映画コラム

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2024年08月06日

『Chime』不純物なし、クロサワ成分100%の不条理ホラー

『Chime』不純物なし、クロサワ成分100%の不条理ホラー



「脈絡がない」という表現は、往々にして否定的な意味で使われることが多い。筋の繋がりがない。行き当たりばったり。意味不明。散漫。

だがある種の映画にとっては、それがプラスに作用することがある。ストーリーテリングの段取りを踏むことなく、純然たるビジュアル表現のみで世界を構築してしまう潔さ。そこにあるのは、混じり気なしの映像的愉悦のみ。

黒沢清監督の新作中編『Chime』(2024)は、まさしくそのような作品だ。

クロサワ成分100%ムービー

©Roadstead

本作は、配信プラットフォーム「Roadstead」のオリジナル作品第一弾。全世界999個限定のライセンスを99USドル(1万4,850円)で販売するという、異色の販売形態がとられている。8月2日(金)からは、東京・菊川のミニシアターStrangerを皮切りに、全国の映画館で順次劇場公開。より多くの黒沢ファンが、本作に触れられることとなった。

はっきりいってこの映画、ストーリーは意味不明である。本編の主人公は、料理教室で働く松岡(吉岡睦雄)という中年男性。「頭の中でチャイムのような音が鳴っている」だの「脳みその中身が入れ替えられている」だの、ヤバい言動を繰り返す生徒を適当にあしらいつつ、フレンチレストランへの転職を検討中。次第に彼の精神状態は不安定なものとなり、常軌を逸した行動をとるようになっていく。

上映時間はわずか45分。だが1時間にも満たない中編であるがゆえに、我々が長年目撃してきた黒沢映画の最もコアな部分が濾過され、抽出され、フィルムに焼きついている。不純物いっさいなし、クロサワ成分100%ムービー。これを僥倖と呼ばずして何と言おう!

黒沢清は本作を構想するにあたり、次を三大恐怖ポイントとして考えたという。

  • (1)幽霊の恐怖
  • (2)自分が人を殺してしまうのではないかという恐怖
  • (3)警察に逮捕されるのではないかという恐怖

そして恐るべきことに、この3つ全てを45分のなかに溶け込ませている。極めて特異な方法で。

©Roadstead

普通の監督ならば、(1)はホラー、(2)と(3)はサスペンスとして演出することだろう。ホラーは観客にある種の予感を与えることで恐怖心をあおり、サスペンスは観客と主人公を同化させることで、ハラハラドキドキのエモーションを大きくかきたてる。

だが黒沢清は、3つの要素を等価に扱ってしまう。そこにあるのは、漠然とした不穏さ。そもそも主人公の松岡に感情移入することができない時点で、サスペンスが発動しようもない。

しかも彼の映画において現実と非現実は、はっきりと分け隔てられたものではない。それは同じ世界に同居しているものだ。「全ては地続きで繋がっている」という、奇妙な感覚。幽霊という恐怖の対象は、ぬっとこちら側に侵入してくるものではなく、すでにそこにいるものなのだ。黒沢清自身の言葉を引用してみよう。

映画作りとは“存在していること”と“見ること”とのぎりぎりのせめぎあいかもしれない、と僕は時々思うのです。映画を作っている僕にとってはちゃんと存在しているはずの世界も、レンズの前にちょっと障害物を置いた瞬間、いきなり未来の観客にとっては存在しなくなる。つまり見えなくなるのです

「黒沢清、21世紀の映画を語る」より抜粋

我々観客は、あるフレームで固定された世界しか覗き見ることしかできない(=現実)。フレーム外からやってきた異者は、別の世界からやってきた招かれざる客だ(=非現実)。だが監督である黒沢清には、フレームの内も外も見えている。現実も非現実も同じ空間に佇んでいる。彼の独特な世界認識は、「映画とは何ぞや?」という探究心から生まれたものなのだ。

だからこそ、松岡が狂気に囚われていることを示す決定的瞬間を、黒沢清はワンカットで描く。映画における編集とは、時間を自由自在にコントロールする行為であると同時に、別世界へのスイッチという役割も担っている。

巧みにカットを割ることで、「瀕死状態だったはずの主人公が、次の場面では元気に敵をやっつけている」ような非現実を、あたかも現実のように錯覚させる。映画の嘘を知り尽くしているからこそ、あえて彼はワンカットに固執するのだ。

それは過去のフィルモグラフィーでも繰り返し使われてきた、彼のシグネチャーと呼ぶべき演出スタイル。何者かに囁かれたファミリーレストランの店員が、ナイフを持ち出して誰かを刺し殺すことを予感させる『CURE』(1997)。麻生久美子の背後にある鉄塔から、女性が飛び降り自殺する『回路』(2000)。すぐそこに、異世界が両手を広げて待ち受けている。

©Roadstead

そして、精密に配置された様々な“音”。料理教室の近くを通る電車の走行音。松岡の妻・春子(田畑智子)が大量の缶ビールを捨てるときのけたたましい騒音。監視カメラから流れてくる謎の電子音。現実の音も非現実の音も、等価に扱われている。いや、もはや何が現実で、何が非現実か判別がつかないほどに。

実は、映画を決定的に存在たらしめているのは、何を隠そう“音”なのではないでしょうか。映っていないものが音によってその存在を明らかにしているという場合はよくあります

「黒沢清、21世紀の映画を語る」より抜粋

黒沢清の入門編

©Roadstead

『Chime』には、彼のエッセンスが全てが詰まっている。キヨシ・クロサワ初心者に最も最適な入門編は、この映画ではないだろうか?と思ってしまうほどだ。

とはいえ、観ても何が何だかサッパリで、全然面白さが分からん!(怒)となっても、それは筆者の責任ではありませんので、悪しからず。

(文:竹島ルイ)

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