思議と、この映画を見終えた後ならそう思える。

観る人それぞれの「あの頃」を思い出させるスイッチが満載の作品である。オザケンを筆頭に、次々と出てくる1990年代のカルチャーたち。



正直、筆者自身は北海道の田舎で90年代を過ごしたので、都会中心のカルチャーにはあまり馴染みがなかった。しかし、それでもいい。共通じゃなくても、各々で思い出せる90年代を辿ればいいのだ。苦い記憶も苦い思い出もあるだろうけれど、それらを自然に思い出させるスイッチがこの映画にはあると思う。

いわゆる「サブカルチャー」に筆者も憧れた。普通や一般的であることを嫌って、というより怖がって、奇をてらうことに命をかけていた思春期。そんな心の動きでさえ「その他大勢」だったのかもしれない。普通でゴミでクズみたいなものだったのかもしれないけれど、それで何が悪いんじゃい! とも感じる。

結局、普通が一番なのかもしれない。普通じゃなきゃこの世の中を生きられないのかもしれないし、そもそも普通で在り続けるために生きるのかもしれないし、生きることに一生懸命になっていたら自然と「普通だね」と言われる状態になるのかもしれない。

あれだけ普通で在ることを忌み嫌っていたかおりが、普通に結婚して普通に子供を産んで普通の家族を作っていた。普通って、なんなんだろう。普通であることの是非を問うこと自体が、すでに普通な気がしてくる。

けれど、やっぱり思う。この映画を観た後なら違和感なくこう言える。

普通で良いし、普通が良いんだ。普通である自分が最高に愛しく思える作品だ。

森山未來&伊藤沙莉W主演!安心して観られるキャスト陣

『モテキ』『怒り』『アンダードッグ』など数々の作品で唯一の存在感を確立してきた森山未來。2021年に開催された東京五輪の開会式でのダンスも記憶に新しい。



彼が今回の主演・佐藤を務めるのに加え、忘れられない彼女・かおり役を演じるのが伊藤沙莉だ。近年では「いいね!光源氏くん」が話題となり、「大豆田とわ子と三人の元夫」でナレーションを務めるなど、その印象的な声を生かした活躍も目立つ。



この映画は、現代から過去へと少しずつ遡っていく構成で描かれる。冒頭で「どうやら佐藤には忘れられない相手がいるらしい」と観客に伝わるが、その相手がどんな人物でどのような交流をしていたのかは、後半になるにつれ明らかになるのだ。二人がどのようにして出会い、どんな過程を辿りながら信頼関係を構築してきたのか、物語が進むにつれ切なさも加速する。

結局のところ、なぜかおりがいきなり姿を消してしまったのか、はっきりとしたことはわからないまま終わる。他に好きな人がいたのかもしれないし、そもそも佐藤と一緒にいたのは一時の迷いだったのかもしれない。行動や言動に突拍子もないかおりは、最後も「今度CD持ってくるからね」の一言で連絡が取れなくなってしまう。何年も経った後に、SNS上で結婚していることを知るのだ。



一般的な映画だったら「どうして二人は別れることになってしまったの!?」「佐藤はこの後かおりと連絡を取らずに終わるの!?」と気になって仕方ないところだが、不思議とそんな不完全燃焼感は抱かずに済む。

それはひとえに、森山未來や伊藤沙莉をはじめ、脇を固める名キャスト陣はもちろんのこと、監督・脚本・撮影・照明・美術スタッフなど、映画制作に欠かせないスタッフの手腕によるところが大きい。

どのピースが欠けても、この映画は成立しなかった。本作の佐藤とかおりが、些細なきっかけを手繰り寄せ、忘れられない時間をともに過ごしたように。私たちも、この映画のことを折に触れ思い出すことだろう。

(文・北村有)

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