『リング・ワンダリング』笠松将が巡る幻想世界から現代社会の喪失が浮かび上がる理由
『リング・ワンダリング』笠松将が巡る幻想世界から現代社会の喪失が浮かび上がる理由
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■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」
本作のタイトル『リング・ワンダリング』には、「円形に彷徨い歩く」という意味があります。
これは方向感覚を失って、無意識のうちに円を描くように同一地点を彷徨い歩いてしまう現象を指す登山用語にもなっています。
リング・ワンダリングしてしまう理由そのものとしては、吹雪や霧などで視界を奪われたり、脚の利きや骨格の歪み、靴が合わなかったりとさまざまではありますが、かつて日本ではこういった不可解な現象に見舞われたとき「狐や狸に化かされた」みたいな言われ方がなされていました。
そして映画『リング・ワンダリング』には狐や狸こそ出てきませんが(代わりに今は絶滅したニホンオオカミが出てきます)、笠松将扮する漫画家志望の青年が、ふとしたことからリング・ワンダリングしていき、いつしかそれが自分の作品にも強く影響を及ぼしていくという多重構造のスピリチュアル・ファンタジーの中から、現代社会から消え失せていくものへの痛恨の想いを馳せていく見事なエンタテインメント映画です。
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現世と常世の狭間から入り込む不思議な世界
狐や狸に化かされながら(?)、気がつくと摩訶不思議な世界に辿り着いていた……。気のせいであれ何であれ、そんな奇妙な感覚に陥ったことのある人は意外に多いのではないでしょうか。
特に昼と夜の移り変わる時間の黄昏どきは現世と常世(いわゆる死後の世界)の境目となる「逢魔が時」とも呼ばれ、そこでモノノケに出くわすなど不思議な体験を味わうことがよくあるものです(たとえそれが気のせいであったとしても……)。
また「逢魔が時」に限らず、日本を含む世界中で現世から常世へ迷い込んだ者たちの数奇な話は数多く伝承されてきました。
日本映画でも、主人公が幼い頃に死に別れたはずの両親と真夏の浅草で再会する大林宣彦監督の『異人たちとの夏』(88)が映画ファンにはよく知られるところ。
黒澤明監督のオムニバス映画『夢』(90)の第1話では、幼子が霧の中で狐の嫁入りの行列と出くわします(それ以外にも桃の精であったり、雪女であったり、戦争の亡霊であったり……)。
オムニバス・アニメーション映画『迷宮物語』(87)のりんたろう監督による第1話「ラビリンス・ラビリントス」も少女が不思議な世界のサーカス小屋に迷い込んでの幻想譚でした。
そして本作『リング・ワンダリング』では、主人公の青年・草介(笠松将)が漫画家を目指しつつ、まだそれだけでは食べていけないので工事現場でアルバイトしているとき、地中から動物の骨らしきものを拾ったことから、やがて不思議な世界へチャネリングしていくことになります。
なぜ骨に興味を持ったかというと、今彼が執筆中の漫画は、かつて存在していたニホンオオカミと猟師の闘いを描こうとしつつ、そのニホンオオカミを上手く描くことが出来ずに悩んでいたからなのでした……。
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