ジブリパークに行ってきた!<発表会徹底レポート>宮崎駿が「吾朗に任せる」と言った理由
「ジブリ作品を忘れさせてはいけない」という信念
続いて、岡村徹也プロデューサーが司会進行を行うかたちで、ジブリパークの監督を務める宮崎吾朗が、その企画の経緯を語った。(左:岡村徹也プロデューサー、右:宮崎吾朗監督)
宮崎吾朗は、2013年に宮崎駿が長編映画作品からの(何度目かの一旦の)引退を表明し、さらに2014年末にスタジオジブリがアニメの制作現場を解散した過去を振り返った。当時に宮崎吾朗はテレビアニメシリーズ『山賊の娘 ローニャ』を手掛けており、その仕事を終えた2015年の春にはジブリにもうほとんど誰もいなかったそうだ。その時にジブリパークの企画の監督を引き受けたのは、端的に「失業するのがイヤだった」ことも理由もあったという。
そんな切実な事情と共に、宮崎吾朗には「スタジオジブリ作品を遺していきたい」という信念もあったという。「映画は時代と共にあるものだから。放っておくと忘れられてしまう」と考え、作品を遺すためにできることがジブリパークであると考えたそうだ。
また、ジブリパークの具体的な案が出てくる中で、宮崎吾朗は違和感を覚えていたこともあったという。その1つの理由は、ジブリ作品はファンタジーであるようでいて、かなりの部分は現実世界を舞台にしていることだった。たとえば、『耳をすませば』の聖蹟桜ヶ丘や、『平成狸合戦ぽんぽこ』の開発中の多摩ニュータウンを作ったりするのはナンセンスだなとも考えたという。
それを踏まえ、宮崎吾朗は良い意味で「皆さんが考えるような普通のテーマパークではない」と述べた。さらに、愛・地球博公園という場所があったこと、すでにサツキとメイの家を作っていたことなど、いろいろなご縁があったこともあり、徐々にイメージも固まっていったようだ。
また、かつて青少年公園や万博があった昭和の時代も振り返った宮崎吾朗は、「土地に対して思い出や記憶を持っている人がいっぱいいる、今も公園として使っている場所に、このジブリパークができることで、その記憶が壊されたり、いまある公園がなくなってしまったりするのは筋違いです」とも語った。その上で「お邪魔にならないように、公園でまだ使われていない場所や、温水プールだった場所など、隙間に入っていくように作ることができれば」との配慮も考えていたという。
さらに「ジブリパークの楽しみ方とは?」とストレートに質問された宮崎吾朗は、「どうやって楽しめばいいんですかね」と一旦は言葉を詰まらせながらも、「ジブリパークには(大きく分けて)2つの場所があり、『サツキとメイの家』のように、屋外の緑の中に本物の建物があって、その中に入って楽しんでいただく場所と、『ジブリ大倉庫』のように建物の中に建物を作って、ジブリの怪しげなガラクタから大切な宝物まで見られるような場所があるので、皆さんが楽しみ方を見つけていってくれれば」と語っていた。
観光PR動画の監督は宮崎駿とそっくり?
観光PR動画「風になって、遊ぼう。」もこの場でお披露目になった。「風になって、遊ぼう。」は、「ジブリパークのある愛知」の魅力を、スタジオジブリの世界観 に沿って描いた観光PR動画。 県内の観光スポットを取り上げ、ジブリパーク来場者に県内周遊を呼びかける、疾走感に溢れた映像となっている。 スタジオジブリが観光PR動画を手掛けるのは初めてのことであり、実写作品を手がけることも非常に珍しい。
見逃せないのは、『四月の永い夢』(18)や『わたしは光をにぎっている』(19)、さらに2022年4月1日に公開を控えている『やがて海へと届く』の中川龍太郎が監督を務めていることだろう。鈴木によると、中川監督は「あなたの『国のカンヤダ』という小説を映画化したいから会いたい」という手紙を送ってきたそうで、中川監督と鈴木敏夫は大晦日を一緒に過ごしていたりもしたらしい。
さらに、鈴木敏夫によると中川監督は宮崎駿に性格がそっくりとのこと。その理由は「あんまり深く考えないですぐに手を出しちゃう」ことにもあるそうで、「頼まれるとすぐにやっちゃうおっちょこちょいなところ」も2人は似ているのだという。
「風になって、遊ぼう。」の劇中で少女が訪れる愛知の観光スポットの詳細は、公式サイトにも記されているのでぜひチェックしてほしい。さらに、メイキング映像も公開されている。
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