「コンテンツって究極、ビジネスモデルが作る」|『映画 えんとつ町のプペル』西野亮廣インタビュー
バッシングの嵐について
テット・ワダ
今のこの時代、特に日本にすごくフィット感のある映画ですよね?
西野亮廣
確かに。
元々は自叙伝だったんです。自分がテレビの世界から軸足を抜いて、絵本を描き始めた時に、日本中からバッシングがすごかったんですよ。「芸人なのになんで絵本描くねん」みたいな。何かに挑戦する度に、とにかく日本中がバッシングする。
こういう、何かに挑戦すれば叩かれるっていうのは挑戦者の副作用みたいなものだと思ったので……この経験を物語にしようと思ってスタートしたんですけど、僕がバッシングを受けた当時より挑戦者をとにかく叩くっていう社会になりましたよね。
テット・ワダ
日本は誰かがを夢に向かって走ると、何だよあれっていうのがある。すごく残念だなと思います。そんな今の日本にぴったりだなと。
西野亮廣
やっぱり僕がバッシングを受けたのと同じように、挑戦して叩かれている人を応援したいっていうのは強くありますね。
折り合いつけてない人
テット・ワダ
みんな小さい時って色々なことにチャレンジしたいじゃないですか。でもそれがだんだん歳をとってくると、やめた方がいいのかな、諦めたほうがいいのかな、あと流されてしまう社会で。それでもやっぱりどこかでチャレンジャーに対して「いや俺も実はあれやりたかったんだよな」っていう思いがあるのでしょうね。
例えば映画で言うとアントニオ。あの存在が僕にとってはすごく大きかったです。最初はアメリカの悪ガキ的なイメージだったんですけど、実は心の中には「俺も見たい」「頑張れよ」って気持ちとは裏腹に、「お前なんて」ってのがあるじゃないですか。
西野亮廣
もしかしたら、結構な方が心当たりのあるキャラクターかもしれないですね。みんなやっぱりどこかのタイミングで自分の夢に折り合いをつけてるはずなんで。そうすると折り合いをつけてない人を見た時に、もう憎くて仕方がないというか。「俺が折り合い付けたんだからお前も折り合いつけろ」っていう、そういう力学が働くっていうのはあるかもしれませんね。
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