(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめの戸締まり』新海誠監督の優しさが沁みる「10」の考察



9:「運命は決まっている」からこその優しさと、連想する作品

『すずめの戸締まり』は「光の中で大きくなっていく(生きてゆく)」という「決まった未来」転じて「決まった運命」を肯定する物語だ。

この『すずめの戸締まり』の精神性は、実は危険で、曲解されやすいものでもあると思う。何しろ、世の中の出来事があらかじめ「そうなる」ように定められているというのは、一種の「運命論(決定論)」的でもある。作品によっては、運命論は人間の力が介在できない、努力なんか無駄だ、といったネガティブなものとして捉えられることもよくあり、その運命をむしろ乗り越えていく人間の力や気高さを描くこともある。漫画『ジョジョの奇妙な冒険』(特に第6部の『ストーンオーシャン』)はその代表だろう。


だが、『すずめの戸締まり』はそれとは良い意味で全く真逆だ。「必ず同じ結果になる」からこそ、前述したように新海誠監督作に通底する「大丈夫」だという言葉を、しかも「繰り返し」という意味も含んでいる「明日」へと転換している。それは、過去の自分に会うことができるファンタジーの物語だけでなく、現実の今に生きている人すべてに当てはまる、そして届けるということに、本作の優しさがある。この映画を観ているあなたも、大きくなった鈴芽が、幼い頃の鈴芽に言ってあげたように、光の中で大きくなった、だから大丈夫なのだ、と。

ここから思い出されるのは、新海誠監督が好きなSF短編小説『あなたの人生の物語』だ。実は、新海誠監督は、その映画化作品『メッセージ』を試写で観た時の感想をつぶやいており、それは予告編の冒頭でも使われている。




『あなたの人生の物語』を未読、または『メッセージ』を未見の方のために詳細は秘密にしておくが、両者とも『すずめの戸締まり』と非常に近い精神性、そして物語構造を持っていることは告げておこう。そして、運命論的な価値観を、極めて論理的に、かつ「優しさ」込みで提示していることも、共通しているのだ。『すずめの戸締まり』が気に入った人に、ぜひ読んで(観て)いただきたい。

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10:震災を経て、「生きている人」にエールを送る

前述した「光の中で大きくなっていく」というメッセージは、とことん「生きている」人に向けられているものだ。逆に言えば、それは死んだ人に向けられてはいない。多くの方が亡くなった東北大震災を扱っていながらひたすらに今生きている人へのみエールを送ること、そもそもの東北大震災をエンターテインメントを通じて描くアプローチに、賛否両論はあってしかるべきだろう。

だが、その作品の姿勢こそ、筆者個人は支持したい。そのいちばんの理由は、主人公である鈴芽と、そして草太が、共に「生きている自分を大切にしていなかった」からだ。

鈴芽は旅の道中で、立ち入り禁止の看板を飛び越えたりと危険な行為ばかりしていて、草太に「死ぬのが怖くないのか?」と問われ「怖くない!」と即答していたこともあった。さらに「生きるか死ぬかなんて、ただの運なんだって、私、小さい頃からずっと思っていました」と言う場面もあった。

草太も草太で、教師を目指しながら、「大事な仕事は人からは見えないほうがいい」という名目で、閉じ師の仕事だけでは生活できないが「両方やるさ」と言っていた。そのくせ、教員採用試験の直前に閉じ師の仕事のためのに九州に渡っており、椅子になってしまったから仕方がないとはいえ試験をすっぽかしてしまう。草太は友人の芹澤に「あいつは自分の扱いが雑なんだよ」と言われていたように、きっと普段の生活でも、自分を大切にしない行動ばかりをしてきて、芹澤に心配されていたのだろう。

だからこそ、鈴芽が「草太さんがいない世界が、私は怖い!」と言ったこと、草太が「もっと生きたい、死ぬのが怖い!」と願ったことは呼応している。

「死ぬのが怖くない」というのは、「死んでも構わない」という考えと、さほど違いはない。生きているのに、そう思ってしまうこと、自分を大切にしないことは、何よりも悲しいことではないか。震災から生き残ってサバイバーズ・ギルトを背負っていたであろう鈴芽と、震災を防ぐ仕事を受け継ぎ身を犠牲にしている草太は、共にそうなのだ。草太の祖父の羊朗に右腕がないこともその「犠牲」を示していたのだろう。

鈴芽と草太が、ただ「生きたい」と願うこと、それでいいんだと肯定することこそ、この物語でもっとも重要だったと言っても過言ではないだろう。


だからこそ、鈴芽が「行ってきます」と言い最後の戸締まりをして、物語のラストに草太に「おかえり」と言うことも、深い余韻が残る。鈴芽はこの旅で、慌てて椅子になった草太とダイジンを追って宮崎の家から出発した時も、草太の部屋から制服に着替えて再出発をした時も「行ってきます」は言えなかった。だが、過去の自分に出会って、「生きている自分」を肯定してから、やっと言えたのだ。

そして、「おかえり」は、東北大震災で亡くなった人たちが言えなかった言葉でもある。それはとても悲しいことだ。劇中でも、東北で過去の人々が「行ってきます」「行ってらっしゃい」と言っていたが、「おかえり」や「ただいま」と言う場面はない(その場面での最後の「行ってきます」は鈴芽の母の椿芽のものだったようだ)。

だが、鈴芽は生きているからこそ、草太に共に旅をして、そして「おかえり」が言えた。だからこそ、『すずめの戸締まり』は「生きている人」へのエールの作品なのだ。「行ってきます」と「おかえり」、それが言い合えることこそ、奇跡なのだと。

もちろん、そのメッセージは、現実で東北大震災で被災した人、大切な誰かを亡くした人を、傷つけてしまう可能性もある。もしかすると、欺瞞だと怒る人もいるかもしれない。だが、鈴芽と草太のように「死んでもいいと思ってしまっている」「自分を大切にしていない」人にとって、それは福音になり得る。それこそ、『すずめの戸締まり』という作品の役割であり、それを成し遂げることが新海誠が背負った「使命」なのではないか。

改めて、もう一度、繰り返し言おう。『すずめの戸締まり』は、全ての「生きている人」に向けられた、とても、とても優しい作品なのだ。

(文:ヒナタカ)

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