『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』は新入社員育成物語だった?
『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』は新入社員育成物語だった?
子ども映画における細切れされた時間の扱い
さて、新作映画『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』の話に移ろう。本作は、キャンプに出かけたすみっコたちが5体の魔法使いと出会い親睦を深める話です。まず本作を観る者は物語の展開の早さに驚くだろう。冒頭で、怒涛のようにキャラクター紹介を行い、スーパーへ買い出しに行く、キャンプでくつろぐといった過程を短く描写している。これは、サンエックスが2000年代から積極的に行ってきた動画手法を踏襲している。
【予告編】
サンエックスは、「にゃんにゃんにゃんこ」など個性的なキャラクターの世界観を表現するために、30秒程の動画を作ってきた。これは子どもの短い集中力の中で興味を引き出すための有効策。実際に、子ども向け映画ではドラマを短く分割して、それを並べることで物語る手法が多く取られている。
例えば、『映画 おかあさんといっしょ ヘンテコ世界からの脱出!』では、幾つかの異世界を用意し、その中に登場人物を置くことで、子どもたちを飽きさせない工夫をしている。さらに「アイアイ」、「さがそっ!」などといった曲を映画を盛り上げる起爆剤として挟み、67分失速することなく物語ることに成功している。
おかあさんといっしょシリーズ第一作目である『映画 おかあさんといっしょ はじめての大冒険』では、子どもの集中力を考慮し、70分ある上映時間の途中でインターミッションがあります。その時間はなんと6分。子どもにとって1分は非常に長い。5分では短すぎる、10分では長すぎる為、6分という黄金比が採用されている。映画もアニメと実写、歌踊りを織り交ぜることで退屈させる暇を与えない作りとなっており、筆者が2018年に劇場観賞した際には、子どもたちが自然とスクリーン中央に集まり応援上映となる程の盛り上がりをみせていました(本作は、上映中、歌ったり踊ったりすることが許可されています)。
つまり、『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』は短い時間で世界観を紡いでいく手法によって、子どもたちがすみっコの世界に没入できる仕組みとなっているのです。
「とかげとおかあさん」を踏まえて観るとかげの成長譚
また、『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』では、すみっコぐらしのヒストリーに寄り添っている。具体的には、人気エピソードである「とかげとおかあさん」、「とかげの夢」を物語に組み込んでいるのです。「とかげとおかあさん」は、すみっ湖に現れたスミッシーが実はとかげのおかあさんであり感動の再開を果たす話だ。
しかし、とかげは自分の正体が恐竜である事実を隠すため、スミッシーと涙のお別れをする。この涙ぐましい物語はシリーズ化され、とかげがスミッシーのぬいぐるみを抱きながら寝るとおかあさんが夢に現れる「とかげの夢」、とかげがお花畑からおかあさんとの日々を思い出す「とかげの思い出」と物語が紡がれている。
本作では、とかげがおかあさんに愛を求めていた姿を、見習い魔法使い「ふぁいぶ」に投影させる。そして、とかげがふぁいぶの母親的存在になっていく様子が描かれているのだ。とかげを追ってきた者にとっては、とかげが置き去りとなったふぁいぶを家に招き入れ、ふぁいぶがとかげの宝箱を落としてしまっても怒らずその事実を受け入れる成長っぷりに感動するだろう。つまり本作は愛を求める者が愛を与える側に回る話となっているのです。
「ゆめ」という概念なき者に「夢」の概念を与える
子ども向け映画は、意外にも概念や社会システムを鋭く見つめる傾向がある。それこそ前作『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』では、本をめくると世界観が変わるといった読書の特性を掘り下げる内容であった。『映画 おかあさんといっしょ すりかえかめんをつかまえろ!』では、人々に認知されないと存在が消失してしまう「すりかえかめん」に寄り添うことを通じて、いたずらっ子の心理に迫った。
『それいけアンパンマン!かがやけ!クルンといのちの星』は、ばいきんまんが宇宙の彼方に放出した産業廃棄物が、遠くの星を汚染して難民を発生させてしまう話であり、なぜ国際的に環境問題に取り組む必要があるのかを分かりやすく描いていた。このように、子ども向け映画は概念や社会システムを捉えることに長けているのですが、本作はいかがだろうか。
本作では、魔法使いとすみっコの対話に注目していただきたい。
すみっコたちにはコンプレックスから来る「夢」が存在する。しろくまは寒がりであり、ふろしきを身につけたり、暖かい場所を探している。ぺんぎん?は自分探しの場として書物を選び、日々読書に励んでいる。とんかつは誰も食べてくれない現状を変える為に、えびふらいのしっぽと一緒に試行錯誤を繰り返している。ねこは自分の身体に不満を抱きスリムになりたいと考えている。
一方で、魔法使いたちには「夢」の概念がない。何故ならば、魔法を使うことで簡単に夢がかなってしまうから。とかげの家に転がり込むふぁいぶは、夢を消せばコンプレックスはなくなるのではないかと考え、消失の魔法を習得。そしてすみっコに向かって唱えてしまう。だが、夢が消失したしろくま、ぺんぎん?、とんかつ、ねこからはアイデンティティまでもが失われ、えびふらいのしっぽは悲しむのです。
つまり、現状の問題点=コンプレックス、将来の目標=夢という構図の中、その差を埋めるための行動がアイデンティティを形成していることが分かるのです。そのため、夢を消し去ることで、その夢と密接にくっついているコンプレックスも消失するが、それは果たして本人、または周囲にとって幸福なのか。『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』は、ふぁいぶが「ゆめ」から「夢」へと概念を習得していく過程を通じて、その哲学的な問いに挑んだ意欲作となっていたのです。
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